因果応報について
因果応報、という言葉についてお教え下さい。
この言葉は罪を犯した人に対して使われる事が一般的かと思いますし、実際罪を犯した人に報いが来る(バチが当たる)ものだと思っているのですが、報いを受ける人、又は受けない人がいるのは何故なのでしょうか?
例え罪を犯した人でも、その罪を深く悔い改めるなど自分自身に正直に向き合えばバチは当たらなくなる(因果応報という言葉から外れる)のでしょうか?
まとまりない文章で申し訳ありません。
よろしくお願い致します。
物事を悪いように考えてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
勧善懲悪はスカッとするけど…
”この言葉は罪を犯した人に対して使われる事が一般的かと”
一般的に大きな大きな勘違いをされているのがこの言葉です。
”因果応報という言葉から外れる”
ちょっと意味不明です。
例えば、ひまわりの種を植えればひまわりが咲き、チューリップの球根を植えればチューリップが咲きます。チューリップの花が咲くのを期待していたのに、ひまわりの種を間違えて植えてしまったとする。ああ、しまった!!といくら悔やんだところで、ひまわりの種からは絶対にチューリップの花は咲きません。これが【因果応報】です。しかし、間違えた事に気がついて球根を植え直せば、チューリップを咲かせることはできるかもしれません。これも【因果応報】
”報いを受ける人、又は受けない人がいるのは何故なのでしょうか? ”
ところで、あなたのおっしゃる【バチ】ってどんなイメージってなんでしょうか?あらゆる物事には、必ず原因と結果(報い)がセットでです。つまり、善行にも悪行にも結果的に報いがないという事は絶対にありません。だからと言って、あなたの胸のすくようないかにもな勧善懲悪の劇的な出来事が、あなたの望むタイミングで必ず起こるともかぎりません。
質問者からのお礼
転落院さま
お礼が遅くなりました事をお詫び申し上げます。
ご回答、拝読させて頂きました。
因果応報、についての意味を分かりやすく教えて頂き、本当にありがとうございます。
本来とは違う意味で理解していたようで、お恥ずかしい限りです。
そんな中、
『間違えた事に気がついて球根を植え直せば、チューリップを咲かせることはできるかもしれません。これも【因果応報】』
『善行にも悪行にも結果的に報いがないという事は絶対にありません。』
とのお言葉に深く胸を打たれました。
例え間違いを犯しても、人はやり直す事が出来る…
そんな暖かい未来も見せてくれる言葉だったのですね。
真摯にご回答頂き、本当にありがとうございます。
このお言葉は忘れません。