死刑
このほど死刑が執行されました。命をもってすれば罪を償うことは出来たのでしょうか?被害者及びご遺族の方は、少しは報われたのでしょうか?
無念の死を遂げた場合、心安らかに眠ることはできるのでしょうか?
私は命を奪った側の人間です。人間でなく愛犬のため、刑に処されることは
ありません。でも、どんな犯罪者より私は最低で自分が憎いです。
私は最期、殺害だろうが、事故だろうが、病気だろうが、苦しんで苦しんで死にたいです。その時に始めて、償える気がして、愛犬が報われる気がします。
それも本当はただの自己満足だとわかっています、愛犬の苦しんだ事実が消えるわけではないですから。 何をもっても償えない、どうしたらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しんでも解決できません。慈悲の心を。
あさがおさん、愛犬が亡くなれたこと、とても悲しいこととお察し申し上げます。
文面からは、どのようにして愛犬を亡くされたか分かりませんが、あまりご自身を責めないでください。これでは、一番愛していた愛犬が救われません。
仮に病気であっても、事故であっても、どのような亡くなり方であっても、生きとし生けるものには、一度は絶対にこの地上から去らなければなりません。
すべては寿命で亡くなるのであって、病気、ケガ、事故、災害どのような状況であれ、それはきっかけであり、たしかに原因になってかもしれませんが、やはり寿命です。
あさがおさんが、苦しんで苦しんで死んでも、何の意味もありません。それは愛犬のせいでそれを望むなら、愛犬が可哀想すぎます。亡くなったのちも、いじめるのですか?
それよりも丁重に心を込めてご供養してあげてください。
私のところにも、縁あって多くの愛犬愛猫、動物のご供養に来られます。
そして一番のご供養は、一緒に過ごしたことや、慰めや慈しみの時間を共有できたことに感謝してください。
「償い」は人間の幻想。「償い」なんてムリ。
仏教では、人間が頭で考える概念は「無我」である、「空である」と言います。
「償い」という概念・観念は、人間が頭の中で勝手に考えた、夢・幻のような実体の無いもの、言葉だけのものです。
ですから、最初から「償い」なんてムリ、「償い」なんて無いのです。
仮に、加害者がどんな酷い目にあっても、被害者の怒りの煩悩がおさまらないなら、被害者は「まだまだ償いが足りない」と言うでしょう?
仏教では、怒りの煩悩は悩み苦しみの原因と考えます。
被害者が怒りの煩悩をなんとかしない限り、加害者がどんな罰を受けても、被害者の悩み苦しみはなくなりません。
後悔も怒りの煩悩です。
あなたは、過去の罪に対して後悔(怒り)の煩悩を抱いて、自分で自分を苦しめています。
そんなことは止めましょう。
償いなんてムリ。
過去は過ぎ去りもう無い。
今すぐ、あなたは幸せになる権利があります。
幸せになってください。
幸せは心の中にあります。
誰も邪魔できません。
仮に死刑囚でも、仏教を学べば牢獄の中で幸せに暮らせ、幸せに死んでゆけます。
だから、刑罰で償いをさせるのとかも、意味ないのです。
一応法律上決まったペナルティがあるから、法律に違反したらペナルティを受ける。
それは、国民としてのルールを守るだけであり、それで償いができるわけでもありません。
結論。「償い」なんていう幻の概念に振り回されないで、あなたは今から幸せになりましょう。
償い
あさがお様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご自分をかなり責められておられるご様子・・誠に心配です・・
まあ、罪、悪業は、死をもって償うもの、苦しみをもって償うものではなく、慚愧、懺悔し、そして、善い行いに努め励むことにより、心と行いを清らかに調えていくことにて償うものでなければならないと存じます。
是非、これを機縁として、まさに上記の実践こそが仏教となります。
仏道を歩まれることをお勧め申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
法筵寺 鈴木海祥御住職様
ご回答頂きありがとうございます。愛犬は昨年6月熱中症のため亡くなりました。私が同室に居たのに熱中症にさせたのです。本当に最低です。確かに、愛犬を今もいじめているのです。あんな最期でなかったら、後悔と罪悪感で毎日死にたいと思いながら生きなくても良かったのにと。愛犬でなく自分の事を可哀想に思ってるだけですよね。昨夏と今日までクーラーをかけずに暑い中過ごして、水分を極力とらずに過ごしていました。せめてもの愛犬への償いのためと思って。意味のないこと、愛犬をかえって傷付けてしまっていることを教えて頂きありがとうございました。大好きな愛犬にごめんねばかりでなく、一緒に過ごした日々に感謝の言葉を捧げたいと思います。お言葉ありがとうございました。
願誉浄史 御住職様
ご回答いただきありがとうございます。償いとは実体のないもの、償うなんて無理。そんな風に考えた事がなっかったので、とても勉強になりました。私は加害者であり、被害者家族でもあるように思っていて、自分をとことん憎み続けていました。何をしても、愛犬を死なせたくせにという言葉が頭から離れず笑うことも一切許さず生きてきました。幸せになっていいのですね。後ろめたさはやはりあります。でもそう言っていただけてホッとしています。いつも苦しい顔で愛犬に手を合わせていましたが、少しずつでも笑顔を見せられたらと思います。本当救われる思いです。ありがとうございました。
川口英俊ご住職様
御回答ありがとうございます。そしてご心配頂きありがとうございます。心ばかりの懺悔はしてきたつもりですが、善い行いなど何もしていないです。ただ1日が過ぎ去るのをじっと耐えているそんな毎日です。愛犬にもう届けられない愛情を他者に向けなければと頭ではわかっていても、心が動かず、行動も起こせません。
善行を積んで少しでも償えるよう努めます。ご教授頂きありがとうございました。