優しく出来ているか不安になる
職場に後輩が入ってきました。
自分は新人の時に雑に扱われたり、
無いものとして扱われた経験が
あるため、
出来る範囲で力になろうとしています。
年が近いため、話もしやすく、
相談事に答える等、
良い傾向にあると感じています。
そんな後輩の日々頑張る姿に
刺激を貰いながら、自身も
仕事に奮闘しております。
しかしながら、
ちゃんと優しく出来ているのかと
不安になることがあります。
普通に会話していても、
責めているように
聞こえる時があるようです。
自身の言葉の選び方が
良くないと感じることもありますし、
後輩がネガティヴに捉え過ぎと
感じることもあります。
私自身出来た人間とは言えないため、
正直なところ、気を抜くと優しさが
抜け落ちていると感じる時があります。
前述しました通り、
私は配属当初、邪険にされた事が
あったので、後輩にだけは
そのようなことで
悲しませたくないと考えています。
邪険にした人達は正直
あまり好きになれないため、
自分も一度そのように思われると
もうダメと考えているのかも
しれません。
もう少し常日頃から
人に優しく出来るような方法
または心の持ち方等
何かアドバイス頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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プライドを捨てて不安も伝えてしまっては??
あなたが相手にとって優しく出来ているかどうかは置いといて、あなた自身が優しくしたいと願っていてることは素晴らし事だなあとお聞かせいただきました。
しかし人間中々そうは完璧にできません。それにいくら自分が完璧にしているつもりでもそれを相手がどう受け取るかは相手の問題です。
なので目指すところとしては「完璧な優しさ」ではなく「不完全な優しさでも許し合える信頼関係(時にはぶつかりながらでも)」でしょうか。
ですから、ここにお書きいただいたようなあなたの経験と気持ちをそのままお伝えされてはどうかと思います。そのあなたの気持ちはきっと伝わることと思います。
でも伝わったとしてもその時はその時。私たちの気持ちや考えというのは縁(えん)にしたがってコロコロと変わります。縁とは条件です。嫌な事があったり、体調が悪かったり、忙しかったりするとついついお互いに当たったり責めたりし合ってしまうことでしょう。
その時に許し合える、認め合える、支えられる、ぶつかってもまたそこに戻れる「関係」こそが、不安定な気持ちよりも確かなものではないでしょうか。
相手の趣向にもよりますが仕事以外のところでの関係(勤務後に飲みに行って仕事以外の事も話すとか)が仕事における関係に良い面をもたらすこともあります。まあリスクもありますが…。
完璧を目指すことも確かに大事です。でも人間はミスをするもの。優しくできない時もあるもの。
そうした時でもやっぱり「ありがとう」と「ごめんなさい」がきちんと言えること。その基本って大きいなと感じます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
不完全な優しさでも
許し合える関係を
目指したいと思いました。
邪険にした人達とも
そのような関係を築ければ、
と思いますが、
悪い経験が目に付きがちで、
中々許すということが
難しいなと思わされる次第です。
自身がそういった人達を
許すことで、変に優しさに
対する罪悪感を持たなくなるかなと
考えさせられました。