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執着心が酷いです

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有り難し有り難し 6

いつもアドバイスや意見を頂き、ありがとうございます。頂きつつ、やはり自分を向き合うことの甘さが原因で何度も同じことで悩みます。

どうしても自分を好きになれず、また人から好かれていないような気がして、それがずっと心をネガティブにしています。

第一に自分の容姿なんですが、それも含めて人間性もダメな気がして…。せっかく叶った海外生活も、そこで悩み躓き、人間関係を築く上で考えすぎてしまう自分がいます。

自分の容姿の悪さが、他人に不快な思いをさせているのでは、というのが幼い頃からあり…。
同郷と関わる際は自分の容姿の悪さで相手に迷惑かけていないか、という変な感じで関わろうとしてしまうんです。

特に若い子たちに対して、なおさらです。

私はどんなに頑張って化粧しても容姿が悪く、せめてものと思い、自分にできる部分で気を配っています。が、元の容姿が悪いので余計に自分が情けなくなり、周囲が自分よりも良いため、卑屈になっているのです。

そのため、容姿が悪いことを理由に人を自ら避けてしまい、また嫌われていると判断して落ち込むんです。つまり「容姿への執着」です。

つまり、自分のことばかり考えてしまい、相手への興味や意識が極端に少ないようなのです。私の話し方や態度から無意識に自慢やプライドの高さが出ているのかもしれません。

そのことに気づいたのは、たぶん、今回の海外生活からではないかと痛感しています。

というのは、他国の方は容姿ではなく、相手が持つ意見や人間性を見るというのが分かったのです(海外へは幾度と行っているんですが、恥ずかしいことに初めて今回意識したという…)。

そこにギャップというか、日本人特有である私が持つ外見コンプレックスが見事に砕けたというか。砕けた後に自分が思いこんでいた「容姿への執着」に対して揺らぎが出ているようで。

日本人と会う時は精一杯の見栄で自分を作らないと対応できないんですが、他国の方と話したりする時は見栄も何も要らずに対応できるんです。

不思議です…。

容姿へのコンプレックスは、実は自分もしくは自分の容姿への執着なんだと気づいたのです。

それでも執着せずには居られない自分がいるし、そこでまた悩み苦しみます。

容姿への執着がなくなればいいのに、といつも悩みます…。何かアドバイスなど頂けると嬉しいです。拙い文章で失礼します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

隔てを取る

それは良いことに気がつきましたね。外国の方と接した時にこだわりが取れたのですから、素晴らしいことです。
容姿についてのこだわりはもともとないものだということがわかります。あなたの中で一瞬にして作り上げるこだわりです。つまり、日本人、外国人と、分け隔てを起こす時に身構えるものがあるのでしょう。相手にどう思われても、本当は生活は変わりないのに、日本人だと思った瞬間に相手の気持ちが気になりだすのですよね。

大切なのは人間性です。一緒にいたいと思える魅力ある人か。笑顔の素敵な人、思いやりのある人、共感してくれる人は一緒にいて過ごしやすい人です。

外見のことはおいといて、外国人、日本人と隔てを作ってしまう自我の働きに手をつけず、素直な内なる人間性で勝負したらどうでしょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元様
お返事ありがとうございます。
結局あれから悩みに悩み、結局一人でいることに落ち着いてしまいました…。それでも一人で過ごすうちに、意外と気にしなくてよかったんだと気づくこともあり、なんだかなぁと思うこの頃です。
自分の心に隔てがあるから、きっと色眼鏡で私自身が人を判断していたんだなと痛感しています。
自分の心がどうなのか、見つめ直すいいきっかけになりました。ありがとうございます。

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