不安でしょうがないです
以前、検査が不安と相談したものです。
その後、色々と検査していますが、今のところなにも悪い結果は出ていません。
しかし、念のため、と言われてあと少し検査がつづきます。色々考えては、もうすぐに死んでしまうのでは、などと考えて元気が出ません。今日は検査のみでの来院なのですが、結果を聞きに行かずに済ませたいと思ってしまいます。一体どうしたらいいでしょう。色々と考え方をみても、死ぬことの怖さを乗り越えられません。
孤独も感じています。
父をガンで亡くし、いま義母もガン闘病中であり、弱っていくのを見るのも辛いです。
でも、どこにもこの不安をぶつけるところが無いのです。どうしたらいいか、毎日途方にくれています。お言葉いただけたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんな不安。でも、阿弥陀さまはそばにいてくださいます。
こんばんは。亀山純史と申します。
浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、『歎異抄』の中で
「浄土にはやく往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。(現代語訳)」
と仰っています。
みんなそうなんです。質問者のゆきあさんだけが、不安に思っていることではないのです。病院で検査を受ければ、その結果はみんなとても気になります。私も各種健康診断を受診すれば、その結果が毎回気になります。
さて、親鸞聖人はその『歎異抄』の中で、続けて次のように仰っています。
「果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです。(現代語訳)」
なぜ、浄土にはやく往生したいという心が生まれないかと言えば、それは煩悩の仕業だと仰っているのです。
でも、そのような私たちに対して、
「はやく往生したいという心のないわたしどものようなものを、阿弥陀仏はことのほかあわれに思ってくださるのです。(現代語訳)」
と仰っています。
つまり、少しでも健康面に不安があれば、オドオドしてしまう私たちですが、阿弥陀さまの慈悲は、そのような私たちにこそ向けられているということです。
阿弥陀仏には、病気を治すような力はありません。しかし、常にあなたのそばにおられます。もちろん、あなたのご家族、一人ひとりのそばにもおられるのです。
両手をあわせ、「南無阿弥陀仏」と唱えることを始めてみてはどうでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。少し気持ちが落ち着きます。両手を合わせてみます。