生
生きる意味が分からなくはありませんが、迷います。
私は無力です。誰かの光になることさえ、できません。
誰かの光になるひとは命を落とし、光になれない無力な私が生かされる意味が分かりません。
死にたい、そう思っても実行にはうつせない。生きる事を約束しているから自殺はしない。
美談です。いいえ、勇気や覚悟がないだけです。
とことん、情けない人間です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
…という考えをやっているだけなのです。
わたしなんて駄目だ…みたいなことを脳の中で思い起して、それをやっているんだ、私、と知ることです。
あなたがテレビの番組の制作者だとして画面下にテロップをつけ足すのがあなたの仕事だとします。
どうせ、できない。
わたしには無理。
わたしには人を照らす光になることなんてできない。
…という文字をテロップでいれたとします。
それは、その文字の入力をしている人がいるから画面上にそういう表示がされるのです。
つまりあなたは今自分で思ったことを思い描いてホントにそうだと思い込まされているのです。
自分が自分の脳を自分の思いで塗りたくる、バカす、あれこれ描くということがあるのです。
それが自分のパフォーマンスを発揮させない自分をDISる行為であると知り、そういうことをやっても脳内においては非生産的であるとしって、あまりそういうことを思わず、口にもせず、つぶやきもしないことです。
自分を苦しめるのはどこまで言っても自分の脳内ディスプレイに入力した自分の脳内言語・脳内テロップです。
テレビのテロップなしに実際の映像を眺めるように、実物を相手になさることです。
あなたが相手にされているのは、まだ実物ではなく「あなたが思い起したこと」「私はこう思う」「私が勝手にそのように思っている」という脳内情報・脳内テロップの側なのです。
それ無しにホントに実物を見ることです。
私見をさしはさまず、私見を優先させず。
常に念頭に置いて自分の思いを黙らせて第一次体感時点における本当のことを体感しましょう。人は体感していることに後から色々つけ足すのです。
その色々つけ足した方を相手にしているということを悟ればあなたは自分の思ったことを真実と思わなくなるでしょう。あとは現実が教えてくれるのです。
いつもと同じだと思っていたものがふたを開けたらまるで別物だったということが有るのです。
質問者からのお礼
丹下 覚元 様
お返事、有難うございます。
脳内お喋りを黙らせ今ある実物を見る。
犯罪にもならない、だけど忘れてはいけない事実が私にはあります。