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有り難し有り難し 25

生きる意味が分からなくはありませんが、迷います。
私は無力です。誰かの光になることさえ、できません。
誰かの光になるひとは命を落とし、光になれない無力な私が生かされる意味が分かりません。
死にたい、そう思っても実行にはうつせない。生きる事を約束しているから自殺はしない。
美談です。いいえ、勇気や覚悟がないだけです。
とことん、情けない人間です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

…という考えをやっているだけなのです。

わたしなんて駄目だ…みたいなことを脳の中で思い起して、それをやっているんだ、私、と知ることです。
あなたがテレビの番組の制作者だとして画面下にテロップをつけ足すのがあなたの仕事だとします。
どうせ、できない。
わたしには無理。
わたしには人を照らす光になることなんてできない。
…という文字をテロップでいれたとします。
それは、その文字の入力をしている人がいるから画面上にそういう表示がされるのです。
つまりあなたは今自分で思ったことを思い描いてホントにそうだと思い込まされているのです。
自分が自分の脳を自分の思いで塗りたくる、バカす、あれこれ描くということがあるのです。
それが自分のパフォーマンスを発揮させない自分をDISる行為であると知り、そういうことをやっても脳内においては非生産的であるとしって、あまりそういうことを思わず、口にもせず、つぶやきもしないことです。

自分を苦しめるのはどこまで言っても自分の脳内ディスプレイに入力した自分の脳内言語・脳内テロップです。
テレビのテロップなしに実際の映像を眺めるように、実物を相手になさることです。
あなたが相手にされているのは、まだ実物ではなく「あなたが思い起したこと」「私はこう思う」「私が勝手にそのように思っている」という脳内情報・脳内テロップの側なのです。
それ無しにホントに実物を見ることです。
私見をさしはさまず、私見を優先させず。
常に念頭に置いて自分の思いを黙らせて第一次体感時点における本当のことを体感しましょう。人は体感していることに後から色々つけ足すのです。
その色々つけ足した方を相手にしているということを悟ればあなたは自分の思ったことを真実と思わなくなるでしょう。あとは現実が教えてくれるのです。
いつもと同じだと思っていたものがふたを開けたらまるで別物だったということが有るのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元 様
お返事、有難うございます。
脳内お喋りを黙らせ今ある実物を見る。
犯罪にもならない、だけど忘れてはいけない事実が私にはあります。

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