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ひき殺しても尚(2)

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タイトル「ひき殺しても尚」の回の時には、なかなか父をうまく説得出来なかったので、次なる手を考えたのですが…

「お盆」というのをきっかけに、その亡くなられた方のお墓参りに行く、というのはどうでしょうか?

勤務中の事故だった為、事故処理や遺族対応などは全て会社の方々が行って下さいました。

遺族感情を考慮してなのか、ちょっとその辺りの理由についてはよく分からないのですが…

父は、一度もご遺族のところには行っておりません。

お線香どころかお墓参りにも一度も行っておりません。

一緒にお墓参りに行く、というのはどうでしょう?

今まで何もしてこなかった加害者が、勝手に(?)お墓参りをするというのは、何か問題があるのでしょうか?

今まで何も出来なかったのですから、せめて今、手を合わせて「安らかに…南無阿弥陀仏」とお祈りさせていただきたい、と思ったのですが…

そうしても良いのか、それともあまり勧められないのか、教えて下さい。

ちゃんと父には反省して欲しいのです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

難しく、もどかしいですね

トラスさんこんにちは。

前回のご相談で「私にはどうしても父の心が分かりません。」 とおっしゃっていましたね。しかしながら「ちゃんと父には反省して欲しいのです。」=(反省していない)とお父様の心をはかってしまってはいないでしょうか。

一人の人の命が失われてしまうという悲しい事故の当事者となりながら、そこに何らの反省もショックも悲しみもなかっとは私には思えません。

それと今の危険運転は全く別問題とはけして言えませんが、それでもって反省していないとしてしまうのは少し危ういかもしれません。

お墓参りは問題があるとは思いませんが、被害者感情としてどうなのかはわかりませんので、お盆など鉢合わせする可能性がある時期は少し外してみてはいかがでしょう。

そして、「お父さんがいくなら着いて行ってあげる」というスタンスではなく、「お父さんの事故については私がどうしても悲しいと感じてしまい、お墓参りに行きたいと思っているの。今度行くけどよかったらお父さんも一緒にどう?」と「トラスさんの問題」というスタンスでお誘いしてみてはいかがでしょう。

お父さんの問題はお父さんの問題。トラスさんが事故の事をお父さんの問題として考えて欲しいといくら願っても、それがお父さんご自身の中で問題にならないと行動は変わってきません。

お父様の葛藤や悲しみにゆっくりとお父さんのペースで向き合う必要があるのではないでしょうか?

もちろん危険運転は実際問題としてアウトなので、それはそれとして過去の事故の話は置いといて「お父さん自身が危ない」という心配と、「誰かに取っても危ない」という危険性を伝えていくしかないのかもしれません。

お墓参りにはトラスさん一人でしか行けなくても、お墓の様子や、そこで手を合わせて感じたことなどをお伝えしてみてもよいかもしれませんね。

トラスさんの中で問題となっている事と、お父様のそれとは違うという事は認めながら、「正しさ」の押し付けにはならないよう、「悲しみ」を共にしていきましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法様、おはようございます。お返事ありがとうございます。確かに、私自身の問題でもあります。でも、つい「反省して欲しい」と思ってしまうことが度々あり…今回の交通事故の件だけでなく、同時期に、父の弟のお嫁さんが乳癌で亡くなったのですが、その際にも、「◯◯さん(お嫁さん)のせいで、△△(長女)と□□(次女)まで将来癌で死ぬかも知れん!」「◯◯さんと結婚しなかったら、△△も□□もこんなに嫌な思いをせんで済んだんや!」と、亡くなったお嫁さんのことを悪く言って、周囲を不快な想いにさせたり…そういうことが重なってきますので、せめて際どい発言をするなら、よくよく考えてから言葉に出して欲しい、と思ってしまうのです。交通事故の後も、「あのオバサンが飛び出してきたせいで、ワシは働けんくなった!」「ワシはもっと仕事を続けられたはずや!」と怒り、腹を立てていました。『口は災いの元』ではありませんが、こうしょっちゅう周囲の人たちに不愉快な思いをさせていると、どうしても父に対して、「反省しているだろうけど反省し直て欲しい」と思うことが増えてしまいます。遺産相続の時も、要らぬことを言って、結局、妹弟に縁を切られてしまいました。
交通事故でお亡くなりになられた方のお墓参りは、吉武様がおっしゃったように時期をずらして、私1人でも行くつもりです。
「ゴールド免許証」を手にして、さらに強気になってしまっている父に対しては、何らかのかたちで話し合う機会を持ちたいと思います。
その時は、私も、自分の意見を押し付けることなく、怒り易い父の気持ちも大事にしながら、うまく話がまとまれば良いなと思っています。どうなるかは分かりませんが、やるだけやってみます!

追伸:『「正しさ」の押し付けにはならないよう、「悲しみ」を共にしていきましょう。』このお言葉を忘れぬよう、しっかりと自分の心に刻んでおきたいと思います。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ