hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
2019年のあなたを表す漢字 募集中

ひき殺しても尚(2)

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

タイトル「ひき殺しても尚」の回の時には、なかなか父をうまく説得出来なかったので、次なる手を考えたのですが…

「お盆」というのをきっかけに、その亡くなられた方のお墓参りに行く、というのはどうでしょうか?

勤務中の事故だった為、事故処理や遺族対応などは全て会社の方々が行って下さいました。

遺族感情を考慮してなのか、ちょっとその辺りの理由についてはよく分からないのですが…

父は、一度もご遺族のところには行っておりません。

お線香どころかお墓参りにも一度も行っておりません。

一緒にお墓参りに行く、というのはどうでしょう?

今まで何もしてこなかった加害者が、勝手に(?)お墓参りをするというのは、何か問題があるのでしょうか?

今まで何も出来なかったのですから、せめて今、手を合わせて「安らかに…南無阿弥陀仏」とお祈りさせていただきたい、と思ったのですが…

そうしても良いのか、それともあまり勧められないのか、教えて下さい。

ちゃんと父には反省して欲しいのです。

2018年8月7日 4:01

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

難しく、もどかしいですね

トラスさんこんにちは。

前回のご相談で「私にはどうしても父の心が分かりません。」 とおっしゃっていましたね。しかしながら「ちゃんと父には反省して欲しいのです。」=(反省していない)とお父様の心をはかってしまってはいないでしょうか。

一人の人の命が失われてしまうという悲しい事故の当事者となりながら、そこに何らの反省もショックも悲しみもなかっとは私には思えません。

それと今の危険運転は全く別問題とはけして言えませんが、それでもって反省していないとしてしまうのは少し危ういかもしれません。

お墓参りは問題があるとは思いませんが、被害者感情としてどうなのかはわかりませんので、お盆など鉢合わせする可能性がある時期は少し外してみてはいかがでしょう。

そして、「お父さんがいくなら着いて行ってあげる」というスタンスではなく、「お父さんの事故については私がどうしても悲しいと感じてしまい、お墓参りに行きたいと思っているの。今度行くけどよかったらお父さんも一緒にどう?」と「トラスさんの問題」というスタンスでお誘いしてみてはいかがでしょう。

お父さんの問題はお父さんの問題。トラスさんが事故の事をお父さんの問題として考えて欲しいといくら願っても、それがお父さんご自身の中で問題にならないと行動は変わってきません。

お父様の葛藤や悲しみにゆっくりとお父さんのペースで向き合う必要があるのではないでしょうか?

もちろん危険運転は実際問題としてアウトなので、それはそれとして過去の事故の話は置いといて「お父さん自身が危ない」という心配と、「誰かに取っても危ない」という危険性を伝えていくしかないのかもしれません。

お墓参りにはトラスさん一人でしか行けなくても、お墓の様子や、そこで手を合わせて感じたことなどをお伝えしてみてもよいかもしれませんね。

トラスさんの中で問題となっている事と、お父様のそれとは違うという事は認めながら、「正しさ」の押し付けにはならないよう、「悲しみ」を共にしていきましょう。

2018年8月7日 9:19
{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

吉武文法様、おはようございます。お返事ありがとうございます。確かに、私自身の問題でもあります。でも、つい「反省して欲しい」と思ってしまうことが度々あり…今回の交通事故の件だけでなく、同時期に、父の弟のお嫁さんが乳癌で亡くなったのですが、その際にも、「◯◯さん(お嫁さん)のせいで、△△(長女)と□□(次女)まで将来癌で死ぬかも知れん!」「◯◯さんと結婚しなかったら、△△も□□もこんなに嫌な思いをせんで済んだんや!」と、亡くなったお嫁さんのことを悪く言って、周囲を不快な想いにさせたり…そういうことが重なってきますので、せめて際どい発言をするなら、よくよく考えてから言葉に出して欲しい、と思ってしまうのです。交通事故の後も、「あのオバサンが飛び出してきたせいで、ワシは働けんくなった!」「ワシはもっと仕事を続けられたはずや!」と怒り、腹を立てていました。『口は災いの元』ではありませんが、こうしょっちゅう周囲の人たちに不愉快な思いをさせていると、どうしても父に対して、「反省しているだろうけど反省し直て欲しい」と思うことが増えてしまいます。遺産相続の時も、要らぬことを言って、結局、妹弟に縁を切られてしまいました。
交通事故でお亡くなりになられた方のお墓参りは、吉武様がおっしゃったように時期をずらして、私1人でも行くつもりです。
「ゴールド免許証」を手にして、さらに強気になってしまっている父に対しては、何らかのかたちで話し合う機会を持ちたいと思います。
その時は、私も、自分の意見を押し付けることなく、怒り易い父の気持ちも大事にしながら、うまく話がまとまれば良いなと思っています。どうなるかは分かりませんが、やるだけやってみます!

追伸:『「正しさ」の押し付けにはならないよう、「悲しみ」を共にしていきましょう。』このお言葉を忘れぬよう、しっかりと自分の心に刻んでおきたいと思います。

「死について」問答一覧

日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る