個人の救いを目指す宗派やお寺はないのでしょうか?
色々な宗派やお寺(センターも含)に通いましたが、それぞれ、念仏・座禅・護摩壇といったその宗派が継続されているやり方や修行法は知らしめてくださいます。
ただわたくし本人の救い(それ以前の個人の癒し)に関しては、全く触れられません。いや説法(説教)はなさいますが、個人までには掘り下げる法や仕様は皆無でした。
これは、わたくしの経路が特殊すぎたのでしょうか?それとも日本の仏教の特性なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いろんなところに出向かれ学ばれているのですね。それでも解決できないことがあるご様子。
どのような個人的な悩みがあるのでしょうか?
返信
原点的なものですか。
ハスノハは匿名で質問できますから、また気が向いたら、個人が特定されないような内容でお書きくださいね。
僧侶はまだまだ仏様にはほど遠い未熟な修行者ですから、あなたの悩みを解決することは難しいと思いますが、同じ時代に生まれて来たのも何かの縁ですからね。
ではまた。
布教対象の変化に伴った形
歴史を紐解いてみますと、仏教含め宗教は布教する対象者に合わせて形を変えてきました。
例えば、日本に初めて仏教が入ってきたときには、国全体を救いたいという権力者が仏教を求めました。それからというもの、唐から高僧を招き入れ積極的に仏教を取り入れ、貴族や皇族を中心に信仰され、貴族や皇族のニーズにあわせた仏教が育まれました。
また、かなり時代はとびますが、鎌倉時代には布教対象が武士や農民になったため、高度な教学は必要なく、とにかく今の現状から救われたいというニーズから、なるべく簡単に実践できる念仏や題目が信仰されるようになりました。このように、仏教は時代とともに、対象者とともに、姿形を変えていきました。
翻って現代社会をみてみますと、布教する対象は二三世帯→核家族→個人へと変化しています。従って、これからの時代は個人に必要とされる仏教、個人に特化した仏教が求められているのだと思います。
私がこのハスノハをはじめた理由も、そうした背景から一人一人にコミットして、仏教を伝えていきたいという動機からでした。宗教は人でなりたっています。人のニーズに答えなかった宗教で生き残った宗教は例がありません。
もし、Toshiさんがすっきりしない、悩まれているようでしたら、ぜひatukunn18@gmail.comまでご連絡下さい。少しでもtoshiさんの力になれたらとおもいます。
宗派の教えではなく仏教の教えを学べばよいでしょう
仏教よりも各宗派を売りに出す日本仏教の特徴だと思います。
日本テーラワーダ仏教協会をはじめとする(上座)仏教なら、宗派と関係なく、宗派以前の、お釈迦様の教えが学べます。仏教の教義を学ぶこともできますが、各人の悩みを解決する道もあります。尋ねてみてはいかがでしょうか。
他人頼みではうまくいかないと思います。
「私のこの悩みを仏教が解決してください」。
「わかりました。まず心を集中させて、自分の心の変化をただ観察してください」。
「いや、悩みを解決してくれればいいのです」。
「悩みを解決するために、あなたが自分の悩みの正体をまず発見しないといけないのです」
などという解決の仕方を、お釈迦さまやその弟子たちはしてきましたので。
自分の問題を解決するために自分でしっかり頑張る、仏教にはそのためのコツとかやり方だけ教えてもらおうという気持ちでチャレンジするとうまくいくと思います。
質問者からのお礼
有難うございました。改めて原点から考え直す契機となりました。ご縁があればメールさせていただきます。
有難うございました。改めて原点から考え直す契機となりました。ご縁があればメールさせていただきます。
三宅お上人 個人的な悩みというより、生まれて此の方、原点的な訳の分からないことです。とてもオープンには書けません。有難うございます。
藤本お上人 日本テーラワーダ仏教協会発行の本、 アルボムッレ・スマナサーラ師が、あまりに矛盾したことを書かれていたので、巻末のメルアドへ質問を送ったことがあります。もちろん「ナシのつぶて」でした。hasunoha(さん)のようにご回答をいただける会は有難いです。 BUDDHAは返信しないことをお教えにはならない、です。この一点で同協会を判断することはできないのでしょうが、まず仏教を標榜する団体は失格だと思います。
偉そう申しました、またBUDDHAから遠ざかるような言葉を発してしまいました。