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個人の救いを目指す宗派やお寺はないのでしょうか?

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色々な宗派やお寺(センターも含)に通いましたが、それぞれ、念仏・座禅・護摩壇といったその宗派が継続されているやり方や修行法は知らしめてくださいます。

ただわたくし本人の救い(それ以前の個人の癒し)に関しては、全く触れられません。いや説法(説教)はなさいますが、個人までには掘り下げる法や仕様は皆無でした。
これは、わたくしの経路が特殊すぎたのでしょうか?それとも日本の仏教の特性なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いろんなところに出向かれ学ばれているのですね。それでも解決できないことがあるご様子。
どのような個人的な悩みがあるのでしょうか?

返信
原点的なものですか。
ハスノハは匿名で質問できますから、また気が向いたら、個人が特定されないような内容でお書きくださいね。
僧侶はまだまだ仏様にはほど遠い未熟な修行者ですから、あなたの悩みを解決することは難しいと思いますが、同じ時代に生まれて来たのも何かの縁ですからね。
ではまた。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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布教対象の変化に伴った形

歴史を紐解いてみますと、仏教含め宗教は布教する対象者に合わせて形を変えてきました。
例えば、日本に初めて仏教が入ってきたときには、国全体を救いたいという権力者が仏教を求めました。それからというもの、唐から高僧を招き入れ積極的に仏教を取り入れ、貴族や皇族を中心に信仰され、貴族や皇族のニーズにあわせた仏教が育まれました。
また、かなり時代はとびますが、鎌倉時代には布教対象が武士や農民になったため、高度な教学は必要なく、とにかく今の現状から救われたいというニーズから、なるべく簡単に実践できる念仏や題目が信仰されるようになりました。このように、仏教は時代とともに、対象者とともに、姿形を変えていきました。
翻って現代社会をみてみますと、布教する対象は二三世帯→核家族→個人へと変化しています。従って、これからの時代は個人に必要とされる仏教、個人に特化した仏教が求められているのだと思います。
私がこのハスノハをはじめた理由も、そうした背景から一人一人にコミットして、仏教を伝えていきたいという動機からでした。宗教は人でなりたっています。人のニーズに答えなかった宗教で生き残った宗教は例がありません。
もし、Toshiさんがすっきりしない、悩まれているようでしたら、ぜひatukunn18@gmail.comまでご連絡下さい。少しでもtoshiさんの力になれたらとおもいます。

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おきもち

こんにちは。望月亮徳と申します。 宗派は日蓮宗です。なぜハスノハを...
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宗派の教えではなく仏教の教えを学べばよいでしょう

 仏教よりも各宗派を売りに出す日本仏教の特徴だと思います。
 日本テーラワーダ仏教協会をはじめとする(上座)仏教なら、宗派と関係なく、宗派以前の、お釈迦様の教えが学べます。仏教の教義を学ぶこともできますが、各人の悩みを解決する道もあります。尋ねてみてはいかがでしょうか。
 他人頼みではうまくいかないと思います。
「私のこの悩みを仏教が解決してください」。
「わかりました。まず心を集中させて、自分の心の変化をただ観察してください」。
「いや、悩みを解決してくれればいいのです」。
「悩みを解決するために、あなたが自分の悩みの正体をまず発見しないといけないのです」
などという解決の仕方を、お釈迦さまやその弟子たちはしてきましたので。
 自分の問題を解決するために自分でしっかり頑張る、仏教にはそのためのコツとかやり方だけ教えてもらおうという気持ちでチャレンジするとうまくいくと思います。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

有難うございました。改めて原点から考え直す契機となりました。ご縁があればメールさせていただきます。

有難うございました。改めて原点から考え直す契機となりました。ご縁があればメールさせていただきます。

三宅お上人 個人的な悩みというより、生まれて此の方、原点的な訳の分からないことです。とてもオープンには書けません。有難うございます。

藤本お上人  日本テーラワーダ仏教協会発行の本、 アルボムッレ・スマナサーラ師が、あまりに矛盾したことを書かれていたので、巻末のメルアドへ質問を送ったことがあります。もちろん「ナシのつぶて」でした。hasunoha(さん)のようにご回答をいただける会は有難いです。 BUDDHAは返信しないことをお教えにはならない、です。この一点で同協会を判断することはできないのでしょうが、まず仏教を標榜する団体は失格だと思います。 
偉そう申しました、またBUDDHAから遠ざかるような言葉を発してしまいました。

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

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回答数回答 1

一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ