父母の死にたいする恐怖と小さな子への嫉妬
はじめまして。私はまだ30前後ですが遅い子の為、両親が二人共70近い高齢です。
先日、実家の父が脳内出血で倒れました。不幸中の幸いで、命に別条はなく身体も動くようで、今は言語のリハビリをしています。
父と母に死なれたら、と思うと、気が狂いそうになり、どのようにこの気持ちを落ち着けたらいいのかわかりません。また、私からすると姪や甥、母からすると孫を可愛がっている様子を見ても、嫉妬の気持ちが湧き上がるのです。小さな子に対して。私はおかしいのでしょうか。
夜になると悲しく、朝起きてすぐも悲しく、どうしたらよいか分かりません。テレビを見て遊園地が出てきたら幼い頃父と二人でジェットコースターに乗ったことを思い出し、もう今の父とはジェットコースターには乗れないんだと思うと涙が止まりません。
取り留めのない文章になってしまい申し訳ないです。
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大事な 「生きる」ということを考える機会にしてくださった。
そうですか。。。お父さま、心配ですねぇ。
ご本人も、またこんな事が起きたらと、不安だと思います。どうか どうか、お支えしてね。
親というものは、私の前から いなくなるはずがない、いつでも味方、絶対の存在でありますよね。親って、居てくれるだけで、大きな支えですよね。誰にも、奪われたくないのでしょ。私の大切な親でいてほしいのよね。
ただね。生きているとね。
月日は移り変わり、時は流れていくのです。
私たちも、一日一日 老い、命尽きる日がやってきます。誰でもね。この私も、いつの日か、最期があります。
考えたくないよね。考えたら、悲しいし、辛い。苦しいよね。
でも、それが生きる ということなのです。
死 というものを、どう考えていくか。
仏教では、消えて無くなる とは考えません。
死後の世界。命の行方、仏様に願われて、生まれていける 生き方があると、説いています。
だから、私も、大切な人の別れを受け止めていける。命を 真剣に考えられる。死 というものに、向き合うことができています。
辛いけれど。悲しいけれど。
だからこそ、今をどう生きるのかを 問うています。
あなたは、どうですか。
気が狂う自分でいたくないですよね。
今、ご両親と、どのように過ごしますか。
誰にとっても、限られた命なんです。
歳の順に、死ぬわけではありませんもの。
私の命も、うんと先の話ではありません。
お父さまの、病が、大事な 「生きる」ということを考える機会にしてくださった。と考えていきましょう。
そして、悔いのないように、今出来ることを。伝えられる全ての気持ちを。
親子だから、通じることができますよ◎
そして、そして、見えない存在の仏様の力を信じて。手を合わせる あなたに なってくださいね。
そうすれば、どんな別れがあっても、仏様を通して、あなたは大切な人とずっと一緒なのですよ。