回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そんな言葉は手放してしまいましょう
以前のご質問から自分というものに迷っていらっしゃるのですね。
仏教では「自分に正直に生きなさい」とは説きません。
「自分とは何者なのか明らかにしなさい」というのが仏教です。
「仏道をならふというふは、自己をならふなり。 自己をならふといふは、自己をわするるなり。 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」
道元禅師の主著にみえるウチの宗派では最も有名な言葉の1つです。
仏教とは、自分とは何か習うことです。自分を習うとは、自分を忘れることです。このように書いてあります。
結局、世間で言うところの自分探しのような、自分を探し当て、創り上げるような方向性でいると、犬が自分の尻尾を追いかけて延々と回り続けるような終わりのない迷いのループに陥ってしまいます。自分の理想像やオタクになるという自分の属性に迷いを感じるのもそういうことです。
仏教とは、その先に心の平穏は無いのですよ、自分から抜け出す所に救いがあるのですよという生き方です。そういう所を感じていただくためには、坐禅会のような心の実践の場に通ってみていただきたいです。
ありのままの自分を
自分の長所も短所も、知らない領域もすべてひっくるめて認めてあげることです。
また、自分が精一杯頑張っても、できないことはできないと、きっぱりあきらめる勇気。
できることは、しっかりとこなしていく事です。
人からどう見られようが、やるべきことは不退転の覚悟で行う。
でもそれで、へこたれたならば、それも自分と正直に認めてあげる。
ただ、自分に正直にと、他人に迷惑をかけることは、それはうそつきになります。
正直を悪用しているだけ。
結論としましては、自分は孤独であることを知るという事です。
常に孤独であると認識していれば、人に左右されない、オリジナルの自分が仕上がるのです。
その中で初めて人との健全な関わりができ、自分に正直な道を歩ける。
少なくとも私は、そう思います。
時には、自分の気持ちとは異なる行動、発言をすることも大切。
こんにちは。亀山純史と申します。
自分に正直に生きている人は、赤ちゃんや小さな子どもです。嫌なものは「嫌だ。」と言い、自分の要求が通らないと泣いて、自分の要求を通そうとします。ですから、自分に正直であることは、必ずしも良いことではありません。正直に話すこと、自分の気持ちに正直な行動で、相手を傷つけてしまうこともあるのです。
私が思うには、時には、自分の気持ちが相手を傷つけてしまいそうだと思う時には、自分の本来の気持ちとは異なる行動、発言をすることも大切であると思っています。それは自分自身を欺くことではなくて、それだけ自分自身、人としてまだまだ未熟者である、ということです。
質問者からのお礼
自分を習うこと
自分を認めること
は理解できました。
まだ理解できてないところもあるのでまた質問してもよろしいでしょうか?
ご回答ありがとうございます。