諸行無常
この2〜3日、めっきり秋めいて今は風がそよそよと心地いいです。
そういえば蝉の鳴き声があまりしなくなりました。
季節も生き物も私も良くも悪くも諸行無常。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうだね〜
こうして、季節が変わるように、時は流れていくね。
人の気持ちも、そうなんだろうけれど、
私は 周りの人を大事に想い続けたい。
変わることのない、揺るぎない仏さまの願いのようにね。
蝉と言えば... 蟪蛄(けいこ)春秋を知らず
こんばんは。亀山純史です。
そうですね。ここ2,3日はめっきり涼しくなり、蝉の鳴き声も聞こえなくなりました。
ところで、蝉と言えば、次のような中国の故事があります。それは、
「蟪蛄(けいこ)春秋を知らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや」
という言葉です。「蟪蛄(けいこ)」が蝉のことです。「伊虫(いちゅう)」とはこの虫のこと、そして、「朱陽(しゅよう)の節」とは夏のことです。すなわち、この故事は、「蝉は春や秋を知らない。ならば、どうしてこの虫が夏ということを知っていることがあるだろうか。」という意味なのです。
蝉は夏の短期間しか地上で生きることが出来ません。ですから、蝉は春や秋という季節を知らないのです。では、夏という季節を知っているかと言えば、そうでもありません。「今が夏だ!」と分かるためには、「今は春ではない。秋でもない。そして冬でもない。」ということが分かることです。でも、春や秋を知らない蝉にとっては、「今は春でも秋でも冬でもない。」ということは分からないのです。ですから、「今生きている夏という季節も知らない。」と言うことです。
私たちの一生も、蝉のように短いものです。そして仏様の教えに出会えなければ、この故事で示された蝉のように、人生の真実を知らずに一生を終えてしまうと思っています。
閑(しずか)さや岩にしみ入(い)る蝉(せみ)の声
拝読させて頂きました。
そうですね、暑い暑いと言いながらもお盆が過ぎ去りここ数日は涼しくなりました。
そうですね
閑(しずか)さや岩にしみ入(い)る蝉(せみ)の声
芭蕉の句を思い描きます。
セミが鳴いているのに静かな風景、一見矛盾していますけれどもそのしずかな風景はどこにあるのでしょうね?
人の心の中なのか、仏様の世界なのか やはり何の憂いも苦しみもない円満な仏様の極楽浄土に思いを馳せているのでしょうかね?
人の世は移ろいやすく騒がしいものです。
質問者からのお礼
中田 三恵 様
そうですね。
変わりゆく事や物の中で、変わらない想いもありますね。
素敵な事を思い出しました。
有難うございます。
亀山 純史 様
春や秋を知らなければ、それはそれで済みますが知る事ができたら蝉の世界感も変わるかもしれません。
仏様の教えをお坊さんから教えていただく機会、無駄にしないように生きたいです。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
芭蕉の句も子どもの頃は、暗記をさせられる、それだけでしたが今になってみると芭蕉は、どんな想いだったのか考えさせられます。
本当に人の世は賑やかです。
話す人がいなくても脳内は賑やか。