失敗するのが怖くて、新しいことに挑戦できない。
こんにちは。
社会人一年目の者です。
私には、仕事とは別に、やりたいこと(そちらのほうがいつか叶えたい本当の目標)があります。
しかし、自分の中の「自己愛」や「プライド」が邪魔をして、なかなか挑戦することができません。
最近分かったのですが、私は自分が傷つく行為に対して非常に恐怖を抱き、それを避けてしまう傾向があります。大学生の時も新しいことに挑戦はしていましたが、主に人間関係においてとにかく「恥をかきたくない」「嫌われたくない」「自分はかっこいい人間として存在していたい」という思いが邪魔をし、うまくいきませんでした。これは、小学校~高校までとにかく勉強や勝負事において、上位をキープしてきたプライドがあるからだと思います。(今はそんなものなんの役にも立たないしさっさと捨ててしまえとは思うのですが)だから友達もとても少ないです。いないに等しいかもしれないです。
その後も似たようなことが続き、新しく出会った人間とは交流もそれっきりで、長続きすることもなく、もうこんな自分にうんざりしています。
「プライドは捨てろ」「恥も捨てろ」「理想を高く持つからそうなる」というのは嫌というほど言われて、いろんな本でも見てきました。だから、分かってはいるのです。でも、分かっているのに、捨てることができません。苦しいです。本当は仕事だけじゃなくて、もっといろんな世界を見たい、もっといろんな人間と出会いたいと思っているのに、いざ行動してみれば同じことの繰り返し。自己防衛の繰り返しで、前にまったく進めません。「こんな、恥もかけないぐらいのことということは、自分の目標ではないのではないか?」とまで最近考えてきており、もう自分は何がしたいんだか分からなくなってきています。何度も諦めようとして、けれど考えるのはそのことばかり。もう本当に滅茶苦茶なのは重々承知です。
こんな私の性格は、どうやったらコントロールできるのでしょうか。
自己愛や自己防衛を捨てて、次のステップに進みたいです。
どうか、アドバイスや喝をください。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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バックグラウンドなしに
いやー、勇気ある発言だと思います。私も実は、なまじっか小学校〜優秀で通してしまったので、「こんな素晴らしい俺って…」とプライドというか鼻高々で、「将来は日本を牛耳る」とまで思っていましたから、あなたのお悩みはよく分かります。
そんな肩書きとか歴史カンケーなく生きてみたいですよね。私なりの言葉で言えば「バックグラウンドなしに」ということです。
私が今までの経験で言える、「そんな環境」とは、
①農業。自分1人の力では到底やりきれないことに参加する。インターンみたいなのが流行っているようですよ。優劣を競う馬鹿馬鹿しさを感じるかも。
②外国。出身校を言ったって、「あ、そう」。です。リアルな問題にリアルに自分の意見で答えなければならず、これは日本の教育で重視されてきていないことなので、打ちのめされる可能性が高いです。でも、案外聞いてくれる・待ってくれるのですよ。その有り難みよ。
③お寺の修行。理不尽さ満載ですが、その中で「教え」がピカーと光のように感じる事があります。また、鎌倉仏教以降は「自分って結構ダメなやつ」というのがベースですから、「それを思い知った上でどうするか?」に先人が取り組んできた結果です。自分が「本当に只の思い上がりである」ということを見せつけられる(教えられる、ではなく否応なく気づかされる)体験になるかも知れません。
ということで、共通点は「今いるホームタウン・ホームグランドから離れる」ということですね。そして、「いずれ戻ってくるさ」という気持ちでいるとは思いますが、その瞬間は「もう戻れないかも知れない…」と、一応悲壮な気持ちになってみて下さい。その方が、シャンとした体験になると思います。
質問者からのお礼
佐藤様
お礼が遅くなり申し訳ありません。
1度離れてみる……。なるほど、考えたことがありませんでした。特に仏教の修行は気になっていたので、実際やってみたく思います。
そして、このタイミングで引越しが決まり、家にある過去に関するものを大量に捨てました。1度自分をリセットしてみて、過去に囚われることなく、住居も環境も気持ちも新たに過ごしてみようと思います。
この度はご回答、ありがとうございました!