母の自殺
中学3年生の時、母親が突然自殺しました。動機は今も分からないままです。
生前の母親とは仲が良いつもりでしたが、死んだ人間の事を考えても仕方ないと思い、なぜ亡くなったのか考えるのをやめました。
そして、亡くなって1年立たずに母親の顔や声や思い出を忘れてしまいました。
4年経った今では母親の事は滅多に思い出しません。仏壇に手を合わせることも、ずっとしてせん。
でも、たまにこれでいいのかなと思います。母親の事を思い出して辛くなることは無くなりましたが、人として冷たすぎると自分でも思います。
長くなってしまい申し訳ありません。
質問は、このまま母親の事を気にせず生きていけばいいのか、
それとも辛くても向き合った方がいいのか、向き合うって具体的にどうすればいいのでしょうか?
抽象的な質問ですみません。何かお言葉があればお待ちしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人は生きるために忘れることがある
『忘れる』という現象には2通りあります。1つは脳の記憶の貯蔵庫から消えてしまうこと。もう1つは貯蔵庫にはあるけど、記憶の検索(呼び出し)にエラーが出ることです。なんらかの病気があるなら前者の可能性もあるかもしれませんが、きっと後者でしょう。
心に強い負荷がかかり過ぎると、記憶の貯蔵庫の中で、さらに無意識BOXにしまい込んで検索できなくしてしまうことがあるそうです。(Edward E.Smithら『第14版 ヒルガードの心理学』倉敷印刷株式会社,2005,pp,370-371) そうだとしたら、あくまで私の想像ではありますが、お母さまのご生前に、よださまとお母さまがとても愛情にあふれていた裏返しなのではないかなと思います。
忘れてしまったのではなく、無意識の心が負荷の大きい部分にブレーキをかけてしまっているだけでしょう。大丈夫、よださまの心は冷たくなってしまったわけではありませんよ。きっと今でも愛しているからこそ、その愛をしまい込んでしまっているだけです。
この場合は心の負荷(=経験と結びついた感情)が和らいだときにだけ思い出されるそうです。いつかご自身が子や孫に生命を伝える時のために、乗り越えていただきたいと思いますが、焦らないで下さい。
自死なさった理由は分からなくて問題ないでしょう。私の友人にも自死した者がおりますが、彼は自死の直前にレーシック手術を受けていました。死ぬことなんて考えていなかったのです。私にも分かりませんが、何か衝動的なものなのかもしれません。
あえて辛い思いもなさらなくて結構です。ただ、自信を持ってお母さまと愛し合えていた、あのお母さんとお父さんの娘として生まれ育ててもらえて良かった、そう思えるような所を目指していただければと思います。
それは目指してどうにかなるものではないかもしれません。それでも年に数回、あるいは一度でも結構ですから命日かお盆、あるいはお彼岸にでも、どこかで折をみてお母さまの思い出話をお父さまから聴かせてもらってはいかがでしょうか。