お坊さんにはなったものの
私は寺の生まれです。長男です。
実家は檀家が多い大きなお寺で、歴史も古く、大変な期待の
もとに生まれました。
父は事業家肌で若くして住職になり、寺の普請を立て続けに成功させ
ました。私が仕事していた時には京都での出張が多く、月の半分以上いないほどでした。
そんな中、実家の寺の本寺の住職に父がなり、実家の寺を本格的に
継がなくてはならない矢先に私は病魔に倒れました。(こころの病気
です。)
以来十何年入退院を繰り返しながら、過ごしてきましたが、
ようやく最近病状は安定してきて、少し仕事も始めました。
一時期寺のHP作りなどもしていましたが、最近は寺の仕事は全然していませんでした。
というか、実務からは十何年遠ざかっています。
親も70過ぎなので、心配ですし、少しでも、寺の仕事を手伝えたらと思うのですが、「中途半端はだめだ。」と、なかなか復職への道は見えません。
どうしたらよいのでしょうか?アドバイスいただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにできることを
拝読させて頂きました。
そうですね、あなたができる範囲にてなさっていってはいかがでしょうか?
私も寺の長男に生まれましたが幼少の頃から心の病にかかっていました。
大学を出てから修行に行き資格を取ってそれからサラリーマンをして20年寺をㇹっておきました。その間も心の病でしたので通院しながら仕事をしていましたね。
そして43歳で寺に戻ってきましたね。
プレッシャーがかかってくることもありますが、様々な方々に助けて頂いて今お寺で働かせて頂いています。
あわてずにゆっくりと試行錯誤しながらあなたなりにお勤めなさるのでいいと私は思います。
仏様から見ればお寺の大小など本当にちっぽけなことです。
そして仏様やご先祖様はいつでもあなたを見守っていて下さいます。そして多くの方々が助けて下さいますからね。どうか不安はあるでしょうけれども気にしないであなたのできることをできる範囲で少しずつ誠実に進めて下さいね。
私もあなたを心から応援させて頂きます。
再度拝読させて頂きました。あんまり片意地張らずに気楽にやりましょう。大乗仏教は抜苦与楽です。興味が湧いてきたら勉強していければいいのです。
何にもしなくてもお念仏おとなえして仏様を信じればいいのです。
どうぞこれからも共に気楽にやりましょうね。至心合掌 南無阿弥陀仏
お寺の名前の通り私のお寺も時宗系の浄土宗寺院です。それはそれでお寺の歴史的経緯は大事ですけれどもお念仏の教えに変わりありません。法然上人の教えを受けとってお念仏生活していきましょうね。そもそも法然上人の時にはあのような巨大な伽藍はありませんでした。それよりも大きいお念仏の教えが完成したのですからね。私達は誰しもちっぽけです。共に信仰については自分に誠実に生きていきましょう。
心の病を克服しつつあり同じお坊さんとして嬉しく思います。
これまで様々な苦しみや悩みを経験した人ほど、他人の苦しみや悩みがよく分かるのだと思います。ですから、あなたならきっといいお坊さんになると思います。
ただ、大切なことは何かをよくよく考えて行動しましょう。
お寺のホームページもこれからの時代は必要となるでしょう。論文を書くことは自らの信仰を深めるためにも、布教の支えにもなるでしょう。
しかし、それよりも大切なことがあると思いますよ。
それは、お檀家さんの事を知ることです。
先ずはお檀家さん一人一人と会って話をすることです。
布教や法話でなくても世間話や近況報告でも何でもいいのです。話をすることで、あなたが話を聞いてくれるお坊さんだという良い印象を持ってもらうことが大切です。そうすれば、何か困ったことがあればあなたに相談し易いのです。
お檀家さんの事を知る事で、お檀家さんの力になってあげることができるのですね。
また、仏事に関しては、毎日の日常勤行が一番大切ですよね。日常勤行をちゃんと努めていたなら、葬儀や年忌の法要はちゃんとできると思います。
難しい事をする必要はありません。
お坊さんとして当たり前のことを当たり前に努めたらいいのです。
お父さんの真似をする必要はありません。
あなたはあなたらしい仏道があると思います。
念仏を唱えた私たちは極楽浄土に往生することは決定しているのですから、それまで自分にできる範囲でお坊さんの役目を果たしましょうね。
合掌
南無阿弥陀仏
追記
中途半端ではダメとありましたが、私達は煩悩多き凡夫ですから中途半端なのですよ。それでもいいのです。そんな中途半端な私達でもお念仏をお唱えするだけで救ってくれるのが他でも無い阿弥陀仏なのです。そのことを忘れないように。
また法然上人が比叡山を降りたのは何故か、一遍上人が日本中を遊行されたのは何故か、それは人々の苦しみを取り除く為ではないでしょうか。凡夫の私達でもお念仏により救われるということを説く為ではないでしょうか。
中途半端な自分を他者にさらけ出して、それでも救われるというありがたさを、お念仏をお唱えしながら共に味わいましょうね。
南無阿弥陀仏。
日常勤行をお勤めできましたか。
一歩踏み出せましたね。
四誓偈は法蔵菩薩の誓いですね。それと同時にこの誓いをお手本として精進したいものです。
質問者からのお礼
東 空誉 こうしょう 様
お言葉暖かく頂戴しました。私は大学在学中に資格を取り、更に本山に1年間行っていて、
戻ると即寺に入り、10年ほど勤めました。といっても、実家暮らしでしたので、仕事をしている
という感覚は今思うと希薄でしたね。そして、前の経過で15年たちました。
そうですね。見方を変えれば、本末制度なんてできたのも江戸時代ですし、檀家制度ができたのも
江戸時代ですものね。そこに縛られてはいけないと思いました。ましてや「僧侶の肉食妻帯勝手
足るべし」のお触れに至っては明治5年ですから。
極楽浄土の荘厳に比べれば、いくら大きなお寺の荘厳といえどちっぽけなことですね。
また大乗仏教の仏様は永遠の存在。阿弥陀様は遠くにありて近きもの。私の先祖は初代から
お坊さんだったらしいですが、今の寺に入ったのは戦前のひいおじいさんの時。
中世の在り方を映す同じ宗派の僧侶の方にコメントを頂けたのが何よりうれしいです。
肩の荷が下りました。寺のHP制作や開山上人の論文執筆の再開から始めたいと思います。
本当にありがとうございました。
再読させていただきました。ありがたいことです。
確かに坊さんの部分が刺激されたのか、ムツカシイことかいてしまったようですね。
悪い癖です。また大上段に振りかぶってみても仕方がないですね。
まずは、今日父に会いますので、仕事を始めたことや薬が減ったことなど
近況を伝えたいと思います。それだけでも、父は喜んでくれると思います。
父母恩重経を引くまでもなく。
四苦八苦も全部覚えたところで抜苦与楽を知らなければ宝の持ち腐れですね。
何もできなくても生きていていいんだよという優しさが法然浄土教にはあるような気がします。
これからも気負いせずにのびのびと生きていきたいです。一度はスポイルされた身ですが、
やり直すことは可能ですよね。きっと。
ただ一向に念仏すべし。南無阿弥陀仏。
三宅聖章様
違う視点からの意見にハッとさせられました。
見事に言い当てていますね。私が論理に走りがちで、それで若いころ心の病に苦しんだことを。
その通り。私が実家の寺で最初にした仕事は、檀家回りでした。月に100軒以上は回っていた
でしょうか?
今その仕事?に戻りたくても、親が私を檀家の前に出すことを躊躇しています。私は寺を離れて
暮らしています。
仏事に関しては日常勤行式が大事との意見頂戴しました。確かに儀礼法式や回向が加わっている
だけで、基本さえ大事にすればいいですね。
決定往生だけひっかかりましたが、これは私が時宗系の浄土宗であることをいいあてているんですかね.。
生けらば念仏の功つもり 死なば浄土に参りなん とてもかくても この身には 思い煩う
ことぞなき (とありたい)
南無阿弥陀仏
消えてしまって短く書き直しました。
東 空誉 こうしょう様
さらなる追記ありがとうございます。
そうですね。私たちは、歴史の流れとはいえ、本流の分流が合流したイメージでしょうか。
そもそも『選択集』にある聖道門浄土門の教相判釈から来ている浄土門主ですから、祖山(知恩院)はある統合されたイメージなのでしょうね。祖山といえば、私は法然上人の愛称(?)で元祖が好きです。念仏の元祖だから元祖なのです。
しかし、元祖だけに、本家とか本舗とか争いになっている気も。その広大な教えをそのまま受け取るのは正直無理なのかもしれません。
そういう意味では、西山派も時宗も真宗も広義の浄土宗?法然浄土教のうちに入ると言えるかもしれませんね。
今は大伽藍の知恩院も吉水の草庵でしかありませんでしたとか書いても歴史的事実とはいえ、皮肉にもならず空しいだけかと思います。
それで思い出したことがありました。私が実家の寺に入って間もないころ、将来について悩み、叔父に相談したことがありました。
叔父は「伽藍譜だ。」とだけ言い、私は泣きました。大伽藍を維持する重みをひしひしと感じて
いたからだと思います。
あまり具体的には書けないのがもどかしいのですが、察していただければ幸いです。
最後の励ましのメッセージとてもありがたかったです。ルーツや歴史は大切にしなければいけませんが、それに押しつぶされてもいけませんね。あまり気負わずやっていこうと思います。
ただ、自分がどういうお坊さんになりたいのか?わからなくなってきました。
お坊さんは寺をベースに教えを説く存在だと思ってきましたが、どうもそれだけではないよう
です。やはり寺を維持するには檀家が必要で、その檀務をこなして一丁前なのでしょうか?
法務と檀務は双輪なのでしょうか?これも日本の仏教がこれまで葬祭仏教だったから?
などと思いを巡らせています。
ありがとうございました。
浄土宗を信ぜん人は学問すべからず。但し念仏を信ぜんほどには是をすべし。(まあほどほどに)
南無阿弥陀仏
三宅聖章様
追記ありがとうございます。有難くて涙が出ます。
散心しながらも往生すだったかと思いますが、三心具足の念仏でなくても、 往生はできるとの法然上人の御法語を思い出しました。念仏すれば三心具足すると いう考え方だったような気も。いや三宅様御指摘なのはそれ以前の問題ですね。 中途半端な私たちでも救ってくださる願(第十八願)を法蔵菩薩であられた阿弥陀様が成就なされたからですね。また凡入報土を法然上人がお説きになったからです。 凡夫でも往生はできるとの法然上人の説は当時弾圧されましたが、地方に散った弟子たちに よって、教えが受け継がれたことを改めて感謝しなければなりませんね。
「中途半端ではだめだ。」ですが、私は「中途半端な気持ちでは寺に戻すことはできない。」との 親心だと思っています。信仰的なものではなく、生き方の問題ですね。それもまた車の両輪ですと 言われれば、仕方ないのですが。 今はだめでも、きっといつか花開くように思っています。念ずれば花開くは真宗的な表現です が、極楽の華台に上るのは今か先かの違いさえの違いですから。
私は時宗系の浄土宗ですが、一遍上人とは関係がないのです。まるっきりというと、一遍一向と同列に扱われた歴史もあるので一概には言えないのですが、同時期に一向上人という方がおられして、全国を遊行して歩かれました。一遍上人は西山派から出られましたが、一向上人は鎮西派から出られました。なので、一向上人の流れは浄土宗の流れに合流しているのです。
長くて分割したので、途中になりましたが、日常勤行式を十五年振りに唱えてみました。小僧の
時からの暗唱しているものですから、四誓偈が多少詰まったのと息が苦しいぐらいでなんとか
唱えられました。あとは継続ですね。