実父について
実父の顔も名前も何も知りません。
別に興味も無いし、その事を人に数度言ったことがあるんですが複雑...と困惑されるのが分かるし面倒なのでわざわざ言いません。姉にも1度しかあったことがありません。中学生の頃親や祖父母が姉と連絡を取っ手いた事が分かりました。
勝手に音信不通でなんのやり取りも無いものと思っていたのでその時はわざわざ私に隠してきた意味は何だ?と疑問に思いましたが姉といってもあったことの無い姉は他人だと思っていたのでそれ以上になにか思うことはありませんでした。
その頃一度姉に会いました。姉の年齢もその頃知りました。それまで名前しか知りませんでした。
兄弟はいるの?と聞かれる度姉に会うまでは一人っ子と言って、姉に会ってからはどうしようかなと悩み今は姉がいます、と紹介します。姉の年齢を聞かれても誕生日を知らないので今何歳か分からず適当に答えます。
親が離婚する子なんてざらにいるし別に珍しい事でも何も不幸なことだとは思いません。母は1人でも私のことをよく見てくれたし再婚してから両親は大切にしてくれましたし。
離婚する夫婦は沢山いるんだろうなと思いますけど子供が実親や兄弟の事を何も知らない例ってどのくらい有るんでしょうか。
それと普通は実父や姉について知りたい会いたいと思うものなんでしょうか。
私はネガのコミュ障で自分にも自信が無いので自分の妹がこんなのだということをなるべく知られたくないので会いたくないです。
こういう例ってどのくらいいるんでしょうか。悲観している訳では無いんですが自分の事なので知りたい....っと思っています。
拙い文章で失礼しました。宜しければ教えて頂けると幸いです...。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こういう例ってどれくらいあるのでしょう。
ただひとつ言えるのは、あまり人に知られたくないという事です。
自分がそうなりたくてなった訳ではないのに。
自分のせいではないのに。
何故なんだろうか、言いたくないのです。
顔も名前も年齢もわからない、実父、きょうだい。
血の繋がりがあるだけ。
ただ、それだけではありませんか?
気になるなら交流すればいいし、したくないならしなくていい。
血の繋がりがなくとも、しっかり育ててくれた存在があるなら、それが幸せというものです。
私は、伯父夫婦に育てられました。
実の父親の遺伝子はこの体内にあるのだろうけど・・・
生き方考え方、やさしさ等、すべて愛情をかけて育ててくれた、伯父の生き方を受け継いでいます。
遺伝子、血の繋がりって何なのか?・・・と思います。
私は「こういう例」のひとつです。
知らないきょうだいも複数います。
自分が悪いわけではないのに、知られたくありません。
知られたくないのに、実名、寺の名前、住所、写真まで公表しているのに、なぜ書きたくなったのか。
それは、同じ「例」の人であっても詮索されたくないと思ったからです。
自分は自分。
「こういう例」の人にはそれぞれの生き方かあります。