嫉妬に負けている自分を変えたい
質問よろしくお願い致します。
自分の人生は趣味や遊んでくれる同性の友人には恵まれ、豊かな物だと思っていました。
しかし、気付いたら周囲は結婚している人が増えていました。すると、自分は人生の落伍者なのではないかという不安や劣等感から、周囲に対して強い嫉妬心を抱いてしまう自分に気付きました。
醜い感情を抱く事に哀しくなり、惨めな思いがあります。それを周囲に悟られないよう、笑顔で周囲に接して、負の感情を自分の中に溜め込んできましたが疲れました。
強くありたい、心は美しくありたいと思う一方で、実際の自分の心の醜さとのギャップに押し潰されそうです。
それでもまだ理想の人物でありたいと望んでしまいます。自分は弱く、嫉妬心も強く、醜い人間であるという事を受け止められる強さのヒントをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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嫉妬していると感じる以前 ただ友達を見ているだけ
なぜあなたは、自分にレッテルを張りたいのですか。弱い人間だとか、醜い人間だとか。そんな根拠ないでしょ。本当に醜いのですか?
結婚することを勝ち組、結婚しないと負け組などとテレビなどでよく取り扱われていますが、あれは本当のことでしょうか。
大切なことは結婚をすることではありませn。お互いに支え会いたいと思える人に出会えばそのようになるし、必要としていなければそうならないというだけです。
誰かと比べ、こっちがいいだのあっちがいいだの、自分勝手な見方でどうのこうのやっていても何の意味もありません。考えの上での損得勘定にすぎません。
自分を磨き嫉妬心をなくすには、今の自分の身の回りのありよう、事実に徹して生きることです。誰かの顔と比べたり、背の高さ、体形を比べても問題を作り上げ自分で自分の首を絞めるばかり、人にどう思われるかなんて考えるだけ無駄です事実から大きくずれるのです。
もともと嫉妬なんていうものが存在していないことに気付いてください。ただ、友達が目の前に居るだけ。そこを見た後、話を聞いた後あなたがそこに価値判断を付け加え勝手に、嫉妬だなんだとやっているだけです。
本当は嫉妬なんてしてないです。あなたの耳は話を聞いても嫉妬なんてしませんよ。そうした誰をも当たり前に受け入れる耳の作用に学んでみてください。目も同じように、好き嫌いなんて言いません。そうした目の働きに学んでください。それが事実です。
質問者からのお礼
ありがとうございました。目から鱗が落ちた様に感じました。嫉妬をしていると思っていたのは、自分の価値観という勝手な物差しに当てはめてしまっていた結果なのですね。
なんだか気持ちが楽になりました。次に友人達を見る時には、友人から学び取りたい事を探してみるようにしてみようと思います。
心に響くお言葉をありがとうございました。