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プライド

回答数回答 1
有り難し有り難し 40

おはようございます。

私は高校3年生です。
12月から自動車教習所に通っています。

私よりも1、2週間後に友達が同じ教習所に通い始めました。
なので、私の方が少し進んでいました。
なので、その友達にどうだった?と聞かれて、こうだったからこうした方がいいよと、アドバイスを加えて話したりしていました。

しかし、先週から私の学校はテスト期間に入ってしまいました。

テスト期間中は教習所に行ってはいけないことになっているので、その日から教習所に行けていません。

しかし、その友達は私が教習所に行けていない間も通っていて、
とうとう私を追い越してしまいました。

友達が頑張っているのは嬉しいのですが、
プライドのようなものがあって心の中では追い越されてしまったことに悔しく感じてしまいます。

更に、この時期に入ると高校性を優先してくれるのですが、その場合、教習所の卒業に期限があるのです。

その友達に、昨日、卒業間に合う?と心配されてしまいました。
嫌味とかではないのはわかってるんですが、少しイラッとしてしまいました。

その友達とは仲が良いのでそういう感情はあまり抱きたくないのですが、

プライドは何故あるのでしょうか。
どうしたら、プライドを感じ無くなるでしょうか。
宜しければご意見、アドバイスよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マイルールをなくす

良かったですね。
抜かれたり、割り込まれたりで平気でいることが一番運転で大切な事だからです。
あなたはマイルールが強すぎです。
マイルールが強いと自己中心的な気持ちが強く表れて、暴走し、衝突事故を起こします。
あ、これ車の話じゃないですからね。
自分だけが走っていると思っている所があると思います。
自分のルールを持って運転すると赤信号や渋滞でイラつきます。
先に抜かれたり、追い越された友人にイラついたのもそこです。
「おさきにどうぞ」の精神を常に持っていてください。
人生を競争だと思い込んでいる人がいますが、今日からその考えを改めてください。
人生は競争ではなく安全運転こそが大切なのです。
あなたは、今回の事で軽い衝突事故を起こしてしまいました。
ですが、軽傷ですみました。
あるのはプライドではありません。
自分中心の運転ルール、走行ルールがあるのです。
それを無くして自分の安全運転だけを心掛けてください。
相手が暴走車、割り込み車、追い越し者であっても放っておける冷静さがあなたに問われているという事です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

忙しい中、わざわざ回答ありがとうございました。
マイルール…
確かに強いのかもしれません。

これからは、穏やかに、安全運転を心掛けるようにします。
もう衝突事故を起こさないように。
質問に書いてよかったです。
本当にありがとうございました。

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