宗派が違っても、、、
私は元々浄土真宗で、結婚しても浄土真宗です。
ですが、主人の母方の祖父が天台宗の僧侶でした。祖父はもう亡くなり、今は主人の叔父が
お寺を引き継ぎ僧侶をしております。
身内には相談しにくいのでこちらに相談させていただきます。
私が主人に出会った時には 義祖父は亡くなっていたのですが ここ最近 5年間排除していたテレビが引っ越しにより復活し、世の中の情勢を耳にし、目にして 天変地異、殺人、事故などで亡くなるニュースが絶え間なく流れていて
死について深く考える事が増え、そんな時、テレビの見る番組を制限し、空いた時間を 義祖父の執筆した本やなどを読む時間に充てるようになりました。
義祖父の本を読んでるうちに天台宗に興味を持つようになり 先日、義祖父が得度した延暦寺や、他 天台宗のお寺を廻って来ました。 仏像も大好きで 自分の守護本尊が大日如来様なので 延暦寺で大日如来様を目の前にした時は 感動というより 感謝 でした。 自分が矛盾しているようですが、宗派は天台宗が好きで なのに 私は浄土真宗、、、こんな矛盾 しているのが 自分でよくわからなくなり、
でも、元は インドの仏陀から始まっているのだし
問題はないのかな と思うのですが 宗教、宗派関係なく 好きなものは好き で構わないのでしょうか? 全ては自分の心の中に留めて 自己流の信仰をすればいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
応病与薬-私はどんな病か
ご相談拝読しました。私は浄土真宗(真宗大谷派)の僧侶です。
まず、宗派関係なく 好きなものは好きで構いません。内心の自由も信教の自由も認められていますから、個人が何を好きでいようが、何を信仰しようがそれは自由です。誰にも制限できるものではありません。
しかし、個人の信仰だけにとどまらない問題。例えばこれからいつかおとずれるかもしれない葬儀や法事や埋葬など「家」に関わる信仰の選びについてはご主人等とよくよくご相談いただく必要があるでしょう。
次いで、自己流の信仰をすればいいかどうかという問題については少し微妙な面があります。独学のみによる信仰は時に誤解やなんらかの危険性をともなう場合もあるので僧侶としては何らかの場(お寺やカルチャーセンターなどでの講座当)に参加することをオススメします。そういう意味では所属寺を選び、特定のお坊さんから法事等の機会を通して継続して学びを得ることは大事なご縁ともなるでしょう。
もちろんいきなりそこませ飛躍せずとも、まずはご自身で色々な教えに親しんでいただくことを全く否定はしません。
しかしそこで気をつけていただきたいのは、(基本的にはですが)教えや宗派に優劣があるのではない、ということです。問題は教えではなくこの「私」がどういう存在かということです。
釈尊の説法は応病与薬といわれ、病に応じて適切な教えを説かれました。ですから例えば風邪薬のような教えや傷薬のような教えのように内容や方法論は異なってきます。
そこで風邪薬と傷薬のどちらが優れているかを比べてもしょうがありませんし、あるいは風邪薬と傷薬のどちらが私は好きかということもあまり関係ありません。
大事な事は私はどんな病、どんな症状かということです。
つまり、私が救われるかどうかということを外さないように教えに親しんでいただければ、必然と宗派の選びも出てくることでしょう。
どんなにカッコイイことを説いている教えでも私が実践もできなければ私に効きもしないのであれば絵に描いた餅になってしまいます。
そういう意味では総合的な面をもつ天台教学から触れる事はけして悪いことはないでしょう。あなたが救われる教えに出会ってください。
宗派にこだわらず兼学なされては?
読ませていただきました。
宗派にこだわらず広く仏教を学ぶということは大事なことです。私は天台宗と浄土真宗のはざまにある浄土宗ですが。私は天台宗の教えからも学びました。大学で天台宗のお坊さんと一緒に学びましたしその中で天台のお坊さんの親友もいます。私の母は天台宗の大寺院(山寺立石寺)の筆頭塔頭の生まれで、仏教を総合的に見ることの大事さを教えてくれました。また私の祖母は浄土真宗の真宗西本願寺派の大寺院の代々檀家総代になっている家の生まれで念仏信仰の徹底さを教えてもらいました。
兼学(けんがく)という言葉があります。今のように宗派が固定化されたのは江戸時代のことで、それ以前はけっこう多宗派間も行き来があったのですよ。
かまいませんよ。
めぃさん、こんにちは。
かまいませんよ。天台宗的には(笑)。
浄土真宗系の信仰には、絶対他仏教の信仰を認めない信仰と、緩やかに認めない信仰があるようですが、ほとんどが緩やか派です。他の仏教を認めない、信仰させないという寺院は少ないようです。普通はお寺の檀徒運営を維持していれば何もいわれません。もし排他主義的な浄土真宗の信仰を勧めるならば、その実践は本人が認めた時からになるでしょう。本人がその信仰を受け入れない限り、信教の自由を侵すものになります。家の信仰ではなく、個人の信仰としてする場合は、あなたに相応しい仏教の教えを選べば良いのです。その中で幸せになるのであれば、何が仏さまが批判されるでしょうか。
一方、家の信仰を守ることも、家族としては大切な信仰です。特に仏事等は浄土真宗信仰にあわせて行われますので、ご主人と相談して、その家の信仰にあわせていけば良いでしょう。
浄土真宗の信仰を知るのも他の仏教信仰を知ることで、その特徴もわかります。特に比叡山は親鸞聖人が修行した聖地です。なぜ親鸞聖人が比叡山を下りて法然上人のお弟子になったのか。そういうところも仏教の教えの勉強にもなると思います。そういう意味で気軽に天台宗の教えも学んでくださいね(笑)。合掌
質問者からのお礼
ご丁寧な回答大変有り難うございます。
先程質問後 色々考えていたら
私はきっと 義祖父に会ったこともないのに
本を読み 好きになったのかもしれない
と思いました。 好きというのは 尊敬や親しみですね。
私は毎日幸せです。日々感謝しか生まれて来ません。ですがこれからまた 辛いこともあるだろうと思います。そんな時にまたきっと 自分に合った薬を探すのかもしれません。
私はちいさい頃から まず最初に仏壇に手を合わせに行く子でした。 それでも今まで深く仏教を学びたいと思った事はありませんでしたが
義祖父の本をきっかけに仏教を学びたい と思えた事に 感謝して これからも 宗派にこだわらず
毎日感謝して生きたいと思います。
ご回答心より御礼申し上げます。
感謝
染川住職
実はたまたま先程金剛座寺を インターネット上で拝見しました
是非一度伺いたいです。
というより 必ず伺います!
仏様の広い懐に甘えて
広い世界を見たいと思いました。
ご丁寧な回答 心より感謝いたします。