友人関係について
私には大切な2つ年下の友人がいます。
とても優しく気さくで何度も二人で旅行へ行きました。
今回は北海道旅行を二人で計画していました。
私は網走に行きたかったけどその子は旭山動物園に行きたいということで動物園にしましたし、
それなら私は小樽に行きたいといいましたが、その子は札幌市内をめぐりたいと言い、そうなりました。
旅行で訪れる先も大事ですが、その子とでかけて楽しい思い出が作れればとそれでいいと思っていました。
その子の誕生日も近かったので希望を聞いてちょっと無理して希望のプレゼントも用意しました。
震災で旅行がキャンセルになったのはしょうがないですが、
二人とも東京まで出てくるので、急遽東京観光しようということになりました。
もう出発まで2日しかないので、慌てて東京の行きたい所をピックアップして相談していたら突然その子が、
東京の友人宅に泊めてもらうから旅行2日目夕方からは別行動にしようといいました。
愕然としました。
あまりのことに戸惑っていると「あなたなら軽く泊まって来ていいよ!って言ってくれると思ったのに」っと言われました。
この子にとって私は都合のいい添乗員くらいにしか思われていないのだと思いました。
「どうしてそんなこと言うの?二人の旅行なのに」と聞くと「あなた本当に私の事が好きなんだね」と笑い声で言われました。
私はその子に初めて激しい怒りを感じました。
でもその子は本当にいい子で私によくしてくれた思い出もあるので、憎みきれない、許したい、元に戻りたいという気持ちもわいてきました。
私はその子への怒りを消し元に戻りたいです。
なのにどうしても怒りがわきます。
怒りを収めるにはどうしたらいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どちらも間違えではない
そういうこともあるでしょう。あなたのことがどうとかではなく、そのお友達も、東京に行くし会いたい人もいるのでしょう。
あなたの気持ちも分かります。楽しみにしていた分、残念なのもわかります。しかし、残念だけれど、相手に我慢させるのか。自分がありのままを受け入れて我慢するでもなく、問題なく予定変更して過ごすか。あなたがひたすら我慢してつまらない時間を過ごすか。しかないでしょ。
仏教は、我慢をする教えでもないし、自分の思いを押し付ける教えでもないです。ありのままを赦している自分という存在に気づく教えです。つまり我慢することなく、柔軟に生きる力があることを知ることでもあります。
あなたと友達、どちらが悪いどちらが良いということではなく、あなたが問題にしない生き方をするということです。
友達を責めてはいけませんよ。自分の思い通りにしようとしてもダメですよ。苦しむのはあなた自身ですからね。友達が好きな想いは伝えても、攻撃しては仲が悪くなるばかりですから、我の押し付け合いになるばかりですからね。どちらかが大人として生きることです。
質問者からのお礼
邦元さま
ご回答ありがとうございます。
「自分がありのままを受け入れて我慢するでもなく、問題なく予定変更して過ごす。」とのことでしたが、ありのままを受け入れることと我慢をすることの違いがまだ私にはわからず、私はまだまだ修行不足だということを痛感しております。
友人にはいっていいよと伝えましたが、私の様子がおかしいのに気付いたのかやっぱり行くのやめると言われました。
私はその子と過ごせても本当は行きたい(泊まりたい)場所があったろうにと思ってしまい旅行が楽しめそうもありませんが、これも修行と言い聞かせ、その時思った気持ちも否定せず吐き出さず過ごせるよう努めます。
ありがととうございます。