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茶碗割りと仏壇に供えるお花について

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度々此方でお世話になっております。

数年前、父が急逝し、葬儀などを終え、当時大学の試験も数日に迫っておりましたので、ここで単位を落としては折角苦労して大学に進めてくれたのに父に申し訳が立たぬ、と一時地元を離れ試験を無事終えて再度地元に帰った際のことです。

食事を作った際にあったはずの父のお茶碗が見当たらなかった為、親戚に聞いてみた所「茶碗は○○(私の弟)に割らせた」と返ってきてショックを受けました。
何やら「亡くなった人のお茶碗は双方共に未練を残さないために割らねばならない」と教えられ、寡聞にして知らなかったのでネットで検索し、出棺の際に作法慣習として存在することと改めて認識しました。

ですが、私としては追々気持ちの整理が着いてから供養なりして処分をと考えていたので勝手に割られたことに悲しさが拭えません。
元々父があまり物を持たない人なので、父関連のものが少なく、お茶碗も私にとっては大切な父との思い出の品でした。

いくら慣習とはいえ、父のお茶碗を割られた行為が父の物を酷く粗末に扱われたような思いがしました。また、それを当時小学生だった弟にさせたということにもなんて残酷なことを、と思ってしまいました。
数年経ってもまだモヤモヤしているので、どうか振り切るためのお言葉を頂きたく思います。

あともう一つ。普段仏壇に供えるお花はプリザーブドフラワーなどの加工花ではいけないのでしょうか。
盆・彼岸・正月など季節の節目はきちんと生花を供えているのですが、慣習や仏壇事に厳しい親戚からは「生花でないと駄目だ」と叱られます。

勿論供養としては生花の方がいいと思ってはいるのですが、生活ギリギリであまり余裕がなく、お花の値段や日持ちを考えても常に生花を供えるのは厳しいです。
お坊様方の考えはどうなのか気になったのでお聞かせ願えればと思います。

質問が複数で申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

形あるものは、いづれは・・

ご葬儀に関しては、地方の習慣や宗派の違いによって、千差万別です。何が正しく何が誤りかは正直誰も分からないと言っても過言ではありません。それほど違うのです。

あるお通夜の時の話です。祭壇の上に、お茶碗にご飯が盛られていました。そこに箸を立てるのですが、初めは2本だったのです。しかし、ある親戚がやってきて、箸は1本だといって抜きました。すると、又、違う親戚が、それは2本だとい言って、又、さしました。いや違うと、2本になったり1本になったりしてる内に、大きな穴となり、どちらも立たなくなりました。丁度、その時、菩提寺の住職が到着したので、親族が尋ねたところ「生前中何本で召し上がっていましたか?」と聞かれ、2本ですと答えると、それでいいのでは。と決着したそうです。余談になりましたが、このようなものでしょう。

さて、今回は、お父様のお茶碗が割られてしまった。これも、地域の習慣でしょうね。私たちの地域ではどの宗派も聞いたことがありません。
大変寂しい思いをされたことは残念ですが、形あるものはいずれは、消滅するということも自然の定めです。仮に瑞月さんが大切にされても、瑞月さん以外の方には、単なる古い茶碗となり処分されてしまうでしょう。お父様もそういう意味では、あまり執着されていないと思いますので、このことは忘れ頂くことが、お父様にとってもなりよりのことと思います。

仏事も、特にご葬儀に関しては、その時に声を大にした人の意見で流れが決まってしまうということが多いです。もちろん各宗派ごとに決まり事はありますので、分からない時は住職にお尋ねされることで安心できますから、遠慮なくお尋ねください。私たちもその方がいいのです。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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勉強になる問題ですねぇ

 御質問有難うございます。私たちの宗派(浄土真宗本願寺派)は葬儀の際には茶碗は割る事は行いません。一膳飯という言葉を聞かれた事はございますでしょうか。どうしても昔から「亡くなったら盛り飯」を行われている事がありますが、この一膳飯は葬儀のお別れの儀の際に中身のご飯を取り出して柩の中へ一緒に入れますが、これから旅に出る故人に対して、その旅路の途中にお弁当としてこのご飯を食べてもらいましょうという事です。その時お箸は棺に入れますが、茶碗は入れる事が出来ない為に割るしかなく、出棺の際に割るという事です。弟さまに茶碗を割られたという事で、モヤモヤされているのであればお父様の祥月命日に御仏壇にお供えされてお参りされてはどうでしょうか。また、菩提寺やお墓にお参りされる等の方法も良いかと思います。
 普段お仏壇にお供えする仏花ですが、プリザーブドフラワーではいけないのかという問題ですが、毎日生活をしていて、「命あるものはいつか終わりが来る」という事は忘れがちになっていますが、仏花をお供えする事はお参りする方の為です。命をいただいて生きる大切さを胸に刻むという事で、お供えさせて頂きます。今の時代本当に仏花が枯れたり水換えが出来なく、普段はプリザーブドフラワーでも良いかと思います。「仏花は生花でないといけない」という昔ながらの考えが残っていますが、今は本当に仏花の世話は大変だという事を伝えれば良いかと思います。仏花よりも朝晩にお仏壇にお参りされる事が大事かと思います。 合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
茶碗割りはそれほど一般的なことではないのが分かり、驚きました。ない地域・宗派もあるのですね。
いつも葬儀や法事などでお世話になっている住職さんからも葬儀などでお茶碗を割ってとは言われたことがなかったので、恐らく親戚の地域の風習だったのかもしれません。
御二方の言う通り、物はいつかは壊れるものと思うことにいたします。
そして仏壇に手を合わせることを忘れないようにしようと思います。
今度から仏事で分からないことも恥ずかしいと思わず、お世話になっている住職さんに訊ねてみます。

また造花についてもお答えくださりありがとうございます。
お花以外にできることはなるべくしてみようと思います。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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