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我を捨て去るべきか

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自分はイジメを受けていたこともあり自分に自信を持てない性格なのですが、それを克服しようとして正しい事を言えるようになろうとして、その結果言い合ったり、意見をぶつけ合う場では妙に突っ張るような性格になってしまいました。(普段の自信の無さ、卑屈さは改善できませんでしたが…)

それでもそれなりに生活していたのですが、先日友人に「お前はやっぱり我が強いところがある、直した方がいい」と言われてしまいました。

正しいと思うから、口にする。そうしてきたつもりでしたが、やっぱり頑固になっていたのだろうか、そんな自分はやはり疎ましく思われてしまっているのだろうか、と思い悩んでしまった次第です。

多少卑屈になろうと、我は捨ててしまった方が良いのでしょうか?自分の意見は横に置き、出来うる限り相手の意見を尊重する態度を取るべきでしょうか?
そうである場合、我を捨てるにはどういう努力をすべきでしょうか?
御教授願います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

我を捨てるのではなく正しさを捨てる

正しさとは危険思想の一種です。
いつの時代も自分が正しいという人間が戦争をします。
争いの始まりは「おれの正しさ」なのです。
正しさ、正義、マイルールは持つべきではありません。
この世は、一切が自分の願いや求めとはまるで無縁無関係に存在しています。
それがあなたのただしさ以前のこの世の大前提なのです。
我が強い、自分が強いという事は、あなたが握っている正しさ、正義、自分のその「正しさ」を曲げないことが問題です。
たとえば私が「オレの回答は絶対に正しい」とか言ったら「何言ってんだコイツ」と思うでしょう。
そう思われている事があるから、早めに引っ込めたほうが吉でしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

我が強い以前に、そもそも「正しさ」と言う物に縋ろうとしたのが間違いだったのですね。
確かに、理屈立てて考えて、自分の中で「正しい」と思ってしまっているが故に、意固地になってしまっていたところはあると思います。
「自分が正しいとは限らない」「そもそも正しさとは決まった形がない」と言う事を意識して、自分を作り替えていこうと思います。
御教授、ありがとうございました。

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