我を捨て去るべきか
自分はイジメを受けていたこともあり自分に自信を持てない性格なのですが、それを克服しようとして正しい事を言えるようになろうとして、その結果言い合ったり、意見をぶつけ合う場では妙に突っ張るような性格になってしまいました。(普段の自信の無さ、卑屈さは改善できませんでしたが…)
それでもそれなりに生活していたのですが、先日友人に「お前はやっぱり我が強いところがある、直した方がいい」と言われてしまいました。
正しいと思うから、口にする。そうしてきたつもりでしたが、やっぱり頑固になっていたのだろうか、そんな自分はやはり疎ましく思われてしまっているのだろうか、と思い悩んでしまった次第です。
多少卑屈になろうと、我は捨ててしまった方が良いのでしょうか?自分の意見は横に置き、出来うる限り相手の意見を尊重する態度を取るべきでしょうか?
そうである場合、我を捨てるにはどういう努力をすべきでしょうか?
御教授願います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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我を捨てるのではなく正しさを捨てる
正しさとは危険思想の一種です。
いつの時代も自分が正しいという人間が戦争をします。
争いの始まりは「おれの正しさ」なのです。
正しさ、正義、マイルールは持つべきではありません。
この世は、一切が自分の願いや求めとはまるで無縁無関係に存在しています。
それがあなたのただしさ以前のこの世の大前提なのです。
我が強い、自分が強いという事は、あなたが握っている正しさ、正義、自分のその「正しさ」を曲げないことが問題です。
たとえば私が「オレの回答は絶対に正しい」とか言ったら「何言ってんだコイツ」と思うでしょう。
そう思われている事があるから、早めに引っ込めたほうが吉でしょう。
質問者からのお礼
我が強い以前に、そもそも「正しさ」と言う物に縋ろうとしたのが間違いだったのですね。
確かに、理屈立てて考えて、自分の中で「正しい」と思ってしまっているが故に、意固地になってしまっていたところはあると思います。
「自分が正しいとは限らない」「そもそも正しさとは決まった形がない」と言う事を意識して、自分を作り替えていこうと思います。
御教授、ありがとうございました。