自分を受け入れるって、どういうことですか?
仏様の教えを解説した書籍などで、「今の自分を全て受け入れる」という文言を目にするんですが、自分を受け入れるってどういう状況なのでしょうか?
私なりの解釈を書いてみます。
・高みを目指すのをやめる
・理想の自分像を捨てる、あきらめる
・ダメな自分をゆるす
・自分はこんなもんだと納得する
どうもこの文言を素直に受け取れなくて…卑屈かも…恥ずかしいです。なんとなく、今の自分を全て受け入れてしまえば、人間の成長が止まる気がしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心(期待値)が現実より速すぎず遅すぎず。
今の自分の状態に不満(怒り)があると、苦しみが増えます。
小学生は小学生であることを受け入れ、小学生用の勉強をすればよい。
そうすれば成長して中学生になれます。
小学生である現実を拒否していきなり中学生の教科書を開いてもダメでしょう?
自分の成長段階をありのままに受け入れることは、成長しないことではないと思います。
心の期待値が現実の自分に寄り添う(並走する)方が、ストレスが少ないでしょう。
心が現実よりも速すぎず、遅すぎず。
とても難しいことですね。
そうですね。たしかに「今の自分を受け入れる」ってよく聞きます。又、私も言っているように思います。
すいすいさんんが思うような
・高みを目指すのをやめる
・理想の自分像を捨てる、あきらめる
・ダメな自分をゆるす
・自分はこんなもんだと納得する
ある意味そのようで、又、異なった解釈もあるかと思います。
高みを諦めてしまったり、なりたい自分を放棄したら、発展も向上しませんから、あきらめる必要はありません。
ダメな自分を許すというより、自分のどの部分がダメなのかを知ることであり、こんなものと至らないことに納得したら、それも成長が止まります。
このような解釈もあるかと思います。
様々な困難に出会った時、苦しい時、辛い時何か解決方法がないかと模索します。そんな時にこそ、現実の自分の立ち位置を知りましょう、ということでしょうか。
困難に状況になったのは、誰のせいなのかが問題です。他人のせいや、社会や環境のせいにしている間は、本当の意味での問題解決になりません。
そんな時に、まず、自分のすべて受け入れるとは、今の目の前にある現実を、誰のせいでもなく、すべて自分の原因と結果であると素直に受け入れなさい。ということで問題解決が始まると思うのです。
今の自分を受け入れるとは、すごく難しいことかもしれません。ありのままの自分をどれだけ、私たちは認めているかです。時には、都合のよいように解釈したり、又、理由をつけて自分自身で裏切ったりと、他人から裏切られるより、自分自身を裏切っていることを見つめ直しましょう。ということでもあります。そして、自分自身をどれだけ愛しているのでしょうか。
自分を受け入れるとそんな風にも思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
御二方のコメントを拝読し、肩の力が抜けたような、リラックスした気持ちになりました。
ありのままの自分を受け入れる、とは、自分が良い悪いの自己評価をして許すという話ではなく、いまどこに立っているのかを、色眼鏡をはずした素直な目で見つめるという事なのかなと思いました。だとしたら、私にもできるかもしれません。
大切なヒントをいただいたように感じております。願誉浄史さま、鈴木海祥さま、ありがとうございました。