人に嫌われるのを恐れすぎる性格の改善
悩みがあります。
私は人からよく「優しすぎる」と言われます。
たしかに人に優しくする事は心がけていますし、人が嫌がるようなことは絶対しません。しかし、最近は少々度がすぎてるみたいで、「優柔不断」「はっきりと言え」「偽善者」などと言われる事が多々あります。
多分、私は優しくしたいというより、嫌われたくないんだと思います。これには理由があり、過去の体験が原因になっています。その体験とは、昔人に理不尽な嫌がらせを何度か受けて、それが限界になって一度だけ反論して暴言を吐いた事があるのですが、逆にやり返され、暴力を振るわれた体験です。その上、周りの人は「お前あんなこと言うのか」などと言って私の暴言を指摘してきました。それ以来、悪口は言わないし、人に反抗もしなくなりました。しかし、段々と人に嫌われる事に過敏になり、いつしか自分の意見もろくに言えなくなってしまいました。そのせいで周りもイライラしてるのだと思います。これ以上イライラさせたくない、しかし何かを言って人に嫌われるのが怖いし、何より過去のトラウマが消える気がしません。今の自分を変えたいような、変えたくないような変な気持ちです。私はどうするべきでしょうか。
自分の出来損ないぶりに怒りでおかしくなりそうです。勉強するなんていう学生が当たり前にできる事が出来ません。何度も更生しては戻っての繰り返しです。もうこのまま一生に引きこもってしまいそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の信念を持とう
昔のアナタに代わりに言って差し上げます。
「よく理不尽な嫌がらせに反論した!お前は間違ってないよ!」
結果として痛い目にあってしまった…
でも、反論せずに今を迎えてたら、違った形で今のアナタに悪影響があったかもしれませんよ。
「怨憎会苦」という言葉はご存じですか?
これは仏教で説く四苦八苦の中の1つで「キライな人がいること(会うこと)」は「どうしようもない」ということです。
アナタがたとえどんなに優しくても、アナタを嫌う人は出てくるでしょう。
そしてアナタが嫌いになる人も現れるでしょう。
これが世の中です。これをまずしっかり胸に刻みましょう。
人に優しくする事はいいことです。
人が嫌がるようなことをしないのも間違っていません。
ですが、例えばお釈迦さまは「これ以上厳しい苦行は無駄だ」と思いそれを辞めた時、修行仲間に根性なしと扱われボロクソに言われました。
その後、自分の信じた道で悟りを得ました。多くの人を救いました。
嫌われるのに怯えて否定をしない優しさよりも、誰かを守れる・救える優しさのほうが上等だと思いませんか。
これからの人生、多少嫌われることがあったって問題ありません。
自分の信念を持ちましょう。
この機会に「仏教をベースにしたアナタの信念」を築き上げてはいかがでしょうか(^_^)
己れの人生ですから
拝読させて頂きました。あなたの過去のことがそうさせているのでしょうね。それほどあなたにとってはとても辛い経験だったのかと思います。人に対して優しいことは特に何も問題はないかと思います。人への思いやりのお気持ちを持って接することは望ましいことですからね。
とはいえ目先のことではなくその人のためにも何よりあなた自身のためにもこれから少しずつ見つめなおしてみて行動なさってみてはいかがでしょうか?
人生やり直しはきかないですし、様々な分岐点が必ず訪れます。それにはやはり自分自身のことはしっかりとじっくりと考えて判断しなければなりません、人の顔色ばかり見て行動していては本当に大事な時に誤った判断したり、後から深く後悔することもあり得るでしょうからね。その時に人のせいにしてしまっては余計自分の人生を後悔して生きなければならないと思います。
人間ですから間違いはつきものです。とはいえ人のことわせいにしてしまっては本当に自分の歩む道を間違えてしまいますからね。
本当に必要な時には自分自身の意志をしっかりと持って判断しましょうね。
そのような生き方が本当の優しさにつながるかと思います。
あなたがこれからの未来しっかりと見据えて自分自身で考えて判断なさりながらお健やかに成長なさっていかれて、見ないと共に仲良く豊かな毎日を送っていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きますね。