仕事に対するつらい気持ちのとらえ方
お忙しいところすみません、ぜひ相談させていただきたいことがあります。
仕事に対して次のような状況ですが、このようにつらく感じる中でも前に進まなければならないとき、仏教の視点ではどのようなに意味付けや救いの考え方をするものでしょうか?また、このような相談があった時、どのようにお答えするのでしょうか?
・今年になって仕事が非常に大変(過大な量+難易度の高さ+上司との関係の悪さ(人間的な相性の悪さ))になり、毎日仕事が苦痛で、朝起きると職場に行きたくない気持ちでいっぱいになっています。
・自分なりに仕事に向き合っているつもりですが、能力面で追いつかず、上司から圧力をかけ続けられています。
・他部署への異動を期待していますが、ここ数年間は見込めず、逃げ場がない状況にあります。
・転職や退職は、家族を養うため現実的ではありません。
・特に上司との人間関係の悪さが苦痛です。同僚の中では気の合う人もいるので、その人と仕事の相談や世間話をすることで、仕事の進捗も自分の気持ちもなんとか保っています。
ほとんどの社会人は、同じような状況にあっても耐えていると思いますので、自分の心が弱いのかなとも思います。
すみませんが、ご教授よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心と体の健康管理も仕事です
仕事をする上で先ず見なければならないのは仕事でもなく上司でもなく、何よりお客様です。
お客様の必要としているものは何か、それが一番大切です。
その次に、お客様に対して会社として何ができるのか、そして、その為にはあなたに何ができるのか、何をしないといけないのか、というような流れになるのです。
それを頭に入れて、目の前の仕事に向き合うのです。
ところで、組織というものは不思議なもので、気の合う人ばかりのグループは良い成果を上げれないことがよくあります。
反対に、気が合わない人ばかりのグループが良い製品を生み出したりすることが多いのです。
例えばあるフェラーリの日本人デザイナーはかつてアメリカの自動車会社にいましたが、アメリカで社員仲良く仕事をしていた時は良い車が作れなかったのに、フェラーリに転職して、それは激しい意見のぶつかり合いの中で苦労の末に生まれた製品はとても高い評価を得たと言っています。
会社組織の中には、どうも合わないという人が1人は必要なのであり、それは健全な組織なのです。意見がぶつかると辛いと思います。しかし刀鍛冶が鉄を叩くように、その衝突の中から新しい価値が生まれてくることがあるのです。
上司と人間的に合わない点はちょっと横に置いといて、仕事自体に対してはしっかり話し合いをして仕事を進めていきましょうね。
上司よりも、お客様の為、会社の為、社員の為のより良い意見を出せたら素晴らしいです。
ただし、仕事の量はあなたの処理能力を大きく超えてはいけませんよ。過労となり仕事自体ができなくなりますからね。
たくさんの仕事の中に重要度、緊急度、将来性、を分けて、必要のない事務は無くし、資料の作成も簡略化し、部下に回せる仕事は部下に回してくださいね。
仕事を全部こなしては決していけませんからね。
上司から、この仕事まだできてないのかと言われたら、スタッフ増やしてくれたらできるんですけどね〜と堂々と言い返したら良いのですよ。
心と体の健康管理も仕事です。残業時間は月60時間以内を守ってくださいね。
あ、仏教の話は何もしてなかったですね、すみません。
質問者からのお礼
ありがとうございます、「お客様のために」というご指摘にハッとなりました。「甘い!」とお叱りを受けるかと思いビクビクしながら読ませていただいたところでした。ありがとうございます。