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生きにくい…

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私は、10代の頃から良く「生きにくいな、、」とか「生きるのが辛い」と感じることが多くありました。
それは今も続いていて、最近になって今まで以上に辛くなってきました…。

意味もなく、毎日、何故か泣いてしまう自分。
泣きながら、余計に辛さが増す…。。

兄や妹には優しいのに、私にだけ厳しい両親…、学校でのいじめ、、うつ病、、友人の自死、、。

今まで色々ありました…
何が一番の理由で、自分が悩んでいるのか、
何が理由で生きづらいのか…自分でも整理が出来ていなくて、誰にも話せていないことばかりです…。
理由が分かっていないのに、生きるのが辛いって…思ってしまう私は変なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きにくさの正体

クラウドさんご質問拝見致しました。生きにくい、生きるのが辛い。この感情は決して変なものでも、忌み嫌うものでもありません。そして、生きにくい、生きるのが辛い人に、世間のいう常識や世間のいう成功とは違った価値観を提示しているのが仏教であります。私自身それに救われた一人です。世間では人間中心、常識中心、モラル中心、効率・能率中心、などなど様々なものさしがありますね。しかし、ものさしがあるということは、意識的・無意識的にも、そのものさしにあてがって物の良し悪しをはかることになります。すると必然的にそのものさしではかって「成績が悪い」「出来ていない」「性格悪い」などと否定したり、排除したりしようとする意識が出てきてしまうのです。そしてそういう一定のものさしの中で「世間」というものは動いています。そのものさしだけで、何の苦もなく、辛さもなく、疑問もなくいけるのならば、極端にいえば、その人に仏教は必要ないのかもしれません。しかし、そんな「世間のものさし」だけで生きていけない人も現実においでになる。というか私がそうでした。仏教は「出世間」の教えです。世間を飛び出し、世間と一歩距離を置き、世間のものさしと違ったものの見方、はかり方を教えてくれるものです。競争したい人だけ競争すればいい。勝った負けたではなく、競争に加わらないという手段を取ってもいいはずです。競争したい人だけ「どうぞご自由に」と競争させておけばいい。という価値観もあるのです。学歴、収入、一軒家、イクメンパパ。等世間ではさまざまな競争や対比であふれかえっています。企業も競争し、消費を煽る。SNSがそれに拍車をかけています。無意識のうちにそういった世間の常識や競争といったような「ものさし」に振り回されてほとほと疲れ果ててしまった。という人のために仏教があるのです。学校なんてどこでもいい。いや、行ってなくてもいい。毎日懐石料理が食べられるような収入がなくてもいい。おいしいものをではなく、おいしくものを食べればいい。一軒家をもてなくてもいい、雨風しのぐのが本来の家だ!とボロアパート生活を楽しむのもいい。イクメンではないけど、イケメンでもない笑とあきらめちゃってもいいんです。文字数が足りずに肝心の仏教のものさしを語れませんでした。(>_<)とにかく世間のものさしだけがすべてではない。ということはわかっておいてくださいね。

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有り難し
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