自分が人格障害だったと気付きました。
以前質問させて頂きありがたいご回答を頂いたものです。
また心が苦しくなり、お話を聞いて頂きたく再度お尋ねをさせて下さい。
前回の質問で、私は今まで自分は素晴らしい、特別な人間であると考え自分本意に生きて来て後悔していると相談させて頂きました。
数日前に、ネットで調べていたところ私のこの症状は自己愛性人格障害という人格障害の症状に見事に当てはまりました。
これは、自分に自信が無い為に、無意識的に自分は万能であると妄想し、他人を振り回して傷付けてしまう特性があるそうです。
私はきっとこの障害なのだと思います。
自分が無いのでその時に憧れている人などの真似ばかりしたりしており、言動に一貫性が無く矛盾ばかりしていたと思います。
恐らく、周りは私が人格障害だと気付いていたのだと思います。
前回の質問でご回答頂き、この世は縁により動いているので、過去の自分を責めすぎるのは良くないとおっしゃっていただき、また別のお坊様からは、これから謙虚に生きていけば良いとおっしゃっていただきました。
とてもありがたく、心の糧になりました。
しかし、今回自分がこの障害であったことはまさに晴天の霹靂でした。
この障害は治ることは難しく、年齢を重ねるごとに悪化していくそうです。
幸い私は自覚することが出来ましたが、考え方の癖はなかなか直らないと思いますので、また無意識的に自己愛的な行動を取ってしまうのではと不安で押し潰されそうです。
今までの行い全てが後悔でしかありません。
障害のことを気付いてから、心が重く何もやる気がおきません。
精神科を受診すべきなのかもしれませんが、その勇気もなく、こちらで相談させて頂きました。
この性格の悪い自分が本当に嫌です。
今まで傷付けてしまった人に懺悔したいです。
私でも幸せになることができるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
事実を大切にする人は救われます。思いを大切にする人は・・・
その障害と決めたのは誰でしょうか。
障害と名前がつくと何か変わりますか?
あなたのジブンというものを強く握った生き方が、自らを苦しめているのです。あなたは自分がないのではなく、ジブンを握ってしまっておられます。
考え方の癖のまえにその考え方を起こす前の様子を大切にするのです。
つまり考えとは、単なる考えに過ぎず、事実とは異なります。
例えば今、車がブーンと通って行きましたが、事実は「ブーン」でおしまいです。考え方はその直後に「うるさい」「またあいつか!」と事実の上に思いを乗せることです。つまり事実を曇らせるマボロシのようなものなのです。
あなたが気がつくべきは、障害というレッテルを貼ることではなく、事実に生きるということです。
目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で香ったもの、舌で味わったもの、体で感じたもの、全てその時っきりの事実です。
あなたは事実とその直後におこしたマボロシのような思いどちらを大切にしますか。事実を大切にする人は救われます。思いを大切にする人は苦しみます。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございました。
お礼を申し上げるのが遅くなり申し訳ありません。
たしかに、思いばかりに囚われるのではなく、事実を大切にして生きていければ少しは楽になるかもしれません。
まだまだその境地に立つのは難しいですが、そのような考え方をしていけるよう努力して生きて行こうと思います。