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良いことが思い出せません

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

お世話になります。

4年半前に19年半生活を共にした夫を亡くしました。夫の痕跡のある場所での生活があまりにも苦しく、周りとうまくやっていけなくなりました。それで生活の場を移し、人間関係も環境もすべて変え、なんとか今までやってきました。

なんとか自分なりの目標を見つけ、必死にもがいています。
友人と楽しいと思える時間を過ごせるようにもなりました。

夫の闘病期間は発症からたったの3か月でした。日に日に弱っていきました。

結婚生活は…子供に恵まれない、ということを除けば毎日とっても楽しく幸せでした。夫のことを大好きで、とっても尊敬していたし、一緒にいて本当に安心して、また楽しく過ごせました。

なのに夫が亡くなってから楽しかったこと、嬉しかったこと、という良いことが思い出せません。いつも脳裏に浮かぶのはただ見ているしかなかった弱っていく、苦しんでいる3か月の間のことです。

夢は時々見ますが、やはり苦しんでいるとか、夫がもうすぐ旅立たないといけない、とか、お葬式の夢などです。

夫が生きていたころは自分なりに一生懸命やっていたつもりですが、今になって「もっとああすれば」「もっとこうしておけば」と後悔ばかりです。

今も自分なりに必死にもがいているのですが、ここまで頑張っても夫はもう褒めてくれないのに、夫はもう帰ってこないのに、と思ってしまいます。前向き前向き、と言われるのもとても疲れます。もうこれ以上頑張れない、と思ってしまいます。
まとまりのない文章で申し訳ありません。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最期の三ヶ月は夫婦が力を合わせ困難を乗り越えようと頑張った時間だったと思います。
一番本気で夫婦が心を寄り添わせた
一番幸せな時間だった。

だから忘れられないんですよ。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます。そんな風に言ってくださる人は今までいなくて、「楽しいことを思い出すようにしないと」とか「そんなときのことばかり考えてないで」と言われていました。でも自分ではコントロールできません。
お言葉をいただいて、「そうだったのか。あれは辛かったけど一番二人で頑張った幸せな時間だったのか」と、初めて嬉しく思いました。あの三か月は私にとって宝物なんですね。嬉しいです。でもやっぱり悲しいです。ありがとうございました。

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