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人に嫌われているのに、自分を変えられない

回答数回答 2
有り難し有り難し 39

寂しいからなのか、年々、心が荒んでいって、人に嫌われていくのがわかります。
例えば、友人がしてくれた相談を内心「そんな些細なことで悩んでるなんて馬鹿馬鹿しい」と見下したり、人の仕事での成功話しや結婚話しを必要以上に羨ましく感じて妬んでしまっています。
言葉に出してはいないけど態度や雰囲気で相手も察しているようで、誘いを断られたり、ドタキャンされたりすることが増えています。
そして、自分が寂しい思いをしています。
自業自得なのはわかっているので、反省してなおそうと決意をするのですが、その場で瞬間的に抱いてしまう感情なので、なかなか変えることができません(態度に出さないようにしていますが、私が下手なのか、友人たちが聡いのか、察していると思います)
こんな自分に嫌悪感をいだきます。どうすれば自分を変えられるでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

価値観の共有

必ずしも価値観を共有する必要はありません。
いろんな感情を抱いてぶつかり合うことは避けられないのです。
どうしてもというなら自分から離れることです。

捨てる神あれば拾う神あり

あなたを理解してくれる人を待ちましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

フォロー。

無理して自分を変える前に確認したいことがあります。

相手のいいところ、嫌なところ、両方分かった上で接していますか。
ダメなことをしないように心がけることも一つですが、
何かやらかした時にするフォローも同じくらい大切です。
自分の行為に悪気がないことを伝えること。
そのために、反射的な自分のクセはお詫びする。
相手のいいところもちゃんと気づいている。
そんな態度が少しづつでもできるなら、無理して自分自身を変えなくても視点が変わり、生きる世界も変わってくるんではないでしょうか。

一生懸命生きているご自身が報われますように。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

質問者からのお礼

遅くなりまして、申し訳ありません。ありがとうございました。人をフォローするのが大事というお言葉、とても沁み入りました。
これからもがんばります。

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