死んだ祖先に声は届いていますか?
こんにちは。
私はお寺や神社に行くたび、自分のおじいさんやおばあさんに声をかけます。
母方のおじいさんとおばあさんは早くになくなりました。私が生まれるより前です。おばあさんは自殺だと聞いています。両親がなくなる中私を生んだ母は大変だったろうと思う反面、ずっとこの祖父祖母を許せませんでした。母が辛いときどうして1人にしたんだろう。母にはずっと逃げ場がありませんでした。勝手に後先考えず自殺したおばあさんが許せませんでした。結局、辛い自分から逃れるという自分の幸せを専攻して子を残して死ぬなど最低だと思っていました。しかし。大人になった今それほど、辛い状況だったという気持ちを察するようになり許すようになりました。今で言ううつ病だったようで急に亡くなったおばあさんをおいかけるようにおじいさんも亡くなりました。
父方のおじいさんは、離婚していました。なので私にはもともとのおじいさんと、再婚してやってきた血の繋がらないおじいさんがいました。
元のおじいさんは、昔はひどい暴力暴言をしていたと親戚や父が言っておりみんな近寄りませんでした。なので会うのも年に一度。会うたび、私には必ず「べっぴんさんになったね」と笑っていました。それしか記憶がないくらいです。死んだ時、おじいさんの家に帰ってきて、そしたら誰もいなくて。べっぴんさんだねと言ってくれる人がいなくて、年に一度しか会わなかったのにこんなにこんなに悲しいのかと涙が出ました。
血の繋がらないおじいさんは、私にとっては本当のおじいさん像という感じでよく会いました。
色々なストレスで泣いてしまう私に何も言わず手を握って一緒に寝てくれた唯一の人です。家族の中で唯一、私に親戚同士の悪口や愚痴を言わなかったとても優しい人です。なのに死ぬ二日前、余命宣告されていたおじいさんに会った時、私はきちんと挨拶できませんでした。死ぬだろうが実感が湧かず、どんな言葉をかければよいかわかりませんでした。死んだ時も棺桶にみんなのように手紙を入れられませんでした。最後、棺桶の体を触れて初めて、涙が出ました。何日も何日も。本当に大事な人だったことに死んでから気づきました。
いつも後悔しお参りするたび祈ります。そして私のことはいいからどうか、それぞれの子供を見守って愛してあげてと願います。私のことはいいんです。
今からお墓お参りに行きます。声は届きますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
声は届きますが、一方的なお願いばかりではいけません。
質問読ませていただきました。
大切な方をなくされた悲しみ、後悔、様々な感情が入り交じって苦しんでおられるのですね。
心中お察しいたします。
さて、大人になって、祖母を許せるようになり、祖父を本当に好きだった亜樹子さんの言葉、必ずや亡くなった方に届いております。
ただし、届いていたとしても、亡くなった方が亜樹子さんのお願いを叶えてくれるような境界に、次の命を受けているとは限りません。
ひょっとしたら、素晴らしい境界に生まれ変わって、人間界に大きな影響力を及ぼせる力を持っておられるかもしれません。
しかし、もしかしたら苦しみの世界に生まれ変わって、声は届けど願いを叶えるどころか自分の苦しみから抜け出すので精一杯かもしれません。
また、生きている方にお願いするのと同じで、自分がお願いをするのであれば、まずは自分が相手に何かをしてあげてから、お願いされた方がよいでしょう。
では、まず何をすべきでしょうか。
生きている方が亡くなった方に出来ることは、お寺で供養していただくことです。
しっかり供養してもらうことで、亡くなった方は功徳を得、苦しみの世界から抜け出すことが出来ます。もしくは、功徳を得ることでもっと素晴らしい世界に生まれ変わることが出来るでしょう。
その上で、しっかり亜樹子さんがお願いされるのであれば、必ずやその願いを聞き届けて下さるでしょう。
菩提寺などがあるのであれば、まずは一度ご相談なさって下さい!
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちや願いは必ず届いて参ります。そしてあなたや皆さんをこれからもずっとおじいさんやおばあさんは見守り続けて下さいますからね。
どうぞこれからも素直なお気持ちで手を合わせて真心を尽くしてご供養なさって下さいね。
いつでもおじいさんやおばあさんや多くのご先祖様方があなたや皆さんの幸せを仲良くお健やかに毎日を生きていかれますようにと見守り続けて下さいますからね。
質問者からのお礼
コメントありがとうございました。
そうか、生まれ変わりというのがあるのかとはたと気づきました。
一生懸命拝んだお墓のおじいさんは、もうどこかで知らない子供として生まれ変わっているのかもしれません。良いところに連れて行ってもらいなよ、と火葬の前にみんなでかけた言葉を思い出しました。
いつまでも、あの笑顔や優しさを忘れることはできないからまたお墓に行ってしまうかもしれない。でも、もういないのかもしれない。
そう思うとさみしいですね。
先祖にお願いすることはあんまりないです。
みんなが天国で幸せでいてくれたら充分です。
コメントありがとうございました。