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なぜか一つに決められないんですが・・・・

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離婚を機に 落ち込んでいたり 将来の不安になっていたんですが、朝の説法という番組で救われて 仏教に興味を持ち出しまして一年 坐禅やったり 護摩滝行やったり 読経したり 写経したり と毎週 どこかの寺院にいっては色々とやっているんです。ただ ここで少し疑問におもったんですが、滝や護摩は真言宗 坐禅は曹洞宗 臨済宗と 宗派も違えば お寺も7つぐらいを グルグルまわっているんです。(私の地元の青梅は古い寺院がとっても多いんです) 多分 私は仏教が好きでお寺が好き 尚且つ好奇心旺盛で一つに決められないんです。ただこの一年 振り返ってみて荒行やったり色々とあったが 果たして私は どこと深く付き合ってきたんだろうか?どの宗派の教えが自分のあったものか?などなど 色々と自分自身に疑問をもちました。みなさん宗派を決めたりした理由はなんでしょうか?私はミーハーなんで 空海って映画 禅って映画で この二つの宗派を特に力いれてます。あとこんなにあっちこっち行きまくっている人を住職はよくおもわないですよね?なにもいってこないんですけど


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拠り所となるものに出遇う ご縁に繋がれば嬉しいなと思います◎

私も お寺が好きですし、お城なんかの 歴史的建造物にも、惹かれます。
時代を越え、そこに存在する 大きな力や、深い想いを感じて、何宗だ、何派だ なんて関係なく、なんだか ゾクゾクしたり、不思議と落ち着いたりするんですよねぇ。

ただ、いろんな仏教を たくさん知って、深めていけばいくほど、自分が救われていくというものでも、ないような気がしますよ〜。求めても 求めても、見えてくるのは、私の深い闇であったりするのです。
お坊さんも、他宗派を学ばれるでしょう。もちろん私もそうですし、大事なことでもありますが。全体を見ることによって、この私が どこに立ち、どちらへ歩むのか、知るためなのだと思っています。
どの教えも素晴らしく、間違いはありません。
でも、いろんなものを まんべんなく信仰という形より、あなたが 本当に拠り所となるものに出遇う ご縁に繋がれば嬉しいなと思います◎

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、高校生の息...
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あれこれやっても結局、益なし(ホント)

あなたが仏道業界にあれこれ求めて結果として最終的にあなたが「どうなる事」が仏道の完成であるとお考えでしょうか。
A坐禅を永くできることでしょうか、
B滝に打たれて平然としていられることでしょうか、
C写経を一字一句間違えずに綺麗に書写することでしょうか、
D読経をして、その功徳にあずかることでしょうか。
今のあなたのままですと、おそらく、それらを全部やっても、それらが❝上手❞になるだけで終わります。別に黒帯も段位もありません。

※超重要※
※おそらくあなたは、仏道修行をするという事を、読経や写経、荒行、坐禅など❝仏道修行らしいことをすること❞だと誤解されておられる※のであろうと思います。

多くの一般人、マスコミ、僧侶でさえも、仏道とは念仏行、写経行、坐禅行…のように◎◎行というものを行ずることが仏道修行であると、思ってしまうのですが、実はそうではありません。
実はある事を誤解したままですと、何をやっても全部、間違いになります。
以前も紹介しましたが、お遍路さんから帰ってきた途端に夫婦ゲンカ、坐禅会、写経会から帰ってきた途端にイライラでは何のための仏道修行なのでしょうか。

鎌倉時代の名僧、道元は、「仏道をならうというは、自己をならうなり、自己をならうというは自己をわするるなり、自己をわするるというは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり」
簡単に言うと「仏道は、自己をならう道であり、自己をわすれ、自分と世界とが等しく融和することを主眼とする道」(意訳)であると説いておられます。

もっと簡単に言うと「自分を究める道である仏道とは、自分意識をポインチョし尽くして、こちら自分側ではなく、目の前の事実の外側から、悟りを与えてもらう世界」です。
この故に、仏道は❝てならいごと❞ではありません。
日常、盛んに働かせている自分じぶんジブン、オレオレ、マイマイした自分意識、自分濃度を下げ、自分を運ばず、外から❝悟らさせてゆく❞道なのです。
この事を念頭に置かれれば、何をなさるにしてもきっと菩提が成就することでありましょう。
多くの方が、この点を誤解されておられますので、あえて遅ればせながら回答させて頂きました。(^o^)

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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ハシゴOK(…と思います)

まつくんさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

ご覧になっていたテレビは、テレビ朝日の「きょうの説法」というコーナーでしょうか。hasunohaの中では、増田俊康さん、和田隆恩さん、西原龍哉さん、あと私が出演させて頂いていましたが、残念ながら今年9月で番組が終了してしまいました。
もしこの番組でしたら、30歳代という若い方がご覧になり、少しでも気持ちが救われ、そして仏教に興味を抱いて頂いたことを、とても嬉しく思います。

さて、「一つに決められない」とのことですが、特に問題は無いと思います。宗派は違えど「仏教」という魅力あるものに出会えたのですから、お寺や宗派を超えて様々な体験をされて良いのではないでしょうか。

私は、実家は一般家庭ですが、親戚が浄土真宗のお寺で、その縁で僧侶になりました。
でも機会があれば、他宗派の教義を学んだり、修行を経験したりしています。たとえれば、本籍地である日本を大切に思っているけれど、色々な国に興味があって旅行してみたいと思う、という感じでしょうか。最近では、それぞれの宗派の魅力や考え方もわかるようになってきました。

7つほどのお寺を回っている、いいじゃないですか。各お寺のご住職も、仏教に何の関心も持ってくれない方より、まつくんさんのような熱心な方を好意的に見ていると思います。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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八万四千の法門

まつくん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生におきましても、あまり宗旨宗派で分けて仏教を捉えようとはせずに、まずはできるだけ総合的に仏教の学び進めることに鋭意精進努力中でございます。

仏教、お寺がお好きとのことで、誠に尊く、有り難いことでございます。

この一年において色々と学ばれて、体験なされての中で、もちろん、今はまだ一つにお決めになられなくても全く構わないかとは存じます。

とにかくお釈迦様の教えは、八万四千の法門があると例えられておりますように、人々の迷い苦しみに応じて、巧みなる方便により説かれたものであると言われています。まさに六十億人いれば、六十億通りの迷い苦しみがあり、それに応じた教えがあってもおかしくないことでございます。

その中で、まつくん様にとって合う教えもあれば、合わない教えもあるでしょうし、その時々の時期や環境、心境の状態、学びの進め具合などによっても、合う、合わないも出てくるのではないかと存じます。

そのため、まずはどのような教えがあるのか、各宗旨宗派の教えを総合的に学ばれて、その上で自分に合う教えを見い出されていかれるのも宜しいかと存じますし、また、「ご縁」としての「仏縁」も一つ一つ大切になさられた上にてお考えになられるのも良いかとは思います。

そして、先にては、自分の迷い苦しみを対治するためだけということではなくて、多くの他の迷い苦しみにある者たちのためにとして、仏道を学び歩まれていかれることとなりましたら、誠にこの上ない善いことになるのではないかとは存じております。

御礼を拝見いたしまして・・十善戒、守るのは難しいですが、とにかく諦めずに守ろうと努力することが、まず何よりも大切です。拙生ももちろんまだまだです。とにかく、他に迷惑を掛けないという善い行いと他の役に立つ、他を利する善い行いの二通りを実践していけるようにしっかりと調えて参りたいものでございます。是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

増田俊康さんのところで年末奉仕にいきます。なんと吉田健一住職にメールを送ったのがご縁でした。朝の説法は DVDに起こし テレビみてスクリプトしてノートにとめて 自分なりの感想を毎日かいてました。いつかは自分でも悩める人にこの教えを説くためにです。それには理解し自分の言葉や体験をと思いました。9月で終了したのは残念でしたが あそこに出演されている方は、みんな自殺防止の僧侶の会ですよね?本当仏教の教えはすべての悩みを解決する 大変高度なツールだと思ってます。浦上住職の言葉も家に帰り しっかり勉強します。

おくればせながら御回答ありがとうございます。そうですね 今はとにかく 自分の興味のままにどんどん突き進んで行きたいと思います。

中田住職様 御回答ありがとうございます。

求めても 求めても、見えてくるのは、私の深い闇であったりするのです。→同感です。毎朝 真言宗ですが 勤行をしてまして、読経中 十善戒でいつも思うんですけど  私はこれを守れているのか?と自問自答するとやはり守れて20パーセントもないことに 苛立ちがあったり 終いには お坊さん同士のお寺って環境だから守れるだけであって、一般の世の中では 目標であって実践は無理 なんて思ってしまうんですけどね。こうなると まだ信仰がたりない 学びがたりない と思ってしまったり・・・・。でもこうして 仏教に興味持ち出したのも 一年前からですから 色々と広く学び 来年は そこから深くいこうと 目標をもつことにしました。常に開かれている 仏門 私もお寺が大好きです。

中田様、

いろんな仏教を たくさん知って、深めていけばいくほど、自分が救われていくというものでも、ないような気がしますよ〜。求めても 求めても、見えてくるのは、私の深い闇であったりするのです。

それは本当に 自分も思います。でも自分の闇を認め懺悔していき 同じ過ちを繰り返さないように たとえば イライラするのをやめたりと小さな一歩ですが 一日一日が積み重なり 一年振り返ってみたら 人脈も変わっていたり おもしろいものですね。

御回答ありがとうございます。

丹下 覚元 さん ありがとうございます。私もそうだとおもってますよん。と同時に丹下 覚元 も自分がおっしゃった事と同じ事をなやんだ時期があるのではないか?と思いました。だからすごく重く心に響きましたありがとうございます。

「仏教宗派について」問答一覧

私の仏教の修行に対する不安

拙い日本語をお許しください。私は外国人です。私は30年ほど前から仏教に興味を持っています。しばらく前に、正式に真言宗の在家信者になりました。私は高度な密教の儀式を実践する資格を持っていませんし、僧侶でもありません。しかし、平信徒には毎日の勤行の儀式があります。私は様々な真言や祈り、般若心経などを唱えることを求められています。 私は、善良で勤勉な在家仏教徒になりたいと思っています。近年、私は法然上人、親鸞聖人、浄土についてよく読んでいます。これは私を強く感動させました。私は心の中で、ただ弥陀仏に身を委ね、念仏に頼るべきだと思うようになりました。在家信者として仏教に貢献していますが、自分は弱くて罪深いと感じています。私のような者には、シンプルな修行や念仏の方が適しているようです。 真言宗の方のご機嫌を損ねないようにしたいと思います。真言宗在家信者として修行する機会を与えられたことには深く感謝しています。 しかし、毎日の勤行の儀式については疑問と倦怠感を感じています。この修行をやめて、ただ念仏を唱えることはできないのでしょうか?それとも、一生、毎日、真言宗の勤行の儀式を続けなければならないのでしょうか?最終的には、個人的な感情に関わらず、必要なことは何でもしたいと思っています。しかし、私の気持ちは強力です。不安と恐怖を感じているので助けてください。

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子供の供養のことで悩んでいます

娘の供養 これでよかったのだろうかと悩んでおります。 ご指導ください。 (経過) 若い頃(約50年前)生後3ヶ月の娘を亡くし、親戚の人にお坊様を紹介され葬儀を行いました。家が真言宗だったので真言宗の仏壇を購入し、娘の位牌を収めました。また、公営墓地の永代使用権を取得し、お地蔵さんを建てて納骨供養をしております。 娘が亡くなって1年後に私どもは転居し、そのお坊様との付き合いもなくなりました。その頃やっと気がつきました。そのお坊様が浄土真宗の方で、我が家の宗派(真言宗)と異なること、法名・戒名が異なることに。 その後転居先で真言宗のお寺様を探すのを怠り、現在までお付き合いしているお寺様はありません。毎年お盆になると家族みんなで仏壇の前で「般若心経」をあげ、その後墓参りに行っていますが、僧侶によるお勤めや回忌法要などは営んでおりません。 最近、浄土真宗と真言宗では教義が大きく異なることも知りました。 気がかりな事がございます。ご指導ください。 (仏壇のこと) 我が家の宗派は真言宗です。 現在、真言宗の本尊が祀られた仏壇に浄土真宗で葬儀された娘だけが祀られており、位牌、過去帳には「釈尼○○」と記載されています。現在もお付き合いしているお寺さまはありません。将来私ども夫婦が亡くなったときは真言宗による葬儀・供養を考えています。 ①真言宗の仏壇に浄土真宗で葬儀・供養された娘を祀ることは問題ないのでしょうか。 ②将来私ども夫婦がなくなったとき、真言宗の仏壇に真言宗と浄土真宗の仏が祀られることになりますが、宗派による教義の違いは問題ないのでしょうか。 ③お盆などに真言宗のお坊様にお参りしていただいたとき、娘も供養の対象としていただけるのでしょうか。 (仏壇でのお勤め) 大日如来像に一礼し、お大師様の掛け軸に一礼し「南無大師遍照金剛」と唱え、娘の位牌に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えています。 「南無阿弥陀仏」は、娘の冥福を祈る気持ちが言葉になったもので、特に宗派を意識したものではありません。 ①真言宗の仏壇で「南無阿弥陀仏」を唱えてもよろしいですか。 ②お盆には、仏壇で「般若心経」をあげてからお墓参りに行きますが、問題はありませんか。浄土真宗では「般若心経」は不要、教義と矛盾すると言う方もおられますが。 よろしくお願い申し上げます。

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曹洞宗と日蓮宗。善い行い悪い行い。

以前、仏教とは?と質問させていただいたものです。沢山の回答がありまして、その中に仏教とは善い行いをするためにする事とあったので、善い行いを心がけてますが、毎日仕事をしていて、雑草を抜いたり、害虫を殺したりしています。お客様や職場の人は喜びますが、これって仏様からみたら善い行いなんでしょうか?また、私の友人の住職は善い行いをするのではなく慈悲の心でする事瞑想をとうして、仏様が私の心になる。とおっしゃっていました。心が瞑想すると第4図という好き嫌いの心から、慈悲の心になるそうで、例えば誰かに刺されたとしても心は穏やかなままになるそうです。その方は曹洞宗です。友人にさそわれ私が信仰していた日蓮宗系なので、お経を毎日あげる事で先祖が喜んで力をかしてくれるという教えでした。わたしは今はお金がかからないので曹洞宗のお寺に行ってますが、日蓮宗が間違えではないと思うので、曹洞宗のお坊さんが読んでる般若心経を譲ってもらったのでそれを毎日よんでます。日蓮宗が間違ってるとは言わないですが、その団体の独自の解釈で抜粋されたお経はスッタニパータ読む限りではずれているので。本物の日蓮宗のお坊さんとは出会った事がないので、自動的に私は曹洞宗になってしまったというか檀家なのでお墓は曹洞宗のお寺なので、わざわざ、変える必要もないというか、遠くてお墓参りにいけないんならいくら日蓮宗のお寺さんにしたいといっても先祖も自分も喜ばないと思います。うちの近くの曹洞宗のお坊さんいいかたですが、日中ずーっと瞑想して座ってるだけの日もあるんそうなんですが、日蓮宗系のお坊さんからしたらお経も読まないで何してんだ感じだろうけど、そのプロセスの違いだけなんだと思います。何を信じたらいいかわからなくなる時もありますが、慈悲の心になればいいし、先祖も大切に生きていきたいです。

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はじめまして。 あまりにも早すぎる妹の突然の死から一週間が過ぎようとしています。 妹は昨年病気がわかり闘病しておりました。一旦治療が終わり良くなったかの様に思われましたが、今年に入り2月頃から体調不良を訴え治療しておりました。 しかし、良くなる所か悪くなる一方で先日話も出来ないまま逝ってしまいました。 妹には夫と息子が1人おり、位牌や遺骨は妹の自宅に現在あります。 離れているため頻繁に行くことはできません。 また、あちらの家族とは親交が少なく行きづらい状態です。 義弟のせいで妹は体調を崩し、病気にまでなってしまったのだと思われるような日記も出てきました。 そんな人たちの所には行きたいともおもいません。 父や母も妹を失った悲しみが強く、いつも妹に話しかけるような仕草をしています。 妹を思い出しては後悔ばかりで涙がとまりません。 現在、自宅には祖父母の仏壇があり毎日手を合わせています。 こちらには妹の位牌も遺骨もないわけですが、妹に毎日手を合わせたいです。 写真を飾るのも良くないのでしょうか。 写真を飾る場合はどこに置けばいいのでしょうか。 私たちはこれからどのようにしていけばいいのでしょうか。 アドバイスがありましたら教えてください。 よろしくお願いいたします。

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葬儀で宗派を選ばせて頂いたのですが

お坊様方には大変失礼な相談になってしまうと思います、 申し訳ございません。 2月に母が亡くなりました。 葬儀の打ち合わせで宗派を聞かれたのですが、わからず。 遠方に唯一の父方の叔父がいるのですが、闘病中で確認取れず。 以前両親が元気だった頃に聞いたことがあったのですが、 2人とも「わからない」との事で、そのままにしてしまいました。 メモリアルパークに両親がお墓を用意していたので 電話して聞いたのですが、 「宗派の欄には何も書かれていなかった」との回答で。 斎場の方は「ご家族で相談して宗派を選んでくださって良いですよ」 との事だったので、 兄が以前読んだ浄土宗関連の本がとても良かったと話していたので、 浄土宗でお経をあげて頂きました。 葬儀が終わり、ふと実家の父方の祖父のお仏壇を見たら 真言宗でした。 (無知でお恥ずかしい限りですが、お仏壇を用意する段階になって 宗派によって御本尊様も違う事を知りました・・・) 祖父は父が子供の頃に離婚していて、離婚後は祖母の名字になり 母と私達兄弟は、お棺の中の祖父が初めての対面でした。 亡くなった祖母も、父も叔父も祖父を嫌っており、 特に祖母と叔父は 「葬式はするけど仏壇や位牌を持ちたくない」と言っていたので 私の母が祖父を連れて帰りました。 その後は父も兄も私も、母にまかせっぱなしでした。 祖父のお墓があるのかどうかもわかりませんし、 祖母のお墓も遠方なので何処にあるかわかりません。 このような状況で、宗派がわからないのに 浄土宗でお経をあげて頂いた事は失礼だったのでしょうか。 母は穏やかに過ごせているのでしょうか。 家族は浄土宗でお経をあげて頂いた事を感謝しており、 朝晩、南無阿弥陀仏を唱えていますが 阿弥陀様やお経をあげて下さったお坊様にも失礼なのかと、 母は大丈夫かと、今さらながら不安になっています。 祖父と祖父の先祖代々のお位牌が実家にあるので、 数日おきに行って手を合わせていますが このまま祖父のお位牌を誰もいない実家というのも気になります。 宗派が違うお位牌を同じ部屋というのは良くないでしょうか?

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