hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

弟の死を理解しているけど理解できない

回答数回答 3
有り難し有り難し 55

先日、弟が持病の発作で他界しました。まだ20代で、仕事の資格を取るために日々勉強して頑張っていました。
先天性で治ることはないのですが、毎日薬を飲んでいれば何ともない病気にかかっていました。
本人は定期的に通院して薬も飲んでいると言っていましたが、実際は2年程通院せずにごく稀に手持ち薬を飲んでいただけのようです。病気に対する認識が甘かったのだと思います。
他界する2時間前まで父とLINEでやり取りをしていました。数日前から調子が悪かったようですが、発作が起きたのは彼自身が亡くなったことに気付いてないのではないか、と思うくらい突然のことだったと思います。
一人暮らしをしている部屋で、誰にも見守られることなくたった一人でいってしまいました。いってしまった翌日に、違和感を感じた父が家を訪ねました。第一発見者は父でしたが、苦しんだ様子が見られたそうです。
若い男の子の一人暮らしなので、散らかった部屋でいってしまいました。発作のせいもあるのでしょうが、極度の脱水状態だったようです。
弟自身そのことは考えてほしくないかもしれませんが、最期を思うと無念でかわいそうでどうしようもない気持ちになります。
薬さえ飲んでいれば、誰かに寸前にSOSを伝えられていれば…と思うと家族全員でやるせない気持ちになります。
家族全員で暮らしていた日々のことを考えると楽しかったことを思い出します。あんなことで笑ったな、こんなことしたな、何ともない普通の日常が愛しくてたまりません。
そんなことは不可能だとは分かっていますが、故人を蘇らせる方法はないかと毎日調べてはどうすることも出来ないことを思い知りまた辛くなります。
葬儀も済ませ自宅にお骨もあり、こんな風にもう生きていないことは理解しているのにどうしてもあの子がここにいないことが理解できなくなります。
ここにいないのは仕事が忙しいから来られへんねんなー、と思えます。そんな風に思った次の瞬間にもうあかんのか…と思いまた泣き、でも仕事にも行きごはんも食べ、会話をして笑い、でもまた落ち込んで…の繰り返しです。
時間が癒してくれるのかな、とも思います。でも自分自身どうにも気持ちの持って行きどころがなくて堪らなくなります。
こんな取り留めのない質問にならない内容で申し訳ありません。あの子はいまどこで何をしているのでしょう。もう苦しみからは解放されているのですか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒に心の中で、みんなで生きていきましょう。

そぅ。。。そんな形で、最期を。
なんとか、助けてあげたかった。。。そぅ思うよねぇ。ご家族、皆さんが、今 とても お辛いでしょうねぇ。

家族から離れて、一人で頑張っていたんだね。
仕事に、勉強に、立派な弟さんだったのね。
一緒にいたら、無理しないでと 声をかけてあげられたのにって。どうしても、悔むわねぇ。
いろいろ、思い出すものねぇ、一緒に過ごした日々を。ぬくもりを。
突然の死を、受け入れられないのは、当然だよね。あなたの側で、辛いねと、抱きしめてあげたい、一緒に 弟さんの命を感じたいよ。

仏教ではね、命終えた人は、お浄土の世界で生きていくんだよ。それが、仏さまの救いだからね。どんな命も、どんな最期でも、苦しみのない世界へ救うよと、仏さまの願いだからね。
でも、それを 遺された私たちが実感していくには、まだまだ 気持ちの整理がつかないし、時間もかかるでしょう。
それが人間だもの。それだけ愛する大切な人だったのだから。心は、そんな簡単にはいかないよね。
あなたの 辛く悲しい気持ちを、私も一緒に歩むよ。
弟さんのことを思い出すたびに、私に聞かせて。弟さんを忘れず、一緒に心の中で、みんなで生きていきましょう。そうしながら、いつか 、仏さまの大きな広い慈悲の(私たちを気にかけて願ってくださる心)お心に、気づかされ、支えられる日がくるかもしれない。
それまで、私も一緒に、あなたの側にいますよ。一緒に手を合わせていきましょうね。
これからも、ずっと、あなたは、お姉ちゃんなんだから。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
このお坊さんを応援する

お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏。
宗教宗派によって死の解釈が違うので、もしあなたの家の宗派の教義と違う場合は下記は読み飛ばしてくださいね。
弟さんは遠いところに行きました。極楽浄土という国です。そこに行けば病も痛みも苦しみもありません。ご先祖様がたくさんおられるので寂しくもありません。そして仏様の元で修行して仏様に成るのです。
あなたもいつかはそこへ行く時がきます。その時にまた再会できます。それまでのしばらくのお別れです。
この世に生まれてきたのに病で若くして亡くなることは不幸とお思いでしょうが、決してそうではありません。そもそもこの世に人として生まれてくることが奇跡なのです。
祖父母が生まれてきたのも奇跡、ご両親が生まれて出会ったこと、そしてあなた達が生まれてきたこと、奇跡の連続なのです。
弟さんとあなたが姉弟として出会えたこと、弟さんとご両親ご出会えたこと、全て奇跡なのです。
弟さんは、最後は苦しかったかもしれないけど、それでもあなた達ご家族と出会えて幸せだったと思います。
そして奇跡はここで終わりではありません。
いつかは極楽浄土で再会できる。そんなことはあり得ないと思うかもしれませんが、これまでたくさんの奇跡が起きてきたのです、そしてこれからも再会という奇跡は起こるのです。
おそらく悲しみは10年くらい続くでしょう。
その時は涙を流して泣いてください。
ただし、車の運転中に泣きそうになったら落ち着いて車を安全なところに止めて、路肩ならハザードを点灯して、泣いてくださいね。
いつかまた会えますように。
南無阿弥陀仏。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

誰も責めず、弟さんとの思い出に感謝する日々を。

こんにちは。亀山純史と申します。

人は一人で生まれ、そして一人であの世に行くこと。そして、死は老いた者から順に経験するものではないこと。これらのことは、私たちは頭ではわかっています。でも、今回のようなことがあれば、「あの時、あーしておけばよかった。」「あの時、こうしておけばよかった。」と思ってしまいます。人生とは、このような後悔の連続です。でも、誰かを責めても誰も喜ばないでしょう。「あーしておけばよかった。」と自分自身を責めても、弟さんは喜びません。「そんなことはないよ。僕が悪かったんだ。」と弟さんは思うでしょう。一方、弟さんを責めても、そこに弟さんは戻っては来ません。もしかしたら、あなたに責められることで、弟さんはあなたのそばから離れてしまうかもしれません。

ところで、家族全員で暮らしていた楽しかった日々は、弟さんが家族みんなに残してくれた思い出です。その人との思い出やその人に対しての思いがなければ、悲しみは湧きません。そして、悲しみはその人との思い出やその人に対しての思いに比例して深いのです。そのように人間の心は出来ているのですね。死んでしまったら、きっぱりと忘れてしまう、なんていうことは出来ないように心は作られているのです。そうであるならば、楽しい思い出を残してくれた弟さんに感謝しましょう。

弟さんの死に対して誰も責めず、弟さんとの思い出に感謝する日々を過ごせるように、お仏壇に手を合わせましょう。そのようなあなたや弟さんを、仏さまは優しく見守ってくださっています。

以上が私からの回答です。気持ちの整理には時間はかかることでしょう。誰かに今の気持ちを聞いてもらいたい、という気持ちがこれからも出て来ることでしょう。そんなときは、遠慮せずに、このハスノハへまたご相談ください。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

中田様
お忙しい中ご回答ありがとうございました。
すごく心に沁みわたり、また弟のことを一緒に思っていただき本当に嬉しかったです。
仰られる通り、まだまだ実感がないのが現状です。でも病気で悩むこともなく苦しみのない世界に行き、子供の頃から嫌いだった薬を飲まなくてもいいんや、病気から解放されたんだな、と思うと気持ちが救われます。病気に産んでしまったから…とずっと母が悔いていましたが、それも救われるのかな、と思います。
これからも弟と心の中で一緒に生きていきます。家族みんなで生きていきます。
優しく暖かいお言葉に励まされました。またお話ししたくなったときは聞いてください。本当にありがとうございます。

亀山様
お忙しい中ありがとうございました。
本当後悔の連続です。両親も上の弟も私も、あの時こうしていれば、あの子自身もこうしていれば…と考えてしまいます。
父は自分がもっと早くに家を訪ねれば。
母は病気の身体に産んでしまったから。
上の弟(下の弟と同じ病気にかかっています。きちんと治療を受けているので元気です)は同じ病気やのになんで気付いてやれなかったのか。
私は医療従事者でありながらあの子が薬を飲んでいないこと、少し前から痩せて顔色が悪かったことに一番病気に詳しいのは私なのに何故なにも声をかけなかったのか。
弟に対しては何が理由で病院に行っていなかったのか。いってきたよ、と報告をしたのは何だったのか、なぜちゃんと治療していると家族に言い続けてきたのか。
そんなことを嘆いて自分自身を責めてしまっています。お互いにそんなん関係ないやん、あなたのせいじゃないよ、と言っても心の中ではずっと自分のせいで…と思ってしまうのでしょう。
でも仰って頂いた通り、誰も責めてはいけないということ。弟との思い出、思いに比例し悲しみが深くなるということに改めて気付くことができました。
たくさんの思い出を残してくれた弟と全ての人、物事に感謝したいと思います。
またご相談させていただくことがあると思います。その時はまた甘えさせてください。
本当にありがとうございました。

三宅様
お忙しい中お言葉いただきありがとうございます。
恥ずかしながら色々な宗派には詳しくないのですが、我が家は浄土真宗です。浄土宗と浄土真宗が同じなのかどうかも分からないですが、救われるお言葉ありがとうございました。
極楽浄土で大好きなじいちゃんと一緒に過ごしているのかな、と思うと安心できます。来るのが早過ぎる!と何でじいちゃんは追い返してくれなかったのかと上の弟と泣きあったこともありましたが、一足先に向こうで再会し、大好き同士でお互い嬉しかったのかな、と思うと少し笑顔になりました。
全てが奇跡の連続なのですね。離れてしまったことを悲しむのはまだしばらく続くと思いますが、出会えて家族になれて楽しく過ごした奇跡を思い出し、弟もそのことを幸せで喜んでくれていたと思い、いつかまた極楽浄土で会える日に向けて、これからの日々を生きて行こうと思います。
涙の日はまだまだ続くと思いますが、泣きたい時は泣けるだけ泣こうと思います。
優しいお言葉ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ