阿弥陀様はリスクを背負っているのか
こんにちは。
お釈迦様は阿弥陀様が先輩で、地球に生まれてきてくれて、私たちにこんな約束をしてくれた先輩がいるんだよと教えてくれたっぽいのですが、アミダ様は私達の約束(信じてくれたら必ず救う)を守る代わりに、何かほかの仏様から罰を受けたりはしてないんですか?私たちの代わりにリスクを負ってないんですか?大丈夫なんですか?
また、お釈迦様は、本当は阿弥陀様なんていないけど、いるという嘘を自分1人が担って私たちのために背負って行かれたという訳では無いのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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アンパンマン
アンパンマンは架空の存在である。アンパンマンは実在はしない。
いい大人がアンパンマンは実在すると本気で思っているならば、その人はちょっと病院に行ったほうがいいだろう。では、アンパンマンは嘘か?アンパマンの原作者・やなせたかし氏は存在しないキャラクターをでっち上げたとして罪を背負わなくてはならないのだろうか?
そんなことは、考えるまでもないだろう。
子どもたちがアンパンマンを真剣に観ている。アンパンマンから、勇気とか正義とか、お友達が嫌がることをするとバイキンマンみたいに制裁を食らうことになるんだ、という事を学んでいる。大人から見ればくだらない荒唐無稽なキャラクターのアンパンマンも、子どもたちにとっては、まっとうな人間として成長するための教科書であり、栄養素である。アンパンマンは、まさに【法】のシンボルであろう。
【みだ仏は、自然のようをしらせんりょうなり。】『末燈鈔』
阿弥陀さんは、我々に真実を教えてくれる教科書、参考資料ですと親鸞さんは教えてくださった。これに続いて、
【この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。】
上記の事が理解できたら、いたずらに掘り下げてあれこれ詮索しないほうがいいとも教えて下った。野暮な事にとらわれていると、本来の目的が果たせなくなるからだ。
阿弥陀様はもうリスクを乗り越えたのですよ。
ミーちゃん、こんにちは。
阿弥陀様をご心配しているのですね。素晴らしいです。
仏さまになるということは、なるまでにすでにリスクを乗り越えてなっているので、リスクなんてないのですよ。仏になるということは目的を成就しているということなので、私たちはもうすでに阿弥陀様によって救われているのです。後は私たちがそれに気づくかどうかになります。
お互い様、阿弥陀様お慈悲のお力に救われましょう。合掌
随喜
>何かほかの仏様から罰を受けたりはしてないんですか?
罰を受ける…???何故でしょうか?半日気になっているのですが、どうしてそう思われたのか分かりません。私が回答したら他の回答僧さん達から罰を受けるでしょうか?私は他の回答僧さん達に罰を与えるでしょうか?う〜ん…なぜ??????
お釈迦さまは言いました。
「他人が善いことをしたら、自分がやったことのように他人の善行を喜びなさい。」
リスクではなく、ハードルをクリアした
阿弥陀仏がまだ仏になる前、法蔵菩薩という修行者時代に、48の誓願(本願)を立てられました。
そして、この48の誓いを実現できないなら仏にならないと誓ったのです。
そして現在は、法蔵菩薩は阿弥陀仏という仏に成られています。
これは、48のハードルを全てクリアしたという意味です。
あえて「罰を受ける」という言い方に変えるならば、法蔵菩薩は、48願を実現する力を得るまでの長い期間中は、「仏にならない」という罰を自ら背負っていたのです。
しかし今は、全ての誓いを成就したので、仏様になられています。
その第18願が、念仏者を往生させるという誓いです。
法蔵菩薩が阿弥陀仏になられているということは、念仏者を往生させる力を手に入れているということかのです。
「阿弥陀経」という経典によると、阿弥陀仏は、あらゆる方角(東南西北上下の六方)にいらっしゃる仏様達から称賛されています。
また、それら六方の無数の仏様達は、お釈迦様に対しても称賛しています。
リスクを背負うどころか、みんなにほめたたえられています。
こんばんは。亀山純史と申します。
阿弥陀さまは法蔵(ほうぞう)菩薩という菩薩だった時に、仏に成りたいという菩提心を起こし、四十八の誓願を立てられました。その中の第十七願が「諸仏称名(しょぶつしょうみょう)の願」といって、「わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」という誓いです。今現在、法蔵菩薩は阿弥陀さまという仏さまに成られているわけですから、何かしらのリスクを背負っているどころか、みんなからほめたたえられているんですね。
また、お釈迦さまがお悟りになられた真理は、本来、人間の認識を超えた無色・無形・無相の絶対的な真理なのですが、その真理のはたらきが、衆生を救済するために具体的なかたちあるものとしてあらわれた仏さまが阿弥陀さまです。ですから、お釈迦さまがお悟りになられなかったら、阿弥陀さまの存在も知られなかったかもしれませんね。
リスクとは未来の危険性のことですが、それはありませんよ。なぜなら既に過去に不可思議兆載永劫という想像できないほど長い時間の仏道修行の中で、全てのリスクに対する解決策を講じているからなのです。
また、お釈迦様は私達の為に嘘をついたのか、とのことですが、お釈迦様は嘘は言わないのです。ただ説法する相手に合わせて、覚りに向かって歩めるように、分かりやすく説くのですよ。
例えば机の上の真ん中にコップがあるとします。机の東西南北にそれぞれ人が座っているとします。東に座っている人には「コップは西にありますよ」と言いますが、南に座っている人には「コップは北にありますよ」と言いますね。コップがどこにあるのか教えるという目的は同じでも、相手によって教え方が違うのは当然のことなのです。
質問者からのお礼
たくさんのお坊様、回答ありがとうございました。仏様の世界ではほかの仏様の行っていることを僻んだりすることは無いのだなと思いました。お釈迦様のお話も、わかりやすく話しているのだなと言うことが伝わりました。でもそうなると、死後の世界があるのかどうかますます心配になってきてもしまいました。
しかし、お釈迦様や親鸞さんなどが人生をかけて見つけてくださった教えよりもこの先自分がいい答えをみつけだせるとも思えませんので、お釈迦様やアミダ様やその他の方々が言うならそうなんだろう、見守って下さっているのならそうなんだろうと思いながら過ごそうかなと思いました。丁寧に答えてくださってありがとうございました。