勝手に期待して無駄な良心を働く
私は人にプレゼントすることが大大大大大好きです。
人の誕生日や、なかなか会えない人に会う時などは絶対します。
自分の好きな店やプレゼントのために新規開拓した店を回って「○さんコレ好きだったよな~」「△さんこれ欲しいって言ってたな……」「□さんこれ好きそう!」と考えに考えて選んで、受け取った時の相手の喜び具合を見るのが楽しくて自分も幸せになります。
(とはいってもそんなに重度ではなく、誕生日にはお菓子+雑貨や本、人と会う時はお菓子だけ等です)
しかしそんな私にも、プレゼントするか迷う人間がいます。仲が微妙にこじれた感じのする友人です。(Aとします)
Aは先生に贔屓され多数の賞も貰っており、ド底辺にいる私はすぐ嫉妬します。
私はこんなに苦労してるのに、頑張っているのに、なんでいつもダメなの……と。出さないようにしていても態度に出ているのは自分でもわかります。
その他色々あって、最近全く喋らなくなりました。
私から話しかければしゃべりますが、Aから私には一切話しかけてこないと気づきました。そこから自分も一切話しかけていません。
元々2人で仲良くしていたのが、外から見てもわかるように真っ二つにわかれ別々の友人と仲良くしています。
プレゼントの話に戻ります
ちょっとした用事も兼ねて2泊3日の旅行に行くのですが、その用事が展示会みたいなもので、友人の好きなイラストレーターさんも出店しておりグッズ等の販売もあります。
出展者一覧で名前を見た時は「Aが好きな人だ!ポストカードとかお土産にあげたら喜ぶかな~」
と思ったのですが、次には「そういえば最近微妙な仲なんだった。どうせあげてもあっちは何もしてこないし……でもあげたい……うーん……」と悩み始めます。
良心が捨てきれないのもありますが、Aになにか期待しているのがわかって気持ち悪いです。自分が。
どうせ仲直りしてもまたAに嫉妬してつらいだけなのに、でもやっぱり趣味も合うし仲良くしたい。でもやっぱり嫌。あー自分って性格わりーなぁ。の無限ループです。
実際に、○さんにあれやこれやしてあげたのに私にはなんにもないと後悔した事もあります。
Aにお土産をあげるか否か、これから自分はどうすればいいかわかりません。お坊さんはどう思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
喜捨 喜んで捨てる
質問拝見しました。
お土産を買うか買わないか、今後の付き合いもある事ですので、悩むところですね。
仏教には喜捨という言葉があります。よく賽銭箱に書いてあります。
人に施す時には見返りを求めないという事です。私の祖母はよく「人に物を貸す時は、あげたと思いなさい。返ってこなくても文句は言わない」とよく言ってました。
自分の気持ちでする事なので、その後の事は気にせず
「喜ぶだろうな。お土産あげたいな」
と、思ったら買ってあげればいいと思います。
お土産をあげた時に、もし嫌な顔をされても気にしない。というぐらい心を広く持って接する事が出来たならとても素敵なことだと思います。
頑張れ10代 応援してます
どのようにでもお使いください
私は人い贈り物をする時には、分かってくれるであろう人にしかプレゼントはしません。
また、その価値が相手に伝わるようにきちんと説明をします。
たとえば美味しいそば送ったとします。
本物のそばは20秒くらいしか茹でません。
それを伝えないと皆、2、3分茹でてしまいます。そうするとせっかくの職人さんが作ってくれた神そばを損ねることになります。
お礼の電話を頂いて、相手の反応を聞くと「あ、こりゃ失敗したわい」と思ったことが昔、多々ありました。
どうせ贈るなら価値の分かる人に贈って、その良さを分かっていただきたいものですよね(´▽`*)。
贈りもの難しさはそこであろうと思います。
人によってはお返ししなきゃ、とプレッシャーになる人も居ます。
ですが、仏教のプレゼント「布施」という事はちょっと違うのです。
布施とは
①あげる人
②受け取る人
③布施する「もの」が
皆「自分自分したものが無く」❝クリアー❞であることが大切です。
クリアーとは「私的な思い」が無く、純粋に差し上げたいという気持ちです。
私ども僧侶もここでの回答は布施です。
別に感謝されたいからやってる訳ではありません。正直、私はお礼のメールも読む時間もないほどです。
御伝え、お知らせする回答も、法の布施です。
たとえば、私がこれを回答するのに感謝されたいからだとか、「有り難し」数を上げたいからだとか、というよこしまな気持ちがあればそれは仏教のプレゼントである布施にはなりません。
あなたにこれを受け取る時に、捻じ曲げて私的な解釈で受け取られてしまえば、ただしく法施・布施になりません。私の言葉があなたを傷つけるものであったり、実はゴーストライターだったり、盗用だとすればそれも布施にはなりません。
あげる時は思い切って差し上げる事です。
精進料理の世界では、相手に料理を差し上げる時(料理を作るのも布施)、
①喜心
②老心
③大心 が大切です。
①喜心…純粋に相手に喜んでもらいたい
②老心…親心のように受け取りやすい形で(例えば年輩の人は食べやすく柔らかく)
③大心…小さなこだわりなく、おおらかな心で私心なく
このようにプレゼントするのが、お互いが最高の受け取り合いを授かれる関係になるのです。
あの時あれしてやったのに、という心が残ると、以前の私のように損した気持ちになりますから、そういう心を離れることが大切です。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
やはりあげたい気持ちはあったので、完全に「あげる」つもりで、苦労すると絶対「やってあげたのに……」と思ってしまうので並ばずに買えるなら買おう!と挑みお土産を渡しましたが、私が見ていない所で「○○に行った友達が○さんのポストカードくれた」「嬉しいのにすっごいむかつく!!!!」と言われていました。(たまたま見ちゃいました)
渡した時はまあまあ喜んでいたんですけどね、悲しいですね。まだまだ私のこころが広くないんでしょうか、あげたポストカードぐっしゃぐしゃにして口に詰めてやりたいです。