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無念さが時折邪魔をします … 。

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有り難し有り難し 12

余命宣告1年が 半年過ぎました。
仕事にケジメをつけ 退職し
自宅は介護ベッドと最低限必要なもの以外はすべて処分し
実家と病院の出入りで生活と治療を続けています。
老後にと貯めていた貯金で
両親の自家用車を購入し 
実家の台所を全リフォームし 
自分と息子の墓石 両親の墓石 
そして 
お寺で両親の戒名と私の葬儀のお願いを聴いていただき
余命1年の会計と財産分与をすませ
日々は
病院での治療日誌を毎日詳しく書きしたため
抗がん剤治療が出来なくなったあとの
ホスピスも手配ができたところです。
優しい息子 看病してくれる両親には
ただ ただ感謝しかなく
自分のできる範囲で余命生活を
共にしています。
病院関係では 主治医 緩和Dr看護師
整体 薬剤師 みなさんによくしてもらい
落ち着いて治療 療養できていますが
ガンの痛みと副作用は 
容赦なく襲ってきて
毅然に生きていると思っていても
一人涙が溢れたり 
どうしようもない無念さに
心が折れそうになります。
特に
発見前 今の主治医に
「ガンではないか!」と ひつこく受診し
薬服用しても効果ないと通院していたにも
かかわらず 大病院で受診したら
膵臓ガンだとわかった経緯は
どうしても許せなかった…のですが
大病院は遠方なので やむを得ず
ガンをみつけれなかった今の病院で
治療をすることになっているので
毎日 思わない日はありません
・・・速く見つかっていれば
手術できたり 治ったり
余命1年ってことはなかった・・・

そのキモチを収めるために
朝晩お経を唱え写経したりするのですが
痛さとの戦いのよぅです
医療麻薬のせいにはしたくはありません

この先
痛みと無念さに負けず
心穏やかに 自分らしく生きたい
そのためには
どんな心積もりでいるべきでしょうか
お知らせ下さい


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

準備をしましょう

 死後の、次の生のための準備をしましょう。

 体が元気なうちは、過去や今現在の縁ある人々・生命に対して感謝の気持ちを持てるように、それをなるべく口や行動で表せるように努力するのはどうでしょうか。
 行為は体で行うもの、言葉に出すもの、心に思うものの三種類ですが、行動や言葉や心のどれを先に気を付けても大丈夫です。心を先にしなくても、和顔愛語を心がけるだけでも、心も成長します。
 身口意の行為が業(心)を作るので、残りの人生でどれだけ善業を積めるか、悪業になってしまうか、ゲームのようにやってみるのはどうでしょう。
 人生では誰も死ぬことなんか考えていないのですが、病気などで先が見えるようになると、ゴールが分かりやすくなるのです。

 痛みが出たら、その状態を観察します。どう動かしても痛い。動かさなくても痛い。体の状態を保持するだけで痛い。どうにもならないのですから、それを観察するしかありません。周りのことは放っておいて、その痛みを見るしかありません。
 痛みが和らいだら、その状態を観察します。「あの痛みが薄らいで、今は耐えられる。体とは、痛みとは、こういうものか」とか、「この痛みだけをくれる体がなくなったら、心はどうなるのだろう」とか、考えてみても面白いと思います。

 どちらも、死に向けての心の準備です。
 生まれるときも、一人一人がやってきた大変な作業を、みんな忘れています。でもみんなやってきたのです。
 死ぬときも、先に死んだ人はみんなやっていったあの大変な作業を、私もこれからやるのです。
 心の準備をしていたほうが良いに決まっています。
 生まれるときは、その後に、人間界での生が始まりました。
 死ぬときも、その後に、何かが始まる可能性が高いでしょう。その心構えも、あると良いと思います。

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有り難し
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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「生きる意味」問答一覧

この事実と過去を忘れたいです

母は私を産むと同時に病気で亡くなりました。そして私はその母の”体の弱い”という部分を残していきました。 父は遊び人で、私は放置されるか、毎回違う知らない女性が家に来て暴力を振られていました。 私が生きてるのは祖母のおかげ。よく父が家にいない状態が続いたときにたまたま祖母が急に来る日があり、育児放棄に気づいたらしいです。 そこから祖母の家と父の家を行き来することが増えました。簡単に説明します。 例えば最初、祖母の家に行ったとします、そして2か月後に父がまた新しい女性を連れてきて父の家にまた戻されます、ですがDVでまた離婚します。そしてまた祖母の方に行く方式のことです。 学校の皆とも何もかも違くて勉強も転校でわからないしいじめられるし家に帰ったら殺されそうになるし、私は居場所がなくて、逃げれるのは祖母の場所、だけど小4で膵臓癌で亡くなりました。だけど涙が出ません。 そして父の兄のところに2日間泊まりました。私の初を強制的にとられました そして父のもとへ行き、小5の時に父のDVはばれ、父は刑務所へ。 私は児童養護施設に飛ばされて、施設ではいじめられ職員も見て見ぬふり、施設から通う小学校でもいじめられ、中学に上がってもひどくなり、 「〇〇~!!きめーんだよ!反応しろよ!」 とかずっと毎日クラス全員に言われてます。クラスLINEでは私が入ってることを知らないかのように私の愚痴を言っています。私って嫌われ体質なんですかね。 この事実と過去を忘れたいです。文章力なくてすみません。 短くまとめました。回答してくれると嬉しいです。

有り難し有り難し 28
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日々を過ごすための気の持ち方

30代の男性サラリーマンです。未就学の子供が二人いるのですが、幸い私の仕事がほぼリモートワークで家事や育児もかなりこなすことができています。子供たちは勿論大事なのですが、例えばお風呂に入ろうだとかやらないといけないことを声掛けしても無視したり逃げたりと、正直うんざり気味でかわいくないなと思うことが最近増えてしまっています。内心一秒でも早く成長して好きなことを見つけ、早く家を出て欲しいです。 夜は夫婦日替わりで子供を寝かしつけ、20時には自由時間になるのですがやりたいことも何も無く、少しスマホをいじって21時には就寝してしまいます。昼のうちは夜になったらあれをやろうとか考えるのですが、いざ子供が寝ると何もやる気が起きず、眠くなるまで虚無のような時間を過ごしてしまうのがここ数年の悩みです。 妻は夜遅くまでネット上の繋がり等で好きな時間を過ごしており、それも妙に居心地が悪いのも私が早く寝るようになった原因な気がします。 最近、子供への苛立ちや妻との距離感、やりたいことも皆無な日々を過ごすにつれ、早く歳をとってさっさと死にたいという無気力な諦めのような気持ちが強まっています。 そんな自分の感情に向き合うのも疲れてきて、最近はイライラしたり子供に怒鳴りそうになったらあえて感情を抑えて無表情でやりすごす術を身に着けたので少し楽になってきましたが、より一層諦観が満ちて悪循環に陥っている感じです。 仕事に打ち込めればいいのでしょうが、生来無気力な人間なので労働自体が好きではなくそれも難しいです。育児のままならなさと比べれば仕事のストレスは極めて些細で心身の負担にならず、家族を養うのにも十分な収入をいただけていることはことは唯一の救いです。 振り返ると幼少期より怪しい宗教に借金にとろくでもない両親のもとで育たことで、期待せず自分の意志を殺して生きるのが身に染み付いているのかと思います。 長々と書いてしまいましたが、私のような不平不満ばかりの無気力な人間はこの先何十年もどう生きていけば良いのでしょうか。自分が恵まれた環境にいることは重々理解しており、甘えるなというのが回答かもしれません。自分の気持ちを前向きに切り替えて頑張るしかなく、きっとこんなところで人頼みにするようなことではありませんが、家族や周囲の人にこんな甘えた相談もできず、何かアドバイスがもらえないかと思い相談いたしました。

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