授戒会では何をやるのですか?また、受けたら何が起きるのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その字の通り、仏教徒としての戒を授かります。超能力的な何かが手に入るわけではありません。
教えて下さり、ありがとうございました。
こんにちは。 いつもお世話になっております。 先日、約2週間ほどタイとマレーシアに行ってきました。人生初の海外旅行です。渡航前にトラブルもありましたが、無事に体調も崩すことがなく日本に帰国することが出来ました。 タイに行った際、いろんな有名な寺院や博物館などに行き、お釈迦様の人生を学んだり、出家や悟りについて勉強したりしました。ある有名な寺院に行き、エメラルドグリーンに広がる屋根を見ながら坐禅を組んで眺めていました。すると、不思議と心のモヤモヤや悩みが一気に吸い込まれているようで、気づけばずっとボーッとしていました。 悩みとかがなぜかちっぽけに思えて、健康がどれだけ素晴らしいものか過去のことを思い出しました。昨年大怪我をしてしまい、毎日辛く、後悔と健康体ではない自分の体に苛立ちを感じました。でもまだ跡はあるけれど少しずつ治ってきた自分の体を見て、治る力があるということ、辛くても乗り越えることができたこと、この力があるっていうことは、怪我は健康状態でなくても、あるいみ私自身の体や心は健康だったのではないかと、坐禅を組みながら感じました。こんな気持ちになったのも初めてで、正直タイに行って、仏教に触れる度、不思議な気持ちになるというか、変な言い方になりますが、お釈迦様はいらっしゃるんだな、仏様は本当にいらっしゃるんだなと強く感じる場面が多くありました。その度にパワーをいただいたというか、僧侶の方にもご祈祷していただき、それ以来、気持ちが変わったといいますか、長旅で心も体も疲れているはずだけど、生きる力がたくさん漲った感じがします。この瞬間が本当に幸せに思え、旅行中何度も思いました。人生、様々なことがあるけれど、この旅行先での最高の幸せに出会うための備えって、健康であることなんだなと何度も感じました。 日本に帰国したあと、待っていたのは人間関係の悩み。生きる力は未だにたくさん漲り、むしろ挑戦したいことばかりでうずうずしています。だけど、友達に気を使うことが辛くて、朝も辛いなと呟きながら出発しました。 明日も会わなきゃ、大丈夫かな、何かあったのかな、ちゃんと話の輪に入れてるかな、常にある友達といると思います。 1人になると、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだと我に返ってしんどいな、辛いなと嘆くばかりです。 こういうとき、どのような心構えで過ごしていけば良いのかと思います。
お世話になってます。今日は前から疑問に思っていることであります。仏教の最終的な目的は全ての迷い、憂いを捨てて、真理を悟り涅槃に行く事だと聞きましたが、涅槃とはどういうところ、またはどういう状態なのでしょうか?浄土宗の極楽浄土とはまた違うのでしょうか?一説には完全な無になることという人もいますが。回答お願いいたします。
特定の宗派に属することなく仏教と関わることについてどう思いますか? 私は仏教に関心のあるものです。悩んでいる時に禅に関する本を読み、だいぶ心が楽になりそれから仏教に興味を持ちました。YouTubeで僧侶の方が視聴者からのお悩み相談に答える動画を見たり仏教の本を読んだり、お寺を見に行ったりするのが好きです。自分なりに仏教と関わり楽しんでいます。 私は普通の会社員であり、出家したりどこかの宗派に属するというつもりもありません。ただ一つの宗派だけにこだわることなくいろんな宗派の仏教の考えも知りたいです。この様に一つの宗派に属せず横断するものについて僧侶の皆様はどう思われますか?邪道でしょうか。
私は神様仏様は宗教関わらず存在していると考えています。 どれか1つの神様仏様を信奉している訳ではありません。 日本には八百万の神という言葉がある通りどの宗教の神様も実際に存在していて、お寺、神社、教会等それぞれ神様仏様へ対してのマナーが違う場所だと考えていました。 それを友人に話したところ、変だと言われました。 お願い事はどうするの?と聞かれたので、そもそも神様仏様のお家に行っていきなりお願い事叶えて下さいは、人間でもされたら嫌な事神様仏様にしない。 お邪魔してますくらいの挨拶しかしてないと言ったら偽善的と言われてしまいました。 そんなに私の考え方はおかしいでしょうか?
…疲れた。訪問看護師さんが言うには、「頑張りすぎ」だそうです。 夏風邪がまだ万全じゃないのに、「熱下がったから平気!」と イキってデイケアの訓練行った。いつもの倍ピリついて頓服 飲みまくった。次の日動けなかった。 その1週間後の診察。家と病院間、所要時間2時間。往路は 電車で行けたけど、復路で体調最悪。タクシー呼んだ。 その夜。日向灘地震。そんな体を引き摺って、アパートの 入居者さんの食料三日分を買いに、その辺の店をヘルメット 被って走り回った。 さらに次の日、私が住む東京は震度3。震源は南海トラフ 近く。夜通し消火器の場所を探して歩いた。 また次の日。電池やら懐中電灯やらランタンやらでかい 鞄やら、重い物資を買って回った。翌日寝込んだ。 1日寝たから大丈夫かな~って過信して、やっぱり片道2時間 かかるお寺に行って、30分護摩でお経あげた。疲労は確かに蓄積 しており気分変調障害発生。寝込むことに。 きょう、寝込んで五日目です。ご飯をしっかり食べて、寝て います。早く元気になりたい。 私は、祈願寺のお不動様の画像をスクショ、また、お不動様の 木札を括り付けた手足付き抱き枕(作った)に抱かれながら 寝っぱなし。 私は将来、自分の力でアパート経営の経費を稼ぐことを目指して います。A型という働き方で就労しようとしています。これは、 同僚が全員精神や知的の障害者で、現場監督が福祉資格者さんという 職場です。 でも、私は障害者が苦手です。怖いし、一緒にいると彼らの 「波長」に飲み込まれイライラしたりするのです。 でも、働きたければ慣れなければいけない。 私は浄土宗なので、阿弥陀様を本尊としています。 浄土信仰のほかにも、不動尊信仰も持っています。私の夢は、 人間界でこんな体のため子供を育てられない分、極楽往生して 浄土で修行して清らかな体になったらお不動様に嫁ぎ、お不動様の 子供を産み、強い眷属に育てることです。 それほど強い信仰を持っています。 でも…お不動様は、阿弥陀様は、こんな弱い私をどう思ってる んだろう?弱いだけでなく、他の障害者が嫌い!と言って威嚇したり する(最近は深呼吸したり薬飲んだり努力して抑制している)私を どう思って浄土から、宮殿から見てるんだろう? 私は受戒者として、念仏行者として、どうなんだろう?
どの宗派にもご本尊様はいらっしゃいますが、そのご本尊様方の仏像を自宅にお迎えする際、魂入れをして頂かないとなんの意味もなさないとよく伺います。確かにそうなのかもしれませんが、信仰心を持ってして、帰依する一心でご本尊様をお迎えすることにも意味はなさないと思われますか?(魂入れをしないまま という意味です。)現在私は居住環境により仏像なくしてお念仏を申しておりますが、ご本尊様のお姿を日頃より身近に感じ感謝とともに供養させて頂きたいと思っているのです。
ご縁があって天照大神の坐像(木製)が 手元にございます。お祀りしたいと考えておりますがお仏像なので仏式でお祀りしても良いのか、それとも神として神式でお祀りしないといけないのかが判らず困っております。 ご意見、ご指導よろしくお願い申し上げます。
神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。
「清く正しく生きてみんなで支え合い愛し合う。善行(カルマ・ヨガ)、叡智の探求(ギャーナ・ヨガ)、時には脳を休ませる(ラージャ・ヨガ)、神仏に助けを求める(バクティ・ヨガ)などのあらゆる手段で悟りに近付くことができる。悟りに至った人は永遠の安息を得て、悟りに失敗した人は来世でもっと悟りに近付き、地獄に落ちた人は刑期が終わると来世でもっと悟りに近付く」 これが大乗仏教ですか?
これまでの人生の苦しみは、自分自身の内面の愚かさが原因であると思うようになりました。 自分の悪い業を滅罪するには、書籍などを参考にすれば、不動明王様を信仰すれば良いような印象を受けますが、観音様を一心に念じれば、必ず助けてくれる。お地蔵様は、どんなダメな人でも救ってくれる。毘沙門天王様を信仰すれば福徳を授けてくれる。どの尊を信仰すれば、自分の悪い業を滅することができるのか迷ってしまいます。どの尊を信仰すべきか教えてください。観音様、お不動様、毘沙門様、お地蔵様、全部信仰した方がいいのでしょうか?
躁と鬱と私と共に生きる西條るじん僧侶
和歌山の駆け込み寺・中田三恵住職
「心の厄がはがれていく本」をご紹介!
教えと名言・逸話
仏教の根幹となる教え