彼が自死。幸せとは。
1年以上付き合った彼が9月、自死を選びこの世を去りました。本当に突然の出来事でした。詳しい理由もわからず、気持ちの整理がつかずにいます。
私宛の1枚の手紙が最後に残っていました。
私は何も悪くないこと。全部自分の問題だという事。付き合って過ごした毎日は楽しく幸せって感じることが多かったという事。本当はもっともっとたくさん思い出を作りたかった事。私の幸せな将来を心から願っているという事。
手紙からたくさん愛されていたことを感じ、四十九日も過ぎましたが涙が未だに止まりません。
なぜ彼は自死を選ばずにいられなかったのか。こんなにも大切にしてもらったのに、私は彼に何もできなかったんじゃないか、もっと彼を思っていたら心の苦しみに気づいてあげられたんじゃないか、答えも出ないのに1人になると同じことを考えてしまいます。
何も考えたくなくて、この2ヶ月仕事に無我夢中で取り組みました。事情もごく少数の人にしか話していないので、何も伝えていない同僚、友達の前では常に笑顔で過ごしています。
ただ、ふと我にかえると「なんで私こんなに頑張っているんだろう。」と思えてしまい、仕事も辛くなってきました。
もし、今以上にぷっつりと糸が切れてしまった時本当に何もできなくなってしまうような気がしています。
いつまでもこんな鬱々とした状態では彼の供養にならないことは重々承知です。
彼も死を考える気持ちの中、最後の最後に私の幸せを願ってくれたからこそ幸せになりたいです。彼と付き合っていた頃のような前向きでポジティブな自分に戻りたいです。
しかし、幸せがわからなくなってしまいました。どう生きていけばいいかわからなくなってしまいました。私はこれからどのように考え、過ごしていけばいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自死も病死みたいなもの
自死は、「うつ」が原因の人が大半ではないでしょうか。
つまり、自死は、病死みたいなものです。
彼が死を「選んだ」と言っても、実は脳・神経の不調で、健康な人よりも生きることが何倍も辛く思える、ネガティブになってしまう病気による病死です。
仏教では諸行無常と言います。
誰でも急に病死する可能性があります。
それが内臓の病気か、細胞の病気か、感染症か、脳神経の病気かの違いがあるだけです。
あなたは、「彼を自死で亡くした」という認識を、「彼が若くして病死した」という認識に上書きしてください。
幸せについてですが、人は健康なうちに、健康な人にしかできないことをやっておく方が良いと思います。
あなたが健康であるならば、病死した彼の分まで健康な生活を楽しんでください。
あなたまで「うつ」にならないように、ネガティブな思い込みや決め付け、固定観念を外すような、柔軟な思考を心がけましょう。
過去は過ぎ去りもう無い、未来は未だ来たらずまだ無い。
妄想雑念、思考の堂々巡りに陥らないように気をつけましょう。
15分考えても答えが出ないような悩みは、15時間考えてもやはり答えは出ない。
今ある情報でいくら考えても堂々巡りになる場合は、妄想雑念だと思いましょう。
そんなときは、新しい情報を得るまで考えるのを止めるか、新しい情報に触れるために行動してみましょう。
質問者からのお礼
自死は病死、考えたこともありませんでした。
ですがこちらの回答を読んで今までずっと抱えてきた肩の力が抜けた気がします。
自分の情けなさ無力さを悔やんでばかりでしたが、少しだけ「しょうがなかったのかも。」と思えました。
まだまだ完全な気持ちの切り替えは難しそうですが、少しずつ前を向いて歩んでいきたいと思います。そして彼ができなかった事も私の経験として生きていけたらな、と思います。
ありがとうございました。