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元カノの前で自然に振る舞えません

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つい先日、3年ほどお付き合いをした女性にフられてしまいました。
彼女曰く、覚めてしまったとのことでした。

もともと、高校の部活の先輩、後輩という関係で、お互いに卒業してから付き合いだしたのですが、恥ずかしながら、こちらは付き合いだした当時からベタ惚れの状態でした。
一度浮気をされたのにも関わらず許したり、フられるそのときまで相手との結婚を真面目に考えていたほどです。

今では、彼女とヨリを戻したいとは思いません。一度ならずとも二度までも、しかも二度目はかなり考えた上で自分をフッた人間と付き合うなんて、まず信頼関係が築けません。

そうは思っているのですが……
先日、月に一度ほどある、部活のOB・OGを集めた飲み会で、元カノと同席する機会がありました。
そのとき、彼女を目にすると、可愛らしいなぁ、愛おしいなぁ、という気持ちが出てしまって普段通りに振る舞えませんでした。
そのため、自分の中で、次の会に参加すると言い出しづらくなってしまっています。
何かアドバイスをいただけませんでしょうか……?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

欲求、願望がある。

下心と言っちゃ失礼ですが、下心があるんだと思います。グサリ
本当にあきらめればいいのです。
どのみち別れたんですり、オマケにフラれたんですから。(^<^)グサリ
誰のものでもないのです。特にあなたのものでもない。グサリ
三回フラれるとダメージデカいですよ?
あなたは妄想の中で生きている。
彼女は賢明な判断の上であなたとは合わんと思って浮気もしたし、二度もフッた。グサグサ
そんな女性に酔って、またしてもいたずらに身心を傷つけるというのでしょうか?
もう少し、自分の身を大切になされた方がイイと思います。
夢や妄想を通して相手と付き合っているうちは、どうしても夢が付き従います。
この前まで私と付き合っていた彼女、とか元カノという概念をも捨ててください。
初対面の他人様として接するのです。
そうすると一皮むけて彼女の方からあなたに振り向いてくれるかもしれませんよ。
まぁ、まず99%ないでしょうが。グサグサ
我欲にお気づきになりましたでしょうか?
それが人間を妄想の世界に導く、偉大なる錯覚パワー、餓鬼界の妄想です。
厳しく申しましたのは、あなたの彼女への未練を断ち切るためでした。
甘んじて受け入れ、新たな道を歩んでくれたもーれ。
※餓鬼…自分を中心にしたものの見方。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

時間が解決してくれる

会ったら憎らしくて怒りで平常心を保てない、なんてことはないんですよね。
だったら普通に会に出席してもよいでしょう。

仏教では、心は無常だと言います。
時間とともに感情も変化するでしょう。
ただし、あなた自身がストーカー的に執着心を消す気がない場合は危険です。
きっぱりとあきらめて別れたことを受け入れてるなら、あとは時間が解決してくれるのでは。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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