友達がいない
この前まで友達だと思ってた人が友達ではなくなり誰も友達がいなくなりました。人見知りではないけど大人になると友達はできづらいです。
この先友達なしでやってけるのかどうか。
長いこと友達とは無縁の生活で久しぶりにできたいい友達だったはずなのに私に対する見方、偏見があるようで友達ではなくなりました、残念です。身内もなくし今は両親がいますがいずれ私より先死ぬし、その時は一人です。頼るにも頼れる人はいません。そういう時、心おける友達がいる人は少しは気楽なのかもしれませんがそれも今はないです。
子供の時と違い、大人になるとそんな簡単に友達はできません、損得でみてたりずるい人がいくらでもいるからです。
そうじゃない人に出会う、探すのは難しいです。
この先、若かった頃と違い、ずっと一人で生きてくのは相当大変だろうなと。
どうしたらいいですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは自分
お釈迦様の言葉にもよく友人についてのお話が出てきます。
良い友人と付き合いなさい。悪い友人は遠ざけなさい。よき友と小さな満足を楽しむ、その人生は幸いである。などなど。
人は一人では生きてはいけません、仏教の教えも「和」平和・人の和を大事にすべしと説いています。
けれど、大人になるとなかなか友人が作れないものです。
ついつい、色々と考えてしまうからね。今のあなたのように。
私の次男はダウン症で重度の知的障害児です。
その子がある日、デイサ-ビスから帰宅して、しばらく庭で何をするでも無く立っておりますと、たまたま境内で遊んでいた同じ年頃の男の子が「サッカ-しようよ」と、うちの子に話しかけてきたのです。
一目見て障害児と分かる子ですので、大人はうちの子に気を遣って接しようとしますが、その男の子は実にあっけらかんと、声をかけてくれました。
この男の子には「計らい(はからい)」というものがありませんでした、私はその男の子に仏さまを見た気がしました。
地の果てさんに、それを真似しろとは言いませんが、あまり考えすぎてもよい結果は出ないと思います。
「損得で見てたりする人がいるから」と言いながら、あなた自身が人をフィルタにかけて選別しているように見受けられました。
無理に「友達」というものを追い求めず、そういった出会いはご縁にお任せしてしまった方が良いかもしれません。
法句経の一節
「徳と見識をそなえ、正法にしたがい、真理を理解し、自己の成すべき事を行う者は、世の人々に愛される」
あなた自身が「愛される人」になれば、自然と良い友人が集まってくることでしょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。