私の身内にはいつも説教をしてくる方が居るのですが
その方との接し方に困っています。
その方とはお正月等の行事や身内と集まった時等、
頻繁にお会いする事が多い方の為に余計に疲れてしまいます。
またお酒もかなり飲む方で、
酔ってくると説教の回数も一層と増えてくるので
このような場合には
どう対処したらいいのかと思い相談させて頂きました。
御助言頂きたいと存じます。
いつもアドバイスをしてくださる皆様には本当に感謝しています。
有り難うございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問読ませていただきました。
頻繁にお説教されてうんざりしてしまうのですね。
私も若いときは、色んなご僧侶に触れ合う機会が多くて、よくお説教されました。
その時は私も若かったので「うるさいな」とか「わかってるって」なんて気持ちがほとんどを占めていました。
しかし、どんどん大人になってくると、あまりお説教もされなくなります。自分が年齢的に大人になったのでしょうか。それとも周りがどんどん高齢化してきて、お説教をする元気がなくなってきたのか、もしくはもうお亡くなりになったのか、色んな理由があると思います。
お説教されなくなったり、注意されなくなるというのは、それはそれで自由に好きなことが出来て楽しいのかもしれません。
ところが裏返してみると、それは全部を自分で責任を持って、決定して生きていかなければならないということです。これは、とても不安で勇気のいることです。なぜなら、今自分がやっていることが正しいのか、間違っているのか、わからないまま、人生を進んでいかなければならないのですから。
そう考えてみると、お説教して自分に色々教え伝えてくれる、そういう方がいるのはとても幸せなことです。今は苦痛でも、将来考え直したときに「あの人の言ってたことはその通りだったな」とか、「もっとお話を聞いとけばよかったな」とか、「自分のことを怒ったり説教してまで心配してくれる人なんてもういないな」という思いがきっと訪れるでしょう。
ですので、少し気持ちを切り替えて、「めんどくさいけど、少し話を聞いてみよう」と思えれば、その方のお話しがまさしさんの将来の役に立つことは間違いありません。
なお、お酒がだいぶ入って来たときは、相手も冷静さと正気を欠いてきてるでしょうから、上手に理由を作って逃げたらいいと思いますよ!
何か参考にしていただければ、ありがたく存じます。
求められれば請われれば、
お話しますが、
原則として説教がましい
ことは言わないようにしています。
法要でも亡き方を偲んで、
短いお話をするだけです。
ご往生された方の分まで、
明るく幸せに生きてください。
それが何よりのご供養です。
で、納めます。
ご自身の生き様は、
ご自身で決めるものです。
興味や関心のないことを、
延々と聞かされるのは、
迷惑以外の何物でもありません。
かと言って無視するのは、
大人の対応ではありません。
相手を思いやる心、
慈悲が必要かと。
ご自身にとって、
ためになる部分だけ聞いて、
あとは聞き流すことが、
作法かと思います。
その時は気にも止めないことでも、
何十年も経ってありがたしと、
感じることもあるものです。
説教されるときは、あなた自身の怒り・怠け・プライドの煩悩が試されている場面です。
怒り・怠け・プライドに負けずに、冷静に説教を聞いてあげましょう。
仏教では、布施(ふせ)という修行があります。
品物やお金を他人にプレゼントすることも布施ですが、電車で席を譲ったり、他人に活躍の場を与えてあげるのも布施の修行です。
親戚の方に、説教するという活躍の場をプレゼントしてあげるつもりで、話を聞いてあげてはどうでしょうか。
また、身内の方が説教する場合、あなたに対して心配や不満を抱いている可能性があります。
説教を聞くことは、あなたが他人や親戚からどう見られているのかを知るチャンスです。
また、家族の方があなたに言いにくいようなことを、親戚の人が代わりに言ってやろうと(おせっかいで?)思って、言っている場合もあるでしょう。
私も子供に「早く寝なさい」「早く宿題しなさい」と言ったりします。
それは、私から子供を見たら、夜更かししすぎると学校で居眠りしてしまうのではないか、宿題をやってから遊ぶ癖をつけないと、将来の試験勉強なども怠ける癖がついてしまうのではないかと、「心配」があるからです。
それは、子供から見たら親が勝手に心配しているだけかもしれませんが、少なくとも、親を心配させているというのは事実です。
理想は、親戚に説教させるような隙を見せない(心配させない、不満を抱かせない)ことですが、さすがにそれは難しいですね。
とにかく、あなた自身のプライドや怒りを鎮め、穏やかな気持ちで耳を傾けてあげる、親戚のために時間をプレゼントするつもりで聴きましょう。
説教を受けると、相手の主張ばかりを押し付けられ、自分はそれに口答えなどできる環境ではありません。
そんな説教をしょっちゅう受けて、たまったものじゃないでしょうね。
説教の対処方。
そんなマニュアルなどありません。
もし、あったとしてもそれは小手先だけのもの。
あなたにとって大した意味を成さないでしょう。
説教されると、反発心が沸き起こります。
何も知らないくせに、と憤ることもあったでしょう。
自分がどれだけ出来て言ってるんだと、そう思う事もあるでしょう。
疲れますね。
いっそその場に顔を出さなければ、どれだけ楽なことか。
しかし、その場に出てその方と向き合おうという在り方は素敵です。
まず、その方にとって、あなたは話しかけやすい存在なのでしょう。
自分の人生経験から得たヒント。
すなわち、自分の生き様を素直に受け止めてくれる存在。
その方から、あなたはそのように映っています。
あなたは苦痛でしょうが、人を受け止める在り方こそ、あなたが磨かれる時でもあるのです。
例えば、寺院にお参りし、祈願するとしましょう。
そこに、自分は幸せになりたい。
それにより、他人が不幸になったとしても。
そのような祈願などありません。
自分が幸せになる事で、他の人々も幸せであらなければならないのです。
あなたの行為は間違いではありません。
どの様にするかは、あなたの決めることですが・・・
素直に受け止める姿勢であって欲しい。
少なくとも私は、そう願います。
私の質問に御回答して頂いた皆様には厚く御礼申し上げます。
誠海様へ
私は「言われている内が華」という言葉を聞いた事があるのですが
まさにその通りですね。
ですが、其の方の説教は的外れな事も多いので
もし機会があれば其の方に勇気をもって私の思いを伝えようと思います。
願誉浄史様へ
これからは少しでも其の方に心配を掛けないようにしたいと思います。
花山雲吉様へ
聞く姿勢は大事ですね。少しでも参考になる部分があればそこは
きっちりと受け止めようと思います。