お浄土に行きそこねた?
いつも丁寧な回答ありがとうございます。
どうしても不思議だと思った事があるので質問させていただきます。
今年の夏ごろ駄目だろうなと思っていたのですが、面接に受かってバイトを始めました。
真面目にバイトをしていたのですがうまくいかないことも多く、このままバイトを続けていいのかなとも思っていました。
そんな時9月初めに交通事故にあってしまい私は記憶がないのですが車の下敷きになってしまいました。
記憶がないまま入院となり全治2か月の診断でしたが治りが早かったのか1か月ほどで退院することができました。
車の下敷きになったところを助けてくださったり技術を尽くして治療してくださった先生がたたくさんの方々に感謝を感じ今までより強く生き抜いていかなければならないと思うようになりました。
しかしそこで疑問なのですが、なぜ周囲から必要とされている漫画家さんや女優さん、まだ未来のある幼い子どもさんが火災などで亡くなってしまったのに車の下敷きになるような愚かな私が生きていることが不思議に感じます。
なぜ私はこの世界で生きのびたのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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シャバの御縁が尽きていなかったのです。
「運」
晴香様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
そうでしたか、、大変でしたね。でも良かったです。
感謝して生きてゆくことは大切ですが、まあ、そう気負われずに。また、何か負い目を感じられることもありません。
「運」が良かったと、言えますが、「運」とは「はこぶ」という意味でもあり、例えば、「運命」とは、「命を運ぶ」ということであります。
命を運ぶのは、何より自分であります。
自分の日々の行いが命を運んでいるのであります。
善き行いに励むことで、今世も来世も善き赴きへと命も運んでいけるところとなるのであります。
川口英俊 合掌
寿命がつきていなかった
私は、寿命とは、この世につなぎとめる「縁」の総称だと思います。
酸素や水や電気の存在、救急車や医療スタッフや医薬品、食べ物、家族、医療費制度・法律・国家など、さまざまな「縁」が複雑にからみあった結果、あなたを生かす「寿命」として働いているのです。
もしも、その寿命が尽きたら、やがて細胞が持っている体温(エネルギー)も使い果たして、識(こころ)が離れて、死に至るのです。
あなたの寿命は尽きませんでした。
あなたの周囲にいた人々が、あなたを生かそうとしたのです。
「死ぬな」「死なせない」という周囲の期待も、寿命に含まれるでしょう。
周りが、社会が、世界が、宇宙が、あなたを「まだ生きていていい存在」「存在していい人間」として受け入れてくれている、と考えてはどうでしょうか。
少し温かい気持ちにならないでしょうか。
質問者からのお礼
回答くださった方々、お礼が遅れてしまって申し訳ありませんでした。回答本当にありがとうございます。
川口英俊様
回答本当にありがとうございます。負い目に感じる事はないと書いていただいてどこかほっとしました。善き行いで今世も来世も命を運んでいけるようにしたいと思います。
和田隆恩様
回答本当にありがとうございます。こんな私でも何か人のためになることを見つけられるよう生きていきたいと思います。
願誉浄史様
回答本当にありがとうございます。なぜ生きのびたのかと思ったので、まだ生きていていい存在、存在していい人間として受け入れてくれていると考えてはどうでしょうかと書いていただいて安堵しました。この世につなぎ止めている縁が切れるまで生き抜いていきたいと思います。