hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

失恋の苦痛から立ち直れない

回答数回答 2
有り難し有り難し 31

彼女と付き合って5年目、年始の頃いよいよ結婚しようという話しもあったが、今年5月から遠距離恋愛となって、7月の頃彼女から別れようと言った。理由は色々あるだけど、簡単に言うと私に対する「愛」がもうなくなったから、私と一緒にいるのも嫌になった。(じゃ、この五年間はなんなのと私も思うけど)
しかし、11月ぐらいの時、真実が分かった。
元カノが9月のあるイベントで あるタジキスタンの人に一目惚れしてて、元カノが自分からその人と告白したって...その後はどうなったが分からないが。
それ知った瞬間、元カノに対する感情が一瞬で全部なくなったが、
最近ではどうしでも今までの五年間の出来事を思い出してしまう。忘れようとしても忘れられない。
早くてもこの失恋の苦痛から抜けたいが、どうしたらいいですか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

前を向ければ、新たな出会いがありますよ!

質問よませていただきました。

長年付き合った大切な方ですので、忘れようしても忘れられないのは当然です。私も長年付き合った方と別れた経験がありますので、お気持ちよく分かります。

さて、質問の中で1つ疑問なのですが、7月に別れを切り出され、9月に彼女が一目惚れしたとのことですが、その時系列であっているとすれば、異性の存在でカミカクシさんと別れようと思ったのではないということではないでしょうか。

さて、失恋の痛みをすぐに癒やせるような特効薬は残念ながらありません。
仏教では、愛別離苦(あいべつりく)と申しまして、愛する者と別れる事は大きな苦しみの1つとされています。仏道修行にうちこんで自分の心をコントロール術を身につけている人であれば可能でしょうが、普通の人にはいきなりやれと言ってもなかなか難しいものです。

ですので、何か他のことに打ち込んで気を紛らわす事が出来れば、自然と時間が傷を癒やしてくれますよ。善くも悪くも、時間と共に人の気持ちは薄れていきます。
その薄れていくのを待つ間に、色んな事に打ち込み自分を磨いていければ、もっともっと素敵な自分になれます。そうやって前を向ければ、今までよりももっと素敵な出会いの縁に巡り会えるでしょう。

今は思い出す事も多いでしょうが、そんなことを考える余裕もないくらい、何かに打ち込んでみて下さい。

何か参考にしていただければ、ありがたく思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
法事や行事がなければ、平日・休日共に 9:00~12:00 14:00~17:00 の時間帯で相談できます。 土曜日や祝日の前の日なら、お寺の予定が何もなければ 21:00~ でも相談できます。 他にも調整できる場合もあるので、お問い合わせください。 人に話をしたり言葉に出すことで、気持ちが晴れたり、考えがまとまったりすることもあります。 どうぞ遠慮なくご相談ください。

自己の鏡に残る彼女は自分が描いていた幻・ストーリー・設定

オイオイ(T_T)かわいそうに。泣
かなしいですねぇ。そのパキスタン人も別に悪い人ではないですよ。(おい)彼女も意思がある。人生それぞれ独立国家です。色々な縁が重なってカレーみたいにミックスしてあなたたちも出会ってお付き合いした。出逢う時には出会い、分かれている時には別々。色んなカレー🍛ありますから、新しい恋探しまショー。ところでパキスタンと言えばシークケバブです。ナンとシシケバブーの相性抜群ー。インドカレー屋に行くとシシカバブーだったりー、シークケバブだったりー、シシクケバブって書いてある店もありマース。何か違うんですかって聞いたら「みんな同じ」っていわれました。ケバブー。👶
でも食べた肉はみんな違う羊ヨ。
マァ、でも、そのウズベキスタン人(タジキスタンだ)の彼の方に行ってしまった彼女はもうあなたのもとを去って良かったのですよ。もうお互い自由。ウズベキスタンと言えばサムサが有名デース。インドでもサモサという似たようなものがあります。サムサとサモサは似てても中身は違うんデース。小麦粉の生地の中に夢がいっぱい詰まってマス。あなたの今の状況は食べる前の中身がわからないサムサみたいなもの。コロッケだってかじってみないと味ワカラナイ。かじってみたらどうでしょうカー?違った景色も見えてくるかもです。
「自分たちはもうお別れしたんだ。」と、何度も認識して❝あきらめ❞ましょう。これから寒くなりますからサムサだけに寒さに負けずにねナンチャッテ。アレ?オモシロクナイ?失礼しました。で、そのトルクメニスタン人のことはね?(もういい)忘れましょうヨ。トルクメニスタンと言えば地獄の門が有名ね。まさに今地獄の門でしょ?(おい)それも見方変えましょう。これは今後の貴重な天然資源となるのでーす。おじさんもそうでした。今回の別れも地獄からの解放だったのでーす。コロコロ心が変わる女性をつなぎ留めておくなんて人生地獄。さて、最後はちゃんと答えまーす。人間は失恋すると、心の中の自分の理想・マイワールドが壊れるんです。実はその失われた感覚って「オレの物語・理想ストーリー」なんです。こんなはずじゃなかった=設定・ルール。本当は何も壊れていないことを見抜いてください。幻滅というのは自分の幻が滅しただけ。本当は今は今の新しい真実に出会えているのです。
思いっきり泣いてスッキリしていい幻滅しましょー✨元気デネ

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ