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心を落ち着かせられるようになりたい。

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初めて質問させていただきます。

夜、布団に入り、うつうつとし始めてこのまま寝られそうだなあと思った時、
突然ものすごく不安に襲われることがあります。

このまま眠って明日、起きられるのだろうか。
このまま目覚めないで死んでしまうのではないか。
もしこのまま目覚めなかったらどうしよう。
後悔ばかり残す生き方だったなあと。

そんなことを考えてしまいます。
不安を追い払おうと意味もない声を発してみたり、身体をかきむしってみたりして紛らわせます。
しばらくして疲れると眠りにはつけるのですが、時々そうなると心が疲れてしまいます。
どうにか落ち着いて生きていく方法はないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

朝一番のありがとう

私も同じように不安で怖くてたまらなくなったことがありました
考え始めると怖くて怖くてしょうがないものです

毎朝朝起きて布団から出るときにしっかりと声に出してみましょう

「今日も目が覚めた、ありがとう」

ありがとう、は神様でも仏様でも自分にでも全部に対してでも構いません
今日無事に起きれた幸せ、生かされている幸せ
それを毎朝噛み締めてください

それを知っている人は知らない人よりもっと日々に感謝して生きれるんですよ

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できたことと身体の声を聴く。

週に一回くらいでもいいので、できなかったことより、できたこと。
無事、家に帰れたこと。
ご飯ちゃんと食べれた。

呼吸を整えて、胸に手を当てて、
頭ではいろいろ考えてるけど、
それと関係なく身体は自分の役割を果たしている。

そんな発想も生活の中に入れてみてはいかがでしょうか。

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宗派は浄土真宗 なむあみだぶつです。 北陸の小さな田舎町で住職して...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
どちらの回答も読んでいて涙がでました。

光明寺 翔玄様
不安に思うばかりで、感謝ということを全く忘れていました。
「ありがとう」言ってみます。

長慶寺 泰庵様

出来なかったことばかりが浮かんで、自分を褒めることなどありませんでした。
当たり前だと思っていることを「できた」と思っていいんですね。

「死について」問答一覧

人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

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死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

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亡くなった人の思いはあるのかないのか

今年四月に父が亡くなりました。 両親は私が五歳の頃に離婚をしました。 母に育ててもらいました。感謝しております。 私は今まで父の事をないものとして生きてきました。 帰ってこない、蒸発した父と教えられてきたので その通りだと思って生きてきました。しかし、本当は違いました。 父は母と離婚したのち、数年後に再婚しておりました。 そのことを親戚に聞きました。子供まで二人作っていたことも 知りました。正直ショックでした。そんな人だと思いませんでした。 それも父が死んでから親戚に電話口で聞かされました。 私は今まで二十年以上、何も知らずにのうのうと生きてきたのです。 馬鹿馬鹿しくなりました。そして情けなくもなりました。 自分に対しても、父に対してもです。 私は父のことが好きでした。今も好きです。 本当に好きでした。それなのに父は裏切った。 今も苦しいのです。私にはお父さんがいなかったのに その子たちには二十年以上、お父さんがいた。 一緒に生きてきた。一緒に生活をしてきた。 泣いたり、笑ったり、怒ったり、そんなこともあったのでしょう。 そんなふうに普通の家族としてその二人の子供はお父さんと一緒に いれたのです。しかし、私にはそれがなかった。 父は私のことを無いものとして生きてきました。 私のことを完全に無視しました。 しかし、私もまた同じでした。 私も父の事を無いものとして生きてきました。 そうしなければ、生きていけなかったからです。 封印して父の記憶消しました。父と私は似ています。 きっと父もそうだったのではないかと思います。 本当はつらかった。今も苦しいのです。 死んでから父のことが頭から離れません。 今まで生きている間は父のこと考えもしませんでした。 忘れているのではなかったのですが、封印したのです。 父に会いたいと思ったことも全くありませんでした。 しかし、父が死んでからそのことを聞かされてから 父に会いたくて会いたくて堪りません。 こんなに人を思う、こんなに誰かのことを思うのは、 私の人生の中で初めてです。自分がビックリしています。 毎日毎日父のことばかり考えています。 昔はあんなにどうでもよかったはずの人なのに。 もしかすると父も私のこと見ているのでしょうか。 父も私のこと思ってくれているのでしょうか。 私は何故だかそんな気がしています。

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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

有り難し有り難し 10
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自分が本当に死んでしまう気がします

生きることが怖いです。 私は昔から自分に自信がありません。人目を気にして、顔色をうかがって、周りを羨んで、甘えたり頼ったりするのが苦手で他人と深い関係を築けませんでした。周りが普通に出来ている人生のステップがとても難しく見えました。自己肯定感は低く、変に完璧主義なところがあります。大学生の頃から過食嘔吐も止められません。 学校や会社での経験で、見た目が綺麗な人は生きやすそうだなと感じました。私は中身が空っぽだから外見を良くすれば周りから優しくされて自信が持てて、自分を好きになる人生が始まると思い込みました。今振り返ると恥ずかしい考えです。 整形しようと風俗や援助交際でお金を貯めました。昼は会社、夜は風俗で毎日働きました。父や兄が短気で男性は苦手でしたが、お金を貰うと自分に価値があると勘違いできました。 会社を辞めて、貯めたお金で整形しました。大金でした。手術自体は失敗しませんでしたが私的に違和感のある顔になりました。前の方が可愛かったです。そこから情緒不安定になり鏡を見れなくなりました。 自信がゼロ以下になり、何のために働いたんだろう、勢いでやって馬鹿だった、という後悔。朝がくるのが怖い、将来を考えると不安で心臓がドキドキするようになり、何をするのも気力がなくて涙が出てお酒で紛らわすようになりました。バイトすら今の自分にできるか分かりません。心の底から疲れたという思いだけです。人が怖い。働くのが怖い。社会が怖い。1人が怖い。顔を見せるのも怖い。生きるのに向いてなかった。こんな私は結婚もできず、お金もなくなって母に何もしてやれない。数少ない友達にも会えない。誰にも愛されない。顔を変えて親不孝者。ただ息をするのがこんなに辛いとは知りませんでした。 最初は死ぬのは怖かったです。でも段々と何も希望がないのに生き続ける方が怖くなりました。死ぬ方法や場所も調べて、苦しくなると、死ぬから大丈夫早く死なないとって考えて少し楽になります。親に少しでもお金を残したくてあと数ヶ月は頑張って生きるつもりです。 母だけが心残りです。けどごめんなさい、生きるのに疲れたから明日を終わらせたい。今の自分を認めてあげたいけど無理です。 このままだと私は本当に自殺するんだろうなとぼんやり思います。自業自得で恥ずかしい私ですが、なんとか生きていくヒントはあるでしょうか。下手な文章ですみません。

有り難し有り難し 5
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