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心を落ち着かせられるようになりたい。

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有り難し有り難し 37

初めて質問させていただきます。

夜、布団に入り、うつうつとし始めてこのまま寝られそうだなあと思った時、
突然ものすごく不安に襲われることがあります。

このまま眠って明日、起きられるのだろうか。
このまま目覚めないで死んでしまうのではないか。
もしこのまま目覚めなかったらどうしよう。
後悔ばかり残す生き方だったなあと。

そんなことを考えてしまいます。
不安を追い払おうと意味もない声を発してみたり、身体をかきむしってみたりして紛らわせます。
しばらくして疲れると眠りにはつけるのですが、時々そうなると心が疲れてしまいます。
どうにか落ち着いて生きていく方法はないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

朝一番のありがとう

私も同じように不安で怖くてたまらなくなったことがありました
考え始めると怖くて怖くてしょうがないものです

毎朝朝起きて布団から出るときにしっかりと声に出してみましょう

「今日も目が覚めた、ありがとう」

ありがとう、は神様でも仏様でも自分にでも全部に対してでも構いません
今日無事に起きれた幸せ、生かされている幸せ
それを毎朝噛み締めてください

それを知っている人は知らない人よりもっと日々に感謝して生きれるんですよ

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有り難し
おきもち


できたことと身体の声を聴く。

週に一回くらいでもいいので、できなかったことより、できたこと。
無事、家に帰れたこと。
ご飯ちゃんと食べれた。

呼吸を整えて、胸に手を当てて、
頭ではいろいろ考えてるけど、
それと関係なく身体は自分の役割を果たしている。

そんな発想も生活の中に入れてみてはいかがでしょうか。

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有り難し
おきもち


お釈迦様の教えも親鸞聖人の教えも文字による記録で受け継がれてきました。他の...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
どちらの回答も読んでいて涙がでました。

光明寺 翔玄様
不安に思うばかりで、感謝ということを全く忘れていました。
「ありがとう」言ってみます。

長慶寺 泰庵様

出来なかったことばかりが浮かんで、自分を褒めることなどありませんでした。
当たり前だと思っていることを「できた」と思っていいんですね。

「死について」問答一覧

死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

ある考えに取り憑かれています

少し奇妙な話だと思われるかもしれませんが、お時間いただければ幸いです。 この頃2,3年ほど、頻繁に「死ななくてはならない」という考えが定期的にやってきます。しかし、死にたいわけではないのです。 死ぬということは私にとってはとても恐ろしいですし、いずれ死んでしまうのにわざわざ急ぎたくはないです。 「死ななくてはならない」という考えが出てくる流れは大概の場合 これからも周りの人に迷惑をかけ続けるのなら今のうちに死んだほうがいい、というものですが、これに反論するのは簡単です。 ①死ぬほうが迷惑 ②故意でない迷惑はかけ合って生きていくものだ。などです。 しかしこの「死ななくてはならない」(以下、この考えと表記します) という声はとてもしぶとく、どれだけ論破しようとしても、全て「自分を甘やかして死にたくないだけの言い訳」と思わせてきます。 例えば、「未来の自分が他人にかける迷惑を憂うなんて馬鹿馬鹿しい。そうならないようにいま目標に向かって進んでいるんだ」 と考えると、 「お前みたいなやつが将来どんな貢献ができるんだ。そもそもこんなことをうじうじ考えている時点で頭がおかしいのに、偉そうにほざくな」と、返してしまうのです。 暇さえあればこのような下らない問答を脳内で繰り返してしまうのです。 この考えは大抵非論理的ですが、しぶとく、なにより自己弁護している間抜けさが厄介です。 これだけは確かなことだと信じたいのですが、私は死にたくないです。 自己嫌悪が激しいわけでもなく、自分のこともそこそこ気に入っています。(と自分では思っています。)客観的に自分を見るのは難しいです。 ただ心配なのは、この考えに取り憑かれている時、死というものが軽く感じられてしまうのです。このことはとても失礼で軽蔑するべきだと思います。 おそらく私が恵まれた環境でのうのうと生きているから頭でっかちに考えるのですが、どうか決定的な「この考え」に対しての反論をいただければ幸いです。 なぜなら私はやるべきことがあり、頻繁に思考に時間を割くのが無駄だからです。 長文、拙文失礼いたしました。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

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