こんにちは。
また質問させていただきます。
今回は殺生についてです。
この間寝ていて顔が痒いな…と思ったら蚊がいて、叩いて殺すのは良くないと思い、その時はコンセントタイプの蚊取り線香を炊いて寝ました。
あとから調べると、「蚊取り線香を炊いても殺生となる」と書かれていたのですが、やはり蚊取り線香を炊いても殺生となるのでしょうか。
今は蚊がいるな…って思ったら、肌に使える虫除けスプレーをつけて寝ていますが、それも殺生に当てはまるのでしょうか。
回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はるかさん、こんにちは。
殺生か否かというと、殺生です。
虫除けスプレーはさすがに違うと思いますが(^^;)
言うまでもなく「不殺生戒」が仏教にはありますが
俗世に生きる私たちにとって「戒」とは「守ろうとする姿勢」です。
守れなかったからといって罪悪感を抱くのではなく
「常に気立てのいい人であるように努める」ことです。
日々命によって生かされている私たちです。
植物だって、腸内細菌だって、命ですよね。
奪ってしまった命より、今自分を生かしてくれてる命に目をむけて、前向きに生きることがいいと思いますよ(^o^)
こんばんは。亀山純史と申します。
海外においては、蚊が媒介する感染症が多く報告されています。そのような国、地域においては、蚊を殺生することが、自分たちの命を守ることになるでしょう。もちろん、殺さずに済む方法があれば、それに越したことはないのですが…
ところで、殺生と言えば、私たちの命は他の生き物の命の上に成り立っています。浄土真宗本願寺派の食前のことばは、「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。」です。出だしの「多くのいのち」は、まさに殺生によって得られるものです。もしも、私たちが殺生を止めてしまうならば、それは私たちの生命の存続をも止めてしまう行為になってしまいます。私たちは、この殺生という行為を回避しては生きることが出来ない存在であること。しかし、殺生は決して望ましい行為ではないこと。命におけるこの相反する関係において、私たちは生きていかなければならないのです。どちらか一方だけに偏ってはいけないのです。ですから私たちは、食前には「いただきます。」と言い、食後には「ごちそうさまでした。」と言うのです。
私たちに出来ることは、命の尊さに心を傾け、無駄に殺生をしないよう心掛けていくことでしょう。最後に、金子みすゞさんの「大漁」という詩を引用して私からの回答を終えましょう。
❝ 朝焼小焼だ
大漁(たいりょう)だ。
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。
浜(はま)はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万(なんまん)の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。❞
回答ありがとうございます。
お二人方が言っているとおり、私達は多くの命を頂いて生かされています。
自分を生かしてくれる命に感謝し、常に気立てのいいひとであるように努めたいと思います。
お忙しい中回答ありがとうございました。