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大事なモノと人生の幸福量

回答数回答 3
有り難し有り難し 53

こんばんは。
いつもご回答ありがとうございます。

私はいま20なのですが、今まで青春というものを送ったことがありません。

人それぞれ青春は違うものであるとは思っているのですが、大事なものがあるから頑張れる!とか、ここが私のいていい居場所などがまだ見つかりません。

そして、卒業してから今も受験勉強中で大学を狙っています。

この2年間何をしてもうまく行かなくて、ずっと悩んでいました。夜も、また落ちるんじゃないか、とか不安なことが多くて夜中までずっと起きてしまっています。

私は幼少期から、母がずっと入院したり、友達に騙されたり、いろんなことがありました。

そして、いまは受験勉強をしていて、このままでいいのかな、とか、この先何か幸せだって、大事だって思えるものに出会えるのか、不安です。

そこで、私のように自分に自信がない者でも、何か人生を変える出会いなど訪れる者なのでしょうか。
人生の幸福量は、幸せな人は幸せ、そうじゃない人はずっとそのまま、なのでしょうか。

気づき、や、少しの事にも感謝することで人生は幸せになるものだとも思っています。

青春を送れなくて、いま青春コンプレックにも陥っています。

ご回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今を一生懸命生きることで見つかるモノもあります!

質問読ませていただきました。

少し私のお話をさせていただきますね。
私は13歳で実父を師匠として出家しました。そこから厳しい修行などが毎日あり、友人と遊ぶヒマはありませんでした。もちろん彼女を作る時間なんて全くありません。修行以外に唯一許されたのは、勉強して高校受験、大学受験をすることくらいでした。ですので、修行の辛さを紛らわすためにも、他の時間は勉強をしてました。
その間に父と母(師匠と奥さん)の離婚、毎日兄弟子からの厳しい仕打ちを受ける、といった生活でした。
大学受験は、ありがたいことに師匠に2浪させていただき、そこそこのところに行かせていただきました。

自分にある程度自由な時間が許されたのは、修行を重ねて一人前の僧侶として認められる儀式を受けた後でした。年齢にして25歳くらいでしょうか。
そう考えると、nextstageさんがおっしゃられる「青春時代」というのは、何のおもしろみも無いものだったでしょうし、何か目指すものや大切なものがあったわけではありません。
お寺の息子としてうまれたので、言われるがままお坊さんになっただけです。

さて、こんな生活をしていたわけですが、現在は今までの経験を活かして一生懸命生きようと思えています。
両親の離婚で悩まれてる人には私の経験からお話しできますし、受験で悩んでる人にも、青春時代を楽しめなかった人も、他にも色んな私の経験からたくさんの人にお話をさせていただくことが出来ます。それによって救われたと言って下さる方も、たくさんいらっしゃいます。
このような現状に、私はとてもありがたいと思って満足しております。幸せかと聞かれましたら、自分のやりたいことの形が見えてきて、少しでも多くの人の助けになれる現状に自信をもって「幸せ」だと答えることができるでしょう。そして、そう思えるようになったのは30歳を過ぎてからです。

このように、今までいいことがなかったとしても、その経験があなたの助けになります。今を一生懸命生きることで、それが未来に繋がり、生きる目標がそこから見つかるかもしれません。
それに幸せの量なんて決まっていません。今ある周りのもの全てに感謝できるのであれば、幸福量は無限大です。どれだけお金を持って充実した生活をしても、それに満足すること無ければ幸せはいつまでたっても訪れません。

何か少しでも参考にしてみて下さいね。

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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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先立つものを捨ててみる

責任感がお強いのでしょうね。
常にこれをしなければという事に縛られてきたのであろうと思います。
お疲れさまでした。
青春というのは学生時代だけではなく、自分の目が開いていればいつも青春です。
自分の目が開くという事は、先立てている自分の無い事です。
人生は経験の連続ですから、嫌なことがあると守りが入ります。
前回と同じようなひどい目にあうんじゃないかという先立つ思いが起こるのです。
それを一度捨ててみることです。
たとえは悪いですが、家族で夏に近所のラーメン屋に行きまして。
そこでみんな腹壊したんですわ。
そこからそのラーメン屋には行っていません。
そこを通るたびにまた腹壊すんじゃなかろうかという思いが先立ちます。
ですが、それはその時だけの事。
今日も腹壊しラーメンを売っていたら営業になりません。
人間は過去データを優先させていることがあります。
本当は現場に行ってみれば新しい出会い、新しい世界が待っているのに、自分の脳内ばかりを相手にしてしまっているのです。
それは優先すべきものを間違っています。
一度、そこを意識して、脳内ファーストではなく実物ファーストな生き方を選択してみるとよいでしょう。きっと、さぞかし素晴らしい世界が待っていることでしょう。
脳は自分で変えられるのです。
あ、でも、私はあのラーメン屋はどのみち行きませんがね。(笑)
別のより幸福量の高いラーメン屋で青春が始まっていますので。

結論 被害者意識にとらわれない。同じお茶を飲むのであっても今、新たに味わってみる。

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おきもち

青春コンプレックス?

なんだこの言葉は。「青春コンプレックス」。以前、他の質問者さんがこの言葉を使っていらっしゃって、私は感じました。何だろうこの違和感。それが今、ハッキリ分かりました。

青春って、言うほどキラキラしてませんよ。

私の大学時代は、背中から追いかけられているような得体の知れぬ焦燥感に駆られていました。その焦燥感を何とか振り切ろうと行動し、その行動がまた「本当にこれでいいのか?」という焦燥感を呼んでいました。その無限ループで狂ったように勉強し、バイトし、ゲームしました。

昔よくいた「つっぱり」とかヤンキー。いわゆる非行少年だって、家庭だったり学校だったり、何かしらの心理的な抑圧から反発してたんです。
今で言えばSNSの「イイね」がその抑圧を埋めるものとして取って代わっているのではないかなと思います。
一見、キラキラしているような人も、キラキラしている自分を演出することで、そういう抑圧を誤魔化そうと無意識でしている人が多いんじゃないかなぁ。

じゃあその抑圧って具体的に何?っていうと、それは悩んでる本人にも分からないことが多いんですよね。限りなく大人に近付いているけれど、大人でもない。ちょうど身長がグングン伸びていると骨が痛む成長痛のように、心がグングン大人になっている中での、心の成長痛なのかもしれません。そういう痛みを持つ人は皆、どんなに上手く隠していても本心では自分に自信を持っていないものです。

あなたの場合、受験や過去の体験という分かりやすい要素があるために、かえってそれらのせいに出来てしまっているのかもしれませんね。
でも、青春って、そんなにキラキラしてませんよ。鬱屈としています。青春とは、コンプレックスなのです。それでいいんです。
自分を「こうあらねば」と縛らず、否定せず、肩の力を抜いて、目の前のことを1つ1つこなしていきましょう。いずれ時期が来れば、「そう言えばそんなこともあったな。いつの間にか忘れてた」ってなるものですよ。大丈夫。受験、頑張ってね。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

藤川さま
お返事遅くなり申し訳ありません。私はいつも先ばかり見て、いまを生きていないところがあるとおもいます。藤川さまのお話を教えていただいて、すごくこころが楽になりました人の役に立てるようなことをしたいっておもいました。そして、一生懸命いま生きれるように頑張りたいとおもいました。わたしが藤川さまに教えていただいたみたいに、わたしも人が心が軽くなる話をできる人になりたいとおもいます。
ありがとうございました。

安隠寺さま
お返事遅くなり申し訳ありません。責任感は確かに強い方で、何かしなければといつも思っていたかもしれません。それを、いま第三者のお坊さまから言っていただいてやはりそうだったのだときずくことができました。
そうですよね、いつでも自分が楽しければ青春ですよね。今年は、何かチャレンジして、苦手だったもの克服してみようとおもいます。ありがとうございます。

大慈様
私は枠にはめられた生き方で生きていたのかもしれません。ちょっと、映画の世界がキラキラしていてあーなりたかったな!とおもっていたところでした笑。みんな青春ってゆう青春はないんだなってちょっと安心しました。
これから、年も開けたのでアンテナ張り巡らせたいとおもいます。ありがとうございました。

「幸せとは・幸せになりたい」問答一覧

幸せな時期が来るのか不安です。

まず私のこれまでをお話しします。 特に大きな幸運、不幸なく大学まで卒業。 26歳で結婚、28歳で娘が誕生。 31歳で2人の子どもを妻が妊娠するも同時期に大腸癌(ステージ4)が発覚、治療に専念するために子どもは流産、35歳で妻が他界。 38歳となる今年1月にお子さんが2人いる方と婚約、その直後に婚約者が妊娠、4月に結婚、9月に離婚したいと言われる、1月に離婚予定となっています。赤ちゃんは再婚した方が育てます。 離婚理由は再婚した方と私の娘の不仲で、再婚した方が生理的に受け付けれなくなってしまい離婚を言われました。 再婚した方と赤ちゃんか、私の娘かの選択に迫られました。一度愛した方への責任と親としての責任で悩みました。赤ちゃんにはどちらになっても親と暮らせます。しかし私の娘は私しか親は残されていませんので、私が再婚した方を選ぶと親と暮らせなくなってしまいます。私の娘への責任を取り、離婚を受けました。 20代はとても幸せでしたが、30代になって不幸が続いています。再婚という幸運を感じた時期もありましたがすぐに離婚と不運がやってきました。 来年は39歳となり40代が目前となりました。 人の人生は良い事と悪い事の繰り返しだと思っていますが、今40代に幸せがやってくるのか不安です。 最近、不幸な状況から仏教に出会い、まずは欲まみれの自分に反省して、嫉妬や妬みを減らすように心がけて、心を落ち着かせれるように気をつけています。 結婚できただけ幸せ、子どもがいるだけ幸せ、赤ちゃんが無事に産まれただけ幸せ、仕事があるだけ幸せと思うようにもしています。 しかし、ふとした瞬間に辛くなります。 何か状況を好転もしくは心が安定できるような考え方はあるのでしょうか。

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幸せになってはいけない気がしてしまう

たびたび母との関係で相談させて貰っているものです。 私は母との共依存関係であります。一人暮らしをしていますが、精神的な分離がまだまだな気がしています。 それが関係あるのか、ないのかわかりませんが、自分の幸せが考えられないです。 本当は自分自身の家族を持ち、幸せな家庭を作ることを私は望んでいるんですが、親にはそうした結果は望まれていないような気がしています。 そう感じたのは、母とのやり取りで、母はことあるごとに帰ってきて欲しいというサインを出します。また私が結婚願望を口にするといい顔せず複雑そうな様子を見せます。 親なんて気にせず自分自身の幸せを考えたらいい、期待するからダメなんだ、親にわかって貰おうとか期待しないようにしようと思うのですが、どうもうまくいきません。 子供の幸せが親の幸せなんていいますが、母は私と二人いつまでも仲良く協力していければそれでいいみたいな感じです。 私は申し訳ないが、そんな人生しんどいんです。今まで母が私を育ててくれたのは感謝しますが、私には私の人生がある。 だから一人暮らしもして、共依存から離れようとし、親に期待しないようにと考えていましたが、心のどこかにわかってもらいたいとか、よくわからないモヤモヤしたものがあります。 こうした気持ちはどうしたらなくせるのでしょうか。幸せになりたいんですが、若干怖いような、なれるんだろうか?というような気持ちもあります。 いつまでも何かが心の中でストッパーのような苦しさがあります。 ちなみに父とは離婚しており、母一人子一人の状態です。 ご意見頂けたら嬉しいです。

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どんな境遇でも幸せでいるためには

前回の質問から自問自答するなかで、 生きると決めたからには幸せでいたい。 幸せは伝播する、寄ってくる。 自分が幸せなら周りも幸せ、逆も然り。 不幸でいると段々と人が離れていくから幸せでいなければ。 という1つの考えに辿り着きました。 話は変わります。 今まで生きてきたなかで、本当に幸せだと思える人が3人いました。 彼女達は共通して 両親とも学がありお金持ち、家族仲も良く、立派な進路に進み、文武両道で才色兼備、美人で性格は優しく謙虚で真面目で努力家、天真爛漫で素直、とても思いやり深く、どんな人にも分け隔てなく接することができ、老若男女問わず会う人会う人皆から好かれていました。 いつも輝いていて災難に遭うこともなく、1度も彼女達の口からネガティブな言葉を聞いたこともありません。 10代の頃はそんな彼女達をみて、一緒に居て癒され元気を貰いつつも、恵まれてて羨ましいとどこか冷めた瞳でみていました。 また、彼女達のことは好きでしたが自分が辛い時期に彼女達に会うと比べて惨めさに襲われるので疎ましく思う気持ちもありました。 ですが、色々な辛い経験をしたり辛い境遇にいる人達をみてきた今は、自分の周りに不幸と思えてしまう人達が目に入りやすいなか、彼女達のような存在がいてくれることで、「生きている皆が皆不幸になるわけじゃない、ちゃんとこうして幸せに暮らせてる人達もいるんだ」と安心することができます。そして、私も出来ることなら彼女達のようでいたい、とも感じます。 何が起きるか分からないのが人生。 心身とも余裕がある時、経済的・社会的に安定している時は幸せでいることが比較的容易であると思いますが、そうでなくなれば幸せを感じることは至難の業だと思います。 ですが、彼女達は日々の苦労や辛い経験もしているのにも関わらず、そんな時でも幸せそうです。 初対面でも苦労や不幸オーラを感じる人がいる一方、彼女達はそれらを感じさせない何かがあります。 不思議と彼女達が不幸になって将来困っている姿も全く想像できません。 彼女達には生まれ持った才能?強運?幸運遺伝子?のようなものが備わっているのでは、という気さえします。 そこで質問なのですが、どんな境遇にいても幸せを感じれる人はいるのでしょうか。またそのようになるにはどうしたら良いのでしょうか。 お坊様方の智慧をご教示いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 12
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自分だけ幸せでいいんだろうか

 いつもお世話になっております。私は、「自分だけこんなに 幸せでいいのだろうか」と思っています。  それゆえに、わざと刺激の強いメディアに接したり、SNSを 見てしまったりして体調を崩し、また「自分だけry」という 悪循環になります。  私は、祖父母の遺産を相続して18の若さでアパート大家に なりました。それ以来、人間関係で難儀をすることも多々 ありますが、基本的には不自由なく過ごせています。  しかし世の中には、この国でも、大学へ行きたくても 行けない、家族からの暴力、研究費が足りなくて病気の 研究ができない、などといった問題があります。  私は発達障害ですが、健常者さんのほうが生きづらいの ではないかと思っています。私たちは、保健センター、 相談支援事業所、病院など、様々対応していただける場所を 知っています。専門外であると判断されれば、他所に繋いで いただくこともできます。  健常者さんは、暴力に遭ってもどこに相談すればいいかわから ない。病気の症状が出ても、病院探しが大変。学校へ行けなければ、 断念しなければならない。  私たち発達障害者だけが、「生きづらい!」と主張する のは、非常にお門違いです。  私のアパートの管理会社のお兄さんも、残業残業で体調を 崩してしましました。 「会社は守ってくれない、自分で見切りをつけるしかない。 僕らは営業の駒でしかない」 という言葉が印象に残っています。  私は毎日コンビニに行くたび、教育基金などに10円でも 100円でも寄付をしています。就労したら、医科大学にある程度 まとまったお金を寄付するつもりでもいます。  環境団体にはしません。胡散臭いところが多いので。  お金だけでなく、けがをした人がいたら、去年取得した 普通救命の資格の知識の元応急処置、小さなことでは、 お子様連れに道を譲るなどしています。  不幸になりたいわけではないのですが、もっとたくさんの人が 幸せになればいいのに、なんでこの世には不幸な人がいるんだろう、 と思うとしんどくなるのです。

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幸せな人生とは

高校生の時に人生が辛くなってしまった際、このサイトを利用して救われた経験を思い出し、大学三年生になった今また利用させていただきます。 私は現在、絶賛就職活動中です。 そこで自己PRや自分史について振り返る機会が多く、これまでの人生において私は明らかに才能やセンスがないものの、両親の考える基準が学問・スポーツ全てにおいて高かったため、体力と忍耐で才能と目標の間にあるかなりのギャップを埋めて来たことに気づきました。 求められるレベルが高く、でもそれが標準であると刷り込まれているからこそ、周りの人にダメな自分を見せることができず、常に余裕のある人物であるように装って来た人生でした。 そして今就職活動に取り組むにあたり、これまで世間一般的にはエリートとされる人生を歩んできて、その過程では両親にたくさんのお金をかけてもらったからには、高いお給料が発生する職業に就かなくてはと思う反面、本当に優秀な学生をたくさん目の当たりにして、この学生たちに追いつかなければならないだけでなく、追いついた先にも優秀な社会人がたくさんいる中でまた頑張らなくてはいけないと思うと、終わりのない努力に対して自分がついていける自信が全くありません。 ですが、特に将来やりたいことがないので、無難に大手企業に就職して経済的に安定した生活を送ることが最善な策であると思っています。 でもやはり、できない自分を受け入れずにできる自分を一生追い求められる自信も気力がありません。 長々と書いてしまいましたが、就職活動や仕事に取り組むために、劣等感に駆られて足掻く以外の方法で人生のモチベーションを上げる方法は存在するのでしょうか。 それとも、努力をしないで楽をする代わりに、できない自分と(言葉は悪いですが)金銭的に低レベルな満足度の生活を受け入れるべきでしょうか。 どちらを選べば私は幸せになれるのでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

自分で自分を幸せにする言葉下さい

夫が鬱かもしれないらしいです 心療内科に行き鬱のチェックリストで60点中39点で鬱っぽいと診断されたそうです 結婚歴は13年で子どもは3人います。 夫は、家族を捨てようとしたことがあります 後から聞いたら、そんなつもりはなかった、あれは冗談みたいに言ってました 普段の家族仲は良いです 最近、私が正社員で働き出し 今までは家の事メインでしたが、最近は仕事がメインで資格の勉強もしてます 夫の元気がなくなったのが、私が働き出してからです 夫も自分の仕事の資格の勉強してるけど、私が先に合格したら 本当すごいね、今も全部やってるし、俺いらないねと言ってきました 昔、家族を捨てようと出ていこうとしたときと同じセリフなので、凄く怖いです 当時は夫が事故で入院したり借金があったので 私が昼間は育児家事、深夜に働くという睡眠時間1日3時間くらいの日々を送ってました 今もそうだけど、当時もそんな生活を永遠に続けても大丈夫と思ってないです。 一時のことだからと思い、頑張ってて 私が頑張ってたときに出ていこうとしたときは、本当に心が壊れて、 正直何年か鬱っぽかったです。 でも、そういう私の辛さはみてくれません いつも自分のことばかり心配で大事で こっちだって死にたい気持ちに何万回となってます 私が一人で養っていくほどの経済力はありません 夫が死んでくれたら生命保険あるので、 死別でしたら、一人でも子ども達を養っていけます でも、この結婚生活の中で死にたいとか言い出すのしょっちゅうあったけど 死のうなんてしてないです 死ぬ死ぬ言いながら絶対に自殺しないタイプだと思います 結婚生活の安定がほしいです 安定してた時期も長くありますが、 前の出ていきたい宣言から7年経ってのこれです 私が、転職するまでは、夫のこと気にかけたりしてしょっちゅうデートもしてましたが 今は時間がなくてしてなくてもう大丈夫だと思ってました、 夫がまたこじらせることはないって 少しくらいこじらせたとしても、家族に対してはゆらがないだろうと思ってました 私だって、家族捨ててどこか一人で遠くに行きたいって思ったこと沢山ある なんで夫はそんなに自分が一番大事なの 鬱の人に頑張れって言っちゃいけないらしいので 夫に私の思い何にも言えないです。 あんただけじゃなく、こっちだってすごく辛いこといっぱいあったよ!って

有り難し有り難し 2
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誰かを幸せにしたいのに何もできません

私は幸せを感じるのが苦手です。 いい音楽やきれいな夕焼け、四季の風、おいしいごはん、家族との対話。 そのすべてに対し申し訳ないと思い、罪悪感でいっぱいになってしまいます。 休日は時計を眺め、80で死ねるとしてあと○○時間だ…と考えることしかできません。 しかし私が今自殺すると、両親や会社の仲間、友人、その他の迷惑になってしまうので、本気で死のうとは思いません。でもこれも甘えかもしれませんが。 . 本題に入りますと、自分が幸せになるには誰かを幸せにする事、そうすれば自分も幸せになれると聞いたことがあります。 なので仕事を頑張り、他人の嫌なところが見つかったら3倍は良い所を見つけ伝え、愚痴をこぼさず、向上心を持ち、 不快にさせないよう言葉は選び、苦手な人を作らないように全力で生きています。普通の人の全力には程遠い、甘えたどうしようもない出来損ないの全力ではありますが… それで、今自分の気分はどうかというと、1秒でも早く死にたい、産まれてきたことを償わないといけない、その二つがほぼ全てです。 自分の中に幸せだとか、生きていたいとか、そういう感覚は一切ないです。 感謝の心を大切にと、「ありがとう」と事あるごとにいっていますが、自分の中の産まれてきたことを謝罪しろが、 生きていてはいけない、でも迷惑をかけて死んでもいけない、だから自分は今も罪を重ね続けているといった感覚が襲ってきます。 . 本題ですが、私はこれからどうすれば他人を幸せにできるのでしょうか? 肉体労働でも、寄付でも、その人をほめるでも、その人のことを考えたプレゼントでもなんでもやります。寧ろすでに相当やっています。 それでも一切幸せは感じず罪悪感が募るばかりです。 何かいい方法はないのでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ