辛いのに生きる価値って?
人生は苦しいのに生きる理由って何ですか?
生きることは苦しいです。たまにちょっとだけいいことがあるぐらいです。
なのに何で頑張ってまで苦しい人生を生きる理由がありますか?
偉業を成すため?金持ちになるため?
頑張って偉くなって歴史に名を残したり、大金を集めて贅沢したからってそれが何なんでしょう?
死を避ける本能から?
ただ死にたくないからって理由で苦しみに満ちた一生を続けるのも下らないと思います。
いつか幸せになるため?
感情が満たされたからって何でしょう?それに死ぬまで幸せになれず苦しみに満ちた何十年の人生が残るだけかもしれません。
考えても苦しんでまでも生きるに足る理由が生きることからは見いだせません。
子供っぽい質問かもしれませんがなんでこんなに頑張ってまで苦しみしか与えてくれない人生というゲームをプレイしてるのか分からなくなっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
渇愛
生を求め、死にたくないという本能、仏教で「渇愛」と呼ばれる執着心。
これがあるから、苦しい人生なのに生きていたいのです。
また、仏教では、この渇愛をなくさないかぎり、つまり悟らないかぎり、死んでも別の生きものに生まれかわって輪廻転生をくりかえしてしまうと考えます。
それが基本的な仏教の考え方ですが、それに加えて、他者のためにあえて生きるという考え方もあります。
お釈迦様は、人生が苦だと気付き、悩み苦しみの原因は煩悩だと発見し、煩悩を克服する方法を人々に説きました。
「人生は苦だ」と気付くことが、実は、悩み苦しみを軽減することにつながるのです。
お釈迦様は、「苦」を宣伝することで苦を減らすことにつなげたのです。
あなたも、苦と向き合い、苦をコントロールできるようになったら面白いと思います。
苦はなくなりませんが、不平不満をなくすことはできます。
お釈迦様は亡くなる寸前は体調不良で苦しんでおられましたが、お釈迦様はそれを「不幸」とは思っていなかったと思います。
「四聖諦」
ware様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
確かに釈尊は、「一切行苦」(一切皆苦)と申されました。
しかし、更に、四つの聖なる真理である苦・集・滅・道の「四聖諦」をお説きになられます。
確かに私たちは色々と苦しんでしまっておりますが、その苦しみも、何ら原因や条件無しに生じているものではなく、苦しむ因縁(原因と条件)があってのことであり、その苦しむ因縁を無くせられれば、当然に苦しみは無くなるものとして、苦しむ因縁を無くすための道をお説きになられたのであります。
是非、これより、苦しむ因縁を無くすための道である仏道を歩んで頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
やはり生きる理由なんてないんですね。死にたくないという本能で生きているだけで。
生きる理由は自分で作るもののようですね。私にはこんな大きな苦しみに耐えてまで生きる理由はこの世に見つかりませんが
参考になりましたありがとうございました。
なるほど苦しみの原因を無くせば苦しみはなくなりますね。苦しみに耐えて生きるのではなく苦しみを無くすという方法もありますね。
そうすれば生きる価値もありますね。ありがとうございます。