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普通の生活とは

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有り難し有り難し 69

私の父は以前働いてた会社が倒産し、無職になりお金が無く、学費も材料費も検定代も成人式の振袖代も自分で稼がないといけません。そのためほぼ毎日バイトをし、多い時では6連勤もし、身も心も疲れました。
そんな時思うのです。もし父がちゃんと働いてお金があれば、怖いお客様のクレームに我慢しながらバイトをすることも無く、自分のやりたいことに時間を使ったり、観たかった映画を観たり、読みたかった本をとことん読んだり、自分のことに時間が使えるのにと。
周りの友達もバイトをしてますが、学費に使わず、ディズニーランドに行ったり、遠くまで旅行したり、好きなアーティストのライブに行ったり、すごく羨ましいです。私には到底出来ません。
私だって普通の生活がしたいのに、普通の生活って何なんだろう。今私が生活しているのが、普通の生活なのだろうか。

普通の生活って、何ですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

周りや言葉に踊らされないで下さい!

質問読ませていただきました。

人はどうしても周りと自分を比べてしまいますよね。特に自分が辛いときは、余計に周りのものが羨ましく、妬ましくなります。
ちぃかまさんはまだお若いのに、たくさんの苦労をされて、色んな思いを抱えておられると思います。心中お察しいたします。

さて、1つ昔話をさせていただきたいと思います。
私の宗派では、1人前の僧侶になるためには決まった儀式を受けなければなりません。修行が一定の水準に達することももちろんですが、昔(100年ほど前)におきましては、その儀式は自分が全てお金を出して着る物から道具から全て揃え、たくさんの方を自分のお金で招いて接待費まで自分で出さなければなりませんでした。親がお金持ちという方は親に出してもらったり等もあったようですが、なかなかそんな大金を用意するのは難しかった修行僧の方もいらっしゃったようです。
そういう人は、様々な方法で少しずつお金を貯め、足りない分は色んな人にお願いしてお金をかき集め、必死の思いでその儀式を受けられたようです。それだけ必死に自分の人生をかけて受ける儀式でしたので、本人の感慨も深かったようです。そして、その苦労のおかげで、人生をかけて僧侶として真っ直ぐ生きていこうと決意される方が多かったようです。

このように、苦労を重ねたら重ねた分だけ、自分にとっては1つ1つの出来事が大切で思い出深く、重要なモノになります。
学費も材料費も検定代も自分でとのことでしたら、自分の将来について真剣に向き合い考えることが出来るでしょう。
成人式の振り袖代も自分で稼がないといけないならば、その成人式は一生忘れられない感慨深いモノになるでしょう。
つまり、ちぃかまさんにとって、人生の全てが他の人より特別で印象深く、記憶に残るものになるのです。苦労した分報われたときの嬉しさは何倍にもなるでしょう。それって素敵な事ではありませんか?

そして、それがちぃかまさんにとっての普通なのです。『「普通」とは何か?』と言われましたら、人によって変わります。今自分が生きている環境が、自分にとっては普通なんです。
周りの人達や言葉に踊らされないで下さいね。

ちぃかまさんの周りから見たら特別だが、自分にとっては「普通」である素敵な人生を、自分のペースでしっかり歩いていって下さいね!
たくさんの幸せが訪れることを心よりお祈りしております。

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京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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人生に無駄なことはないのでは

まわりのお友達が楽しそうに学生生活を楽しんでおいでなのにアルバイトの毎日、たいへんお疲れのことと存じます。本当にご苦労様です。

私自身にはあなたようような経験はなく、子どもも「下宿したい」とはいうもののアルバイト代は本人の小遣いという暮しびりです。だからあなたに自分の経験を通して何かを申し上げることはできません。

ただ、出来ましたら、「いまはそういう時なのだ。この経験は決して無駄にはならない。後であんな経験をしておいてよかった」と思えるようになっていただきたいと念願しています。

私は日系カナダ人の宗教について調べています。きっかけはカナダに渡った人のなかで私が住んでいる滋賀県彦根地方の人たちがもっとも多いからです。そしてその人たちはお寺やキリスト教の活動に熱心な方たちでした。

宮崎政次郎という医師は14歳のとき、バンクーバーで働いていたお父さんに呼び寄せられてカナダに渡航しました。お父さんと暮らし始めてすぐ、「北の方に鮭獲りに行く」という言葉を残したままお父さんは消息を絶ちました。その後、政次郎少年は完全に自活なさいます。白人家庭で住み込みのボーイの仕事をしながら学校に通い、キリスト教会で英語を学びました。高校を卒業し地元の大学に進学の後、医師になる決心をします。有色人差別の激しい時代でしたから成績超優秀でもアジア人を受け入れてくれる医大はなかなか見つかりません。アメリカに唯一、受け入れてくれる接骨医養成の医大があり、ようやく入学します。もちろん医大で学びながらアルバイトを続け、それは卒業式のその日まで続きました。

アメリカで実地の経験を積んだ後、バンクーバーに帰り日本語しか話せない日系一世のために医院を開業しました。太平洋戦争がはじまると日系人は住み慣れたバンクーバーを追われ、宮崎医師もへき地で医師が少ない地域に引越しを余儀なくされました。そしてその地で老齢により引退なさるまで医師として活動を続けるかたわら、キリスト教会活動や社会奉仕事業に献身なさいました。亡くなってかなり経った今も宮崎医師を尊敬しておられる方は多いです。

あなたは周りのお友達が羨ましいでしょうけれども、今はお友達には経験できない得難い勉強の時期だとお考えいただくわけにはいきませんか。偉そうなことをいっているならお許しください。どうぞご自身とお父様やご家族を大切になさってください。

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おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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親からもらうものは財産だけじゃない

私も学生時代にお金がなく、睡眠不足になるくらいバイトをしていました。また、奨学金をもらっていて、社会人になってから返済しました。
なので、親がお金持ち(普通レベル)の人が羨ましい気持ちはわかります。
学生時代は私もそんな考えでした。
ただ、その後、私はだんだんと考え方が変わりました。視野が広くなかったのです。
親が貧乏だから親から財産をもらえないのは、たしかに不運です。
しかし、私達が親からもらうものは、財産だけじゃないのです。
遺伝による能力・素質、健康、生活習慣、知識、人間関係、日本に暮らせる資格(国籍)など、たくさんあります。
たとえば私は、お金はありませんが、幼少時代を除けば、入院するほどの病気やケガをしたことがありません。
これも、親からもらったものではないでしょうか。
私が日本語を話せるのも親からもらった能力です。
あなたに学校に行けるくらいの知能があるのも、親からもらったもの。
世界中には、それらがない子供達がたくさんいます。
テロリストなどに追われた難民の子供達や、先天的な病気のある子供達もいます。
さらに言えば、野生動物と比べれば、人間の子供に産まれただけでも幸せです。
視野を広くしてみませんか?

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。とても深い言葉に感動しました。
周りとは比べずに自分のペースで今の生活を生きていこうと思います。いつかきっと、今の苦労が今後の幸せに繋がると信じて。
ほんとうにありがとうございました!
何事も頑張っていきます!

「生きること・生きるとは」問答一覧

生きていることが恐いです

今年の夏は、異常でした。でもあれは、今年の夏だけの異常さではないと思います。 今、南半球では、異常な夏が訪れています。私たちの住む北半球でも、30度を超える冬、魚の大量死など、異常な冬の訪れを告げるニュースがあちこちで流れています。 地球が壊れかけています。異常な暑さと、環境の変化による食糧不足、水不足、それらを起因とした人々の争い。これから先の未来を考えると、恐ろししか感じません。 そんな世界に子供を産んでしまったことが、申し訳なくて仕方がありません。自分はもう死んでしまいたいと、こんな怖ろしい世界にいるくらいなら、もういいと思います。でも、そんな恐ろしい世界に親もなく残された小さな子供たちのことを考えると、苦しくてたまりません。 必死で生きてきました。仕事も見つけ、色々ありながらも、家族を養える程度には何とかなっています。でも、これからの大きな変化の中では、そんなもの何もなりません…… 逃げ場はないですし、それでも生きていくしかないと頭ではわかっています。でも、恐怖は、変えられません……。 化石燃料を無駄に使う人を、憎む気持ちすら浮かびます。こんなもの、なくていいじゃないかと、エネルギーの無駄ではないかと思うものを見るたびに、落ち着かない気持ちになります。でも、ヒトが生きていくには、時に「無駄」に見えるものが重要なことも知っています。 こんな状況で戦争なんて、何をやっているんだと思います。個人でできることを必死で探してやろうとはしています。でも、そんなもの何もならないことも、やはり頭ではわかってしまうのです。 こうした不安を、エコ不安というようです。世界でも増えているようですが、無理からぬことだと思います。出口のない、ないことを知ってしまっている、苦しさがエコ不安の難しさだと感じています。 出口がないのなら、しのごの考えずやるべきことだけをやる。分かってはいるつもりですが……苦しいです。

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生きていることだけでも褒めて頂きたい

 生きることに疲れてしまいました。まだ若いのに何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、どうか私の過去を聞いてください。  幼稚園の頃の先生からの虐めが全ての始まりでした。先生たちは、いつも私を馬鹿にしたように笑い、私の目の前で私の悪口を言いました。腕を脱臼した時は気のせいだと聞いてもくれず、一日中その状態で放置されました。いつも適当に扱われ、泣くと面倒臭そうな顔をされ、私は段々死にたいと思うようになりました。その程度で病む私が弱いだけなのですが、とにかくそれが原因で自分はダメな人間なのだと思い込んでしまって、人の目が怖く、笑っていても内心嫌っているのではないかと常に人を疑うようになりました。  小中と虐めが続き、暴力や陰口、物を隠されたり捨てられたりしたこともありました。今思えば私の性格も悪かったのではないかと思いますが、当時はそんな俯瞰もできず、ただ受けたことに対する怒りと悲しみで一杯でした。そしていつしか私までもが、仕返しまがいに人の悪口を言うようになっていました。  中学の頃、仲の良いと思っていた友達が、実は裏でずっと私を笑い物にしていました。私が相談した悩みを言いふらし散々馬鹿にし、私の盗撮写真を勝手に友達に送り不細工だと笑っていました。  それをきっかけに私はもう誰も信じれなくなり、自分に一切の自信を持てなくなりました。環境が変わり悪口をやめても優しく接しても結局好かれることはありませんでした。みんなから嫌われている、信じても裏切られる、そんな私のただの被害妄想だったものが、いつも現実になって突きつけられるのです。何も思い通りにならないのに、それだけは必ず予想通りになるのです。  悪口を言い出した時点で私はもうただの被害者ではなく“どちらも悪い”と言われる立場だと思います。人と上手く付き合えない私に問題があることも、全て自業自得であることも私が一番よく分かっています。こうして悲観的な部分も、見苦しく思われるでしょう。それでも今だけはどうか私を責めず、生きていることだけでも褒めて頂きたいのです。生きているだけでいい、そんな言葉にいつも憧れ、自分も誰かに言ってもらえたらどれだけ幸せかと思っていました。少しでも、何かお言葉を頂けたらと思います。

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生まれてきたのが間違いだった

今回もお世話になります。 前回と被る内容もありますが、どうかお聞き頂けると幸いです。 私は発達障害があり、勉強や人間関係の構築がとても苦手です。そのせいで、小学生の頃は自己中で友達を嫌な思いにさせ、中学は先輩に失礼な態度を取り先生にも愛想をつかれ、3年間ほぼ全て不登校になりました。また、高校に進学してもすぐ辞めてしまいました。 16歳~18歳はパートをしていましたが、いびられて私自身耐えることが出来ず職を転々としました。そして、18歳を最後にそれ以降無職です。 また、19歳の頃にネットで知り合った人に粘着してしまい、一度は許してもらったもののその後も長文メッセージを何度も送ったりして怖がらせ、嫌われ縁を切られました。 そして現在は、過去の過ちの罪悪感でとても苦しいです。 もちろん反省していますし、今後は気をつけようと誓いました。 それでも私のしてきたことは許されないですし、罰せられるべきだと思います。 生きている価値がない、幸せになってはいけないと思います。 なにより、血縁関係者の中で私が一番の落ちこぼれですし、生きていることが恥ずかしいです。 それでも母は私の事を愛してくれるので心が痛いです。 全て己の過去の過ちのバチが当たったのだと思います。 私は産まれてくるべきではありませんでした。早く死にたいです。 長文乱文失礼致しました。 なにかお言葉を頂きたいです。

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生きていてはいけない人間はいるのか

書いている内にダラダラと長くなってしまったので、質問内容をできる範囲で簡潔に書きます。「働きたくない、それのために努力もしない、ゲームばかりする人間で、それが周りに分かれば自殺する人間は感情論などを抜きにして死ぬより生きる方が周りに迷惑なので死ぬべきか」です。 今学年上では大学4年ですが、実質的には大学3年です。その理由は、研究室に入らず、内定も決まっていないからです。 ですが、そのことは家族や友人など周りの人には隠しています。その始まりは研究室選びの時期を間違えたことが原因でした。 元々やる気も無かったのですが、研究室に入っても毎日大変で、それが終わっても就職して働くことを考えたら今死んだほうが良いと考え、道具や場所などを考え、イメトレをしました。 それでも本当にバレるまでの間は遊んでから死ぬことを選びました。しかし嘘の日程である内定式ももう明日には迎えるので、きっと死ぬだろうと思います。好きなときに遊べないのならば生きようとは思いません。勉強もしたくありません。仕事したくもありません。 思えば子供の時も、もし犯罪を犯して懲役刑になったら自殺することを考えていました。そのくらいゲームなどの遊びは好きでした。 カウンセリングも9ヶ月ほど前にも受けましたが、やはりこんなクズは死ぬしか道はないと思います。 私自身の意見は、実際に自分の子がそんな子であると分かれば、無理矢理にでも働かせるか、勘当するかのどちらかであると思います。将来確実に働かないのであれば、養ってる意味がないからです。 私はそれが分かっているので、迷惑だとは思いますが自殺すれば迷惑や恥などの意識もなくなり関係ないので、自分としても楽だと思うし、迷惑かけ続けながら死ぬよりもそれが結果的に周りも最善であると思います。むしろ、生きていては今すぐ死ぬよりも他人を不幸にする人間であると思います。 しかし、このようなことを調べてもここまでのクズはいないのか、うつ病などの症状、自殺はダメなどの情報しか出ません。結局全く努力しない、非生産的な人間には価値はないと考えています。 なのでここならばより多い情報で正確な回答がもらえると感じ、質問しました。 結局は社会からも死ねと言われて死ぬことすらも正当化してもらおうとしているだけなのかもしれません。相談内容、文脈が滅茶苦茶なこと、長文であることすべて申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

思う様に生きるという事

私は命に関わる病を経験した後、 コロナ禍の自粛生活の中で人生を見つめなおしていました。 考えてみれば今までの人生、 周りの目を気にし過ぎてやりたい事をやらずに 無難な選択ばかりしてきました。 子供の頃から我慢をして良い子を演じて来ましたし、 人生の選択も周りから見て印象が良い選択をしてきました。 しきたりや世間体を気にする家庭で育ったせいかもしれません。 今まで考えた事が無かった心からやりたい事、 将来の目標が見えてきたので 心を入れ替えて本心からやりたい事をし これからは悔いの無い人生を歩みたいのです。 ですが、心に引っ掛かる事が有ります。 私の生まれ育った家庭が、歴史の有る田舎の家で 亡くなった祖父母が生前に家の土地を守っていく事を心配していました。 家を継ぐのは当然の事の様に教えられてきましたし 病と年齢的に子孫を残す事が難しくなった私は 先祖に顔向けが出来ず時折恥ずかしい気持ちになります。 その上、今まで家で抑圧されてきたのに自由に生きようとしています。 本当は早く結婚し、実家からそう遠くない場所で暮らし 子育てをする事を想定していたと思いますが それが出来なかったので情けなく思います。 (でも、本心では子育ては向いていない方だと自覚しています。) 兄弟はいますが後を継いで貰うのはあまり期待が出来ないです。 近所でも最近は古い家を手放し 出ていく人が増えてきているので 今となっては珍しい事では無いのですが 本心からやりたい事を考えると 祖父母の言葉が頭に蘇って 跡継ぎを産めず地元に残りたいとも思っていない 私は罪悪感を感じてしまいます。 考えすぎなのかもしれませんが 先祖は私が本心からやりたいと思っている事を 応援してくれると思いますか。 奇妙な質問ですがお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

自分の生き方

お忙しい中ご覧くださりありがとうございます。 私は、プロフィール欄や、前回の質問にも書いてあるとおり、沢山の過ちを犯してきました。 今は、過ちに気づいてからの自分の選択が正しかったのか、悩んでいます。 SNSの件では、謝って、周りから軽蔑されるようになると、不登校になりました。被害者の心配は殆どせず、自分が一番辛いと勝手に思い込み、逃げてしまいました。もし通い続けていたら、更にストレスが溜まり、また新たな過ちを犯していたかもしれないですが、でも沢山の方に迷惑をかけたこと、逃げた事には変わりないのでどちらが正しかったのか自分でもわかりません。 最近も、被害者の方を見かけることはありますが、自分が傷つくのが怖いからか、その方もせっかく楽しそうに生活してるし私との件について思い出したくないだろう、と自分に言い聞かせて気づかれないよう逃げています。 テストでカンニングした件でも、もう時効だ、その時の担当した先生も異動してるし今更謝っても仕方ないと自分に言い聞かせ、結局謝れませんでした。もしカンニングをしていなかったら、内申点が変わっていて今通っている学校にも合格しなかったかもしれません。 拙い文章でごめんなさい。 このような私の選択は間違っているでしょうか。気持ちを切り替えて生きようとしている私は正しいですか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ