普通の生活とは
私の父は以前働いてた会社が倒産し、無職になりお金が無く、学費も材料費も検定代も成人式の振袖代も自分で稼がないといけません。そのためほぼ毎日バイトをし、多い時では6連勤もし、身も心も疲れました。
そんな時思うのです。もし父がちゃんと働いてお金があれば、怖いお客様のクレームに我慢しながらバイトをすることも無く、自分のやりたいことに時間を使ったり、観たかった映画を観たり、読みたかった本をとことん読んだり、自分のことに時間が使えるのにと。
周りの友達もバイトをしてますが、学費に使わず、ディズニーランドに行ったり、遠くまで旅行したり、好きなアーティストのライブに行ったり、すごく羨ましいです。私には到底出来ません。
私だって普通の生活がしたいのに、普通の生活って何なんだろう。今私が生活しているのが、普通の生活なのだろうか。
普通の生活って、何ですか?
わたしは専門学校に通う19歳です。 家族は4人家族で、母と父と兄と暮らしています。私の家は父が無職のためとても貧乏で、自分の学費は自分で稼がないといけないためほぼ毎日バイトをしています。 お風呂は壊れて温度調節が出来ず、部屋に暖房は無いため凍えながら眠りに落ち、車に大きなへこみがあっても修理は出来ないため恥かしい思いをしながら運転し、家族旅行も行くこと無く、12月のクリスマスケーキもありません。今の生活に不満がいっぱいで、早く一人暮らしをしたいと思っています。 私はなんでこの家庭に産まれてしまったのだろう、普通の生活がしたいだけなのに。
お金が無い為、色々なことを周りと比べてしまうこと。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
周りや言葉に踊らされないで下さい!
質問読ませていただきました。
人はどうしても周りと自分を比べてしまいますよね。特に自分が辛いときは、余計に周りのものが羨ましく、妬ましくなります。
ちぃかまさんはまだお若いのに、たくさんの苦労をされて、色んな思いを抱えておられると思います。心中お察しいたします。
さて、1つ昔話をさせていただきたいと思います。
私の宗派では、1人前の僧侶になるためには決まった儀式を受けなければなりません。修行が一定の水準に達することももちろんですが、昔(100年ほど前)におきましては、その儀式は自分が全てお金を出して着る物から道具から全て揃え、たくさんの方を自分のお金で招いて接待費まで自分で出さなければなりませんでした。親がお金持ちという方は親に出してもらったり等もあったようですが、なかなかそんな大金を用意するのは難しかった修行僧の方もいらっしゃったようです。
そういう人は、様々な方法で少しずつお金を貯め、足りない分は色んな人にお願いしてお金をかき集め、必死の思いでその儀式を受けられたようです。それだけ必死に自分の人生をかけて受ける儀式でしたので、本人の感慨も深かったようです。そして、その苦労のおかげで、人生をかけて僧侶として真っ直ぐ生きていこうと決意される方が多かったようです。
このように、苦労を重ねたら重ねた分だけ、自分にとっては1つ1つの出来事が大切で思い出深く、重要なモノになります。
学費も材料費も検定代も自分でとのことでしたら、自分の将来について真剣に向き合い考えることが出来るでしょう。
成人式の振り袖代も自分で稼がないといけないならば、その成人式は一生忘れられない感慨深いモノになるでしょう。
つまり、ちぃかまさんにとって、人生の全てが他の人より特別で印象深く、記憶に残るものになるのです。苦労した分報われたときの嬉しさは何倍にもなるでしょう。それって素敵な事ではありませんか?
そして、それがちぃかまさんにとっての普通なのです。『「普通」とは何か?』と言われましたら、人によって変わります。今自分が生きている環境が、自分にとっては普通なんです。
周りの人達や言葉に踊らされないで下さいね。
ちぃかまさんの周りから見たら特別だが、自分にとっては「普通」である素敵な人生を、自分のペースでしっかり歩いていって下さいね!
たくさんの幸せが訪れることを心よりお祈りしております。
人生に無駄なことはないのでは
まわりのお友達が楽しそうに学生生活を楽しんでおいでなのにアルバイトの毎日、たいへんお疲れのことと存じます。本当にご苦労様です。
私自身にはあなたようような経験はなく、子どもも「下宿したい」とはいうもののアルバイト代は本人の小遣いという暮しびりです。だからあなたに自分の経験を通して何かを申し上げることはできません。
ただ、出来ましたら、「いまはそういう時なのだ。この経験は決して無駄にはならない。後であんな経験をしておいてよかった」と思えるようになっていただきたいと念願しています。
私は日系カナダ人の宗教について調べています。きっかけはカナダに渡った人のなかで私が住んでいる滋賀県彦根地方の人たちがもっとも多いからです。そしてその人たちはお寺やキリスト教の活動に熱心な方たちでした。
宮崎政次郎という医師は14歳のとき、バンクーバーで働いていたお父さんに呼び寄せられてカナダに渡航しました。お父さんと暮らし始めてすぐ、「北の方に鮭獲りに行く」という言葉を残したままお父さんは消息を絶ちました。その後、政次郎少年は完全に自活なさいます。白人家庭で住み込みのボーイの仕事をしながら学校に通い、キリスト教会で英語を学びました。高校を卒業し地元の大学に進学の後、医師になる決心をします。有色人差別の激しい時代でしたから成績超優秀でもアジア人を受け入れてくれる医大はなかなか見つかりません。アメリカに唯一、受け入れてくれる接骨医養成の医大があり、ようやく入学します。もちろん医大で学びながらアルバイトを続け、それは卒業式のその日まで続きました。
アメリカで実地の経験を積んだ後、バンクーバーに帰り日本語しか話せない日系一世のために医院を開業しました。太平洋戦争がはじまると日系人は住み慣れたバンクーバーを追われ、宮崎医師もへき地で医師が少ない地域に引越しを余儀なくされました。そしてその地で老齢により引退なさるまで医師として活動を続けるかたわら、キリスト教会活動や社会奉仕事業に献身なさいました。亡くなってかなり経った今も宮崎医師を尊敬しておられる方は多いです。
あなたは周りのお友達が羨ましいでしょうけれども、今はお友達には経験できない得難い勉強の時期だとお考えいただくわけにはいきませんか。偉そうなことをいっているならお許しください。どうぞご自身とお父様やご家族を大切になさってください。
親からもらうものは財産だけじゃない
私も学生時代にお金がなく、睡眠不足になるくらいバイトをしていました。また、奨学金をもらっていて、社会人になってから返済しました。
なので、親がお金持ち(普通レベル)の人が羨ましい気持ちはわかります。
学生時代は私もそんな考えでした。
ただ、その後、私はだんだんと考え方が変わりました。視野が広くなかったのです。
親が貧乏だから親から財産をもらえないのは、たしかに不運です。
しかし、私達が親からもらうものは、財産だけじゃないのです。
遺伝による能力・素質、健康、生活習慣、知識、人間関係、日本に暮らせる資格(国籍)など、たくさんあります。
たとえば私は、お金はありませんが、幼少時代を除けば、入院するほどの病気やケガをしたことがありません。
これも、親からもらったものではないでしょうか。
私が日本語を話せるのも親からもらった能力です。
あなたに学校に行けるくらいの知能があるのも、親からもらったもの。
世界中には、それらがない子供達がたくさんいます。
テロリストなどに追われた難民の子供達や、先天的な病気のある子供達もいます。
さらに言えば、野生動物と比べれば、人間の子供に産まれただけでも幸せです。
視野を広くしてみませんか?
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。とても深い言葉に感動しました。
周りとは比べずに自分のペースで今の生活を生きていこうと思います。いつかきっと、今の苦労が今後の幸せに繋がると信じて。
ほんとうにありがとうございました!
何事も頑張っていきます!