想像しただけでその想像した罪と同罪なのか
想像しただけでその想像した罪と同罪なのか。
ご回答をください。助けてください。悩んでいます。
私の母と私でドラマを見ていた時、親が子を殺すみたいな場面があったんです。それで「私はお母さんを殺さないよ」と伝えた時にふと、
「でももし、母がゾンビになって殺すべきだと判断した時とか、母が病気になって楽にしてあげるために薬とかで安楽死にして殺すことはあるかもしれないな。」
と考えたんです。でも、それっていくら母親のためと思っていることでも罪は罪なのかなという思いと、それに続いて私が母親を殺すなんてことを考えてしまった、という思いが出てきたんです。
そこでネットで調べてみると、「罪は想像した時点でもはやその罪を犯したのと同じ」みたいな内容を目にしまして、とても怖くなっています。無間地獄の罪状に「母親を殺すこと」というものがありますが、それに私は当てはまってしまったのでしょうか。実際に私は母親を殺したわけではないですし、そんな特別な場合ないと思っていますので殺すつもりもありません。今もキッチンで夜ご飯を作っています。
改めて質問をまとめると、
「私が母親を殺すことは、母のためになる場合ならあるかもしれないと思ってしまった。このように『母を殺す想像』をしてしまったことは、実際に母を殺した罪と同罪になり、私は無間地獄に落ちてしまうのか。」
ということです。本当に怖いです。ご回答何卒よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【身口意の三業】身と言葉と心でする行為
身で行う行為=【身業】
言葉を発する=【口業】
心に想う行為=【意業】
我々人間は、善くも悪くもこの3つの行為【身口意の三業】をせっせと拵えて、過去、未来、現在に影響を与えまくっているわけです。
”『母を殺す想像』をしてしまったことは、実際に母を殺した罪と同罪になり”
う〜ん、ちょっとやばいかもね。
日本の法律で裁かれることはないけど、仏教的には…ご愁傷様です。
もうこうなったら、これを補う以上の善行を積むしかないな。
他人様に寛容で、親切に、献身的に、誠実に…
生きているうちに、ぜひ。
意図・動機の問題
ゆか様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
行為と業には、「思業」と「思己業」があり、前者は、「動機」による業で、後者は、「その動機により引き起こされた行為」による業で、その業の結果が経験されうるのは、この二つとなります。
結果が経験される行為としては、
意図されて行われた行為
意図されたが行われなかった行為
逆に、結果が必ずしも経験されるとは言えない行為は、
意図されずに行われた行為
意図もされず行われもしなかった行為
となります。
そのため、意図してしまったことは、確かに結果が経験される行為となるわけですが、問題は、その意図、つまり、動機の内容も詳しく見ていくことが求められるところとなります。
つまり、無明(根本的な無知)・煩悩による意図・動機であるのかどうかであります。
怒りや憎しみや嫉妬、貪りなどによる意図・動機であれば、間違いなく悪い業となります。
しかし、それが煩悩には基づかない智慧や慈悲による意図・動機であるならば、必ずしも悪い業になるとは限らないということであります。
しかし、その意図・動機がどちらとなるのかは、凡夫では容易に図り得ないところでもあり、勝手な自己解釈で判断するのも危険なところとなります。
そのため、できる限りは、戒律を一つの基準として仏道精進に努めるのが良いところとなります。
この度の想像がどちらとなるかは、正直、答えられないところもありますが、無間地獄に陥るほどの悪意があるとは思えず、意図・動機と言えるまででもなく、また、安易に実行へと移すことも考えられず、あくまでも想定思考の一つとして、ほとんど問題はないのではないだろうかとも存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。