高級マンションを購入し公園のベンチで寝る弁護士
私の、変な考え(変な性格)を正してください。
以前、
「高級マンションを購入し、公園のベンチで寝る弁護士」が
いたそうです。
これは、高級なマンションを汚したくないから、外で生活している
ということです。
正常な人から見たら、とてもバカバカしく思えると思います。
でも私は少しだけ、この弁護士の気持ちが分かります。
強迫性障害は、考え方が「本末転倒」してしまうからです。
私は良すぎると使えない、良い洋服を買うと着ないで
しまっておいて、普段は、汚れてもいいような
穴の開いたTシャツを着ています。
汚れてもいいような服の方が精神的に楽だからです。
そして、洞穴みたいな所に住んでいる方が精神的に楽だな
と思ったりします。
もっと精神的に楽になりたいです。
「本末転倒」しないで気軽に生きたいです。
服は着るためにある。(着てこそ服)
物は使うためにある。(使ってこそ物)
だと、心の中では分かっているのに、
精神的に楽な方を選んで損ばかりしています。
この自分でも分かっているバカバカしい苦しみから
抜け出して、もっと精神的に楽に生きるには
どうしたら良いですか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私も同じような感じです。
だから今使っている物が使えなくなるまで
新しものは買いません。
品数も最低限必要な数しか持たないようにしています。
物を大切にすることとは
物を大切に使うことです。
これも
「小欲知足」とか
「吾只足るを知る」とかかなぁって思っています。
様々なご縁を経て生み出されたもの
拝読させて頂きました。
あなたはこの世に生を受けて今ひとときひとときを生きています。
この肉体も周りのあらゆるもの道具も住まいも服も靴も車もお金も今ひとときあなたが巡り合わせの中で使っているものつまり借り物に過ぎません。
いずれあなたがその天寿全うするときには全てを置いていかねばなりません。
だからこそそのいっときでもご縁あるものを大切になさり、しっかりと利用することが大事なのではないでしょうか。
様々なものは自然や人の手を借りてせっかく生み出されてきたものです。しっかりと大切に利用される為に生み出されてきたものです。
どうぞそのご縁を大切になさって大切にしっかりとそのものの身になって活用なさって下さいね。
点浄
「点浄」(てんじょう)という言葉があります。新品のお袈裟などに墨で点を入れ、お古とする行為です。余談ですが僧侶の衣服は「糞掃衣」(ふんぞうえ)といって、人が使わなくなったボロキレを使用します。お袈裟を見ると小さく切った布がパッチワークのように縫い合わせてありますが、これも、あえて細かく切って誰も欲しがらないようにしているのです。
新品の服などに、マジックなどで、あえて小さく点を入れれば「お古」となるので、着やすくなるのでは?
点浄は、目立たない所に打てば良いですよ。目印にもなり、一石二鳥です。
質問者からのお礼
光禪さま・和田隆恩さま・Kousyo Kuuyo Azumaさま
お忙しい中、アドバイス有難うございます。
「点浄」「足るを知る」「最後は全てを置いて逝く」
ごもっとも ですね。
自分の心が、自分を苦しめているいるのですよね。
気づいて正常化できるよう頑張ります。