ふり
昨日、電車に乗りました。しかも帰宅ラッシュ時に。
ヘルプマークを鞄につけたオジさんが椅子に座れず隣に立っていました。
目の前の座席が空き、ヘルプマークのオジさんに譲ったら、有難う、と言ってくださいました。
私はそんな善人じゃありません。善人のフリをしました。
その後、私の後ろの席が空き、学生さんが私に席を譲ってくださいました。有難うとお礼を言い、有難く座らせてもらいました。
ここでも私は善人のフリをしました。
無意識にフリ。最低です。
私という人間は、ひとの事など考えない図々しく卑劣な人間です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一秒一秒が真新しい人格
今までのことなどどうでもいいのではないでしょうか。
今は今で今のアナタ。
外国に行って見知らぬ人たちに良いことをしてあげればあなたは善い人と思われるでしょう。
そこでの一つ一つの行為は真実なのです。
一秒一秒が前のことを離れて存在しています。
今のあなたは今のアナタ。
最低とか何とかありません。
性格というモノがどこかにあるわけではありません。
行為自体があなたの今の真実だからその時のあなたの行為はかつてがどうであれ、フリをしていても善人の働きを為したのです。
ふるい自分を捨てて、毎回新たに生きて、行動するべきでしょう。
仏性
席を譲った時は気持ちが良かったでしょう。譲ってもらった時はうれしかったでしょう。席を勧めることができて立派でした。お礼を言うことができてえらかったです。あなたの中にそなわっている仏さまが働きました。
また譲ってあげてください
拝読させて頂きました。
「譲ってくれてありがとう、そして譲ってくれてありがとう」
その言葉と行為によってつながってとてもありがたく嬉しいお気持ち、心が満たされていく思いがあったのではないでしょうか。
そのお気持ちに嘘はないと思います。
その後から二次的な気持ち、人が見ているから…いいかっこしい等の気持ちがあなたに芽生えておおっていくのではないですか。
初心のあなたのお気持ちを大事になさって下さい。
そしてまた次も気持ちよく席を譲ってあげて下さいね。
善意と善業の絆はこれからもあなたにつながっているのです。
お釈迦様の真似をして生きていきましょう
質問者からのお礼
光禪さん
お返事、有難うございます。
あのオジさんを座らせてあげたい、と思っていたので席が空いた時は気持ちが良い、というより嬉しかったです。ホッとした面もありました。
席を譲ってもらえた時も、疲れていたので嬉しかったです。
私の中も仏さまが、そなわっていたのですね。
嬉しいです。
昨日は他にも、いろいろな人に助けてもらったり、迷惑をかけてしまったり、でもあたたかさにふれた1日でした。
丹下覚元さん
お返事、有難うございます。
たしかに、その行為は紛れもない事実です。
今までの事はどうでも良い、そう思いたいです。ただ私の中で、まわりの雲行きが怪しくなると脳内が騒ぎだします。言い訳を言いはじめます。
事実。事実だけに目を向けられる強い精神が今の私には備わっていない気がします。
だけど、人が人を癒すのではないか、と思いました。
Kousyo Kuuyo Azumaさん
お返事、有難うございます。
私は恨むこと悔むことで、何とか命を今につないできた面もあります。誰かの気持ちにたったみかたなんてものは、逆に生きる上で邪魔でした。
だけど、実際は席を譲り譲られ、嬉しかったです。
実はその日、道に迷い、お二人に聞いてやっと目的地に到着する事もできました。寒い中、足をとめ一緒に考えてくれて、教えてくれました。心の底から感謝です。道に迷い途方にくれたはずなのに気がついたら笑顔の私がいました。
1日でこんなにたくさんの人の心のあたたかさに触れました。
私は何をみてきたのだろう、どういう生き方を目指しているのだろう、そう考えさせられます。
だけど誰かにそっぽを向かれそうになると、私の心は壁を作り、ひとりが幸せだと、人はそういうもの、と言い訳合戦がはじまります。
心って難しいものです。
望月亮徳さん
お返事、有難うございます。
そうですね。
お釈迦様の真似をしていれば、いつか本物になるかもしれません。
有難うございます。