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質問

回答数回答 3
有り難し有り難し 73

世の中めちゃくちゃだと思うのですが、そんな中でどう生きていけばいいでしょうか?
何が嬉しいのかも、もうよく分かりません。
他を傷つけないように生きてきているつもりなのに、ネットが普及したりして、世の在り方は、勝手に変わっていってしまう。
無限に理論武装が続くし。
何を目的にすればいいのか、分からないのです。
どうすればいいですか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世の中にしゃしゃり出ない

色んな切り口があると思いますが、
『小さく生きる』ことだと思っています。

ハァーって息を吐きます。樹木はそのCO2を吸うことで生きています。でも、そのCO2は温室効果ガスです。そうした時に「他を傷つけないように」というのは、究極的には無理なんです。
それが私対木の範囲なら誰も傷付かないんです。でも全世界の話にしちゃうと、温室効果ガスガーを持ち出されてしまう余地が発生してしまうわけです。

それに悪人の割合が仮に1割だとしますと、5人組の範囲なら、まぁ悪人に出くわさないかなと言えるでしょう。でも10人組になると、そのうち1人は悪人がいそうだねという期待値になってしまうんですね。そうした時に、友達100人作りましょう…って、やっぱり無理があったんですよ。

じゃあ何故友達100人作れる人になりましょうと言われていたかと言うと、優秀なリーダーを育てて組織の競争力を高めるためだったんですよね。本当は幸せのためでは無かったんです。たとえ悪人が混じっていても組織を運営できる人材を育てようという話です。出典から見れば明らかなんです。
https://hasunoha.jp/questions/27993

ネットだって不特定多数と付き合うから不便なんです。本来は気の合う友達と将棋するくらいの範囲でいいんですよ。(仕事は別としてですよ。)
私はテレビニュースも視ていません。(豪雨災害の時にちょっと反省しました。程度の問題ですね。)

お前いつも「大きい自分」って言ってるじゃん!って突っ込まれそうですが、仏道の「大」って、「水平線の向こうまで海が続いていることは分かる。でも今実際に水平線の向こうがどうなっているかは分からない。」という当たり前のことなんです。決して水平線の向こう側に干渉しろということではないんです。でも現代社会は干渉しよう干渉しようとする。そこが苦の源泉になっているのでしょうね。

坐っているお釈迦さまの仏像を見てみましょう。視線を下に落としています。あれは坐禅や瞑想を習うと教わりますが、『あまりに多くの物事を見て心を乱さないよう視界を狭めている』のです。もっと手の届く範囲の、目の前の生活に集中して生きるといいんでないかなとお坊さんは思うのです。

補足『小さい親切』
https://hasunoha.jp/questions/3597
増やして申し訳ありません

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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あまり世間のことは気にせずに・・・大切なのは自分です

初めましてm(__)m
お釈迦様の有名な言葉に「自灯明(じとうみょう)」という言葉があります。お釈迦様が弟子たちへの生涯最後の説法にて説いたお言葉です。「自分自身を拠り所としなさい」、ということです。
世の中にはめちゃくちゃな一面も当然あります。ある時には英雄として扱われた人が、ある時には罪人として裁かれるケースは歴史上にもたくさんあります。
今、我々が生きている社会は沢山の情報を一瞬で得ることができる社会です。ただ、その情報って本当に必要な情報なのかと言われると、あまりそうではないものも沢山ありますよね? 自分にとって本当に必要な情報だけ見るようにしたらいかがでしょうか? パソコンやスマホの画面の中の情報には「自分の人生への解答」は絶対にありません。最終的には自分自身で経験をしたことだけが、自分を救ってくれるのです。
他者を傷つけるという点に関しては、ある意味では傷つくのは当たり前のことではないでしょうか? お釈迦様は「因縁」を説かれました。我々がこの世に産まれて生きているのも、雨が降るのも、地震が起きるのも、全て因縁だと説かれました。突き詰めていくと、あらゆる存在には、存在する理由が必ずあるということです。この世のあらゆる存在は目に見えない糸で繋がっているということです。親子、兄弟、友達、カップル、赤の他人まで、お互いが繋がり合っているからこそ、お互いに傷つくこともあるでしょう。ただ傷つけ合うことがあるからこそ、お互いに喜びを分かち合うこともあるはずです。
これからどう生きていけばいいかということについては、人間は本当に窮地に立たされた時は、そのようなことを頭の中で考える暇もないほど、日々の生活に追われます。人生の目的の第一歩は、毎日腹八分まで食べれること、安心して眠れる寝床を得ること、安心して用を足せるトイレを得ること、毎日入れるお風呂を得ること。そして、それらを得るために働くことではないでしょうか? 勝手なこと申しましてすみませんm(__)m

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おきもち

臨済宗の若手のお坊さんです。 https://www.facebook....
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そうですね…

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるようにめちゃくちゃなことが世の中や世界にあふれています。
毎日流れてくる情報をみると本当に目を覆いたくなることがあまたあふれていますね。
罪もない方々が沢山傷つけられて殺されて残虐な行いが為されています。
目を覆うような信じがたい言語道断な言動や行為がネットを通して伝えられています。

本当に善とは何なのか?良いこととは何なのか?人として生きる道は何なのか?
を問いただされる思いを私達は日々突き付けられています。

明日は自分自身がスケープゴートとなって、犠牲となってつるし上げられて周りの家族も犠牲にされかねないとも思う時があります。
世の非道限りなしとも思います。

きっとお釈迦様の生きた時代であってもそのような非道や残虐行為な無限に繰り返されていたのでしょうね。
私達が想像する以上にひどい残忍な悪業はお釈迦様以前のはるか昔から現在まで連綿と繰り返されてきたのでしょう。

それらの無限のループのような悪業から解き放たれる道や教えが仏教であると私は思います。

改めて本当に人として生きることとは何なのか?ものごとをどう見て考えてとらえていくことが善いのか?そしてどう判断して行動していくことが善き道なのか?どうこの生を全うしていくことが善いのか?を考えさせられます。

一時的な感情や偏見に惑わされることなく等しくものごとのありようをとらえていけるようにとも思います。

とはいえ私達はどうしてもこの肉体や心が移ろいやすく感情的になってしまい、いつの間にか目が曇ってしまい等しくものごとをとらえて判断することができなくなってしまいます。

そのような儚い頼りない些細な存在である私達ではあるとも思います。

そのような時・自分であるからこそ仏様の教えが私達の寄る辺になってくると私は思います。
仏様の慈悲や智慧を信じて日々己を見つめなおし反省し、仏様に懺悔し心を改め日々精進していくことがこの迷い多き世を渡っていける寄る辺となると私は思います。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「人生が辛い・生きるのに疲れた」問答一覧

生きるのに疲れた

母親に幼少時から虐待されていました。 虐待の被害で病気を患っています。貧しく生きています。 これからの人生に希望が持てません。 父親は死んでいます。母方の祖父母は健在ですが、母親と同じく異常な人間です。 年が離れた弟もいますが、母親はこちらを可愛がって私をさらに攻撃してきました。 天涯孤独で頼れる人間がいない状態で、学歴もなく資格もない状態で生き抜ける気がしません。 友人もいません。人間が嫌いです。生き物が嫌いです。ナタリストが嫌いです。 私は反出生主義者です。安楽死ができない世の中が憎いです。 また、性差別がはびこっている現状が気持ち悪いです。エロ本がコンビニに置かれてるのマジでキモいし、売春がカジュアルになってるのもキモいですし、性欲に負けて子供を作る人間もキモいですし、死ぬとわかったら金で女を買った父親がキモいです。 アセクシャルなんで世の中の発情しまくる人間という生き物がマジで無理です。そのくせアセクシャルのほうが間違ってるとか女は男のためにあるとかいうキモい思想を持つ人間が結構な割合でいるのもだるいです。 疲れました。 自分ではどうしようもないことばかり続いてそのせいで加害者はのうのうとしているのに自分だけ取り返しのつかない傷に苦しめられているのが許せません。 世の中に蔓延る親至上主義が本当に気持ち悪いです。 これからどうすればいいのかわかりません。助けてください。

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生活に疲れました…

先日、離婚すべきかという内容を相談させていただきました。 自分の中に夫婦関係をまだやり直せる期待みたいなものがありましたが、それはなくなりつつあることを自分でも自覚してきていることがわかりました。 そのため、今すぐにでも離婚すべきだと理解しているのですが自分のなかでは経済力がないという理由で今も婚姻関係を続けております。こどもたちの目の前では喧嘩はしていませんが、明らかに仲が悪いことはわかる態度です。両親が不仲な姿をこどもたちに見せるのはどうかと日々思うのですが、経済力のない私には離婚後、こどもふたりをひとりで育てていく自信がありません…(離婚したら夫はこどもたちの面倒はみれないので引き取れないと言いきっています。) 良くも悪くも夫が激務なのと習い事をしているので休日ほとんど一緒にいることはないのですが、同じ家にいるとどうしても同じ空間にいることを避けてしまう自分がいます。 今すぐにでも離婚するために私に経済力を、と思い転職をと考えていますが40代半ばで正社員はなかなか難しいですし、シングルマザーでまだ下の子が年長とちいさいこどもをかかえながら生きていくことは到底難しいことだと理解しております。 ただ、このままいてもこの状態でいられなくなった夫から離婚を言い渡されるときが必ずきますし、その時に自分だけでも育てられるようにしていかねばという思いはあります。 現状から逃げ出したい自分がいます。離婚して、なにもかも手放したい、もう夫と関わりたくない。 だけど、こどもたちの今のこの生活、環境を守ることも親の責務だと思うと自分の思いだけで簡単に離婚することはできない。 この頃休日になるとそのことばかりが頭を巡り、考えたくなくても考えてしまい、家事育児をひとりでまわしているのでピークになるとこどもにもあたってしまい、生活そのものに疲れてしまっています…。かといって、リフレッシュをと思ってもひとりの時間も持てず、実家は遠方ですし、有休使ってこどもがいないときを満喫、とも思うのですがこどもが病気をしてくるので、病欠に使うため有休とっておかないと、と結局休むことに躊躇して使えていません。 もうなにもかもどうでもいいや、逃げ出したいと思う自分と、こどもたちのためにも将来を考えて動かねば、親としての責務を全うせねばという気持ちとで疲れ果てています……

有り難し有り難し 20
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生きるのに疲れました。

こんにちは。 たまたまこちらのサイト様を見つけたので、投稿させていただきます。 20歳から介護の仕事を始めたのですが、いじめやパワハラでうつ病、統合失調症になりました。 現在も仕事ができず、でも収入がないといけないので、夜の仕事を始めましたが、罪悪感で辞めました。 そのお店からいろいろ言われ、警察に相談するまで発展しました。 ここ数年いいことがないどころか、悪い方にしか事がいかず、 去年自殺未遂をしました。 その後、てんかんを発症し、今もてんかんと統合失調症の薬を毎日飲んでいます。 病気にもなり、小さな運もなく生きている自分が情けないし、生きていることが心底辛いです。 消え去りたいです。 しかも昨日、母親に消えたいことを言ってしまい、母親を泣かせてしまいました。 母親は「いてくれるだけでいい」と言ってくれますが、親のことを考えると生きてた方がいいのでしょうが、 私のことだけ考えると、生きているだけで毎日が辛く、消えてしまいたいという思いしかありません。 今まで、親は優しいのですが、私はいつも「親2人が喜ぶように」と全て自分のためでなく、親のために生きてきました。 ですが、今回はそんな感情もなく、ただ消えたいという思うしかありません。 先述したように、ニートなうえに夜の仕事をしてしまうような私が生きてていいと思えません。 数年前どん底と思っていたら、年月が経つにつれますますどん底な人生になっています。 これ以上きつい思いはしたくないです。

有り難し有り難し 23
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ベストは尽くしたと思います。

43歳男性です。 事の起こりは親の都合から治安の悪い所へ引っ越しをした事に始まります。 そのすぐ後に中学校でいじめを受け、重度の不安障害を発症し、 引きこもり生活が始まり、人間やこの世界が本当に嫌いになって13年が経ちました。    しかしながら、ただ1人の友達との繋がりが僕の心をなんとか救ってくれました。 そこからは少し活動的になりなんとか持ち直しました。    26歳ごろから、親の会社を継ぐための他社への研修や会議などに行きはじめ パワハラや村八分を受けながらも ストレスで目が開かなくなって病院に運ばれるまで必死に頑張りました。    会社に関わる事なので勝手なことは出来ず、少し休みたいと父親に相談してみましたが、子供の頃のいじめの時と同じで我関せずでした。    僕が首を吊った後も父親は笑っていました。 僕はそれをわすれる事ができません。   そのすぐ後に鬱病を発症して寝込むことが多くなりました。 そんな状況にも関わらず、いつもトラブルを起こす姉が マンションのローンの未払いから、マンションを追い出される寸前となり、 鬱で寝込んでいる僕にローンを組んでくれないかと催促。 73歳までのローンでした。   父親も「俺はローンを組めないから組んでくれ」と。 「姉が支払えなくなったらどうするの?俺の人生もある。」と訊ねると 「そんな事は親兄弟で考えるもんじゃない」と言われ・・・。   「ああ・・・コイツは俺を見てないんだな・・・」 僕の中で心の糸が再びプツンと切れました。   それからも、人生が180度変わるような大きなトラブルばかりを、父と姉に起こされ続けました。 それでも、僕は寝込んだ体と心に鞭を打ってフラフラになりながらも奔走しつづけました。   さすがにもう限界で この1年は父と姉との縁を完全に断つために必死で動き続けました。 結果的には、縁を断つことに成功はしたのですが本当に疲れ果てました。   ちょっとした知り合いに「そんな昔の事を」とも言われました。 でも、僕が心の欠片を必死に集めて直しても 父と姉が粉々に砕き続けてくる状況で。   トラブルを起こされてばかりの人生でしたが、僕なりのベストは尽くしたと思います。 でも、そろそろ限界です。 本当に本当に疲れ果てました。

有り難し有り難し 9
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もう疲れました

はじめまして。 心が疲弊しきって、疲れました。 疲れて疲れて、もう何も考えたくありません。 私はいつ心の休息を取れるのでしょうか。 どうしたら楽に生きられるのでしょうか。 私は、高校二年生ぐらいからの1年間、心の疲労感に苦しんでいます。 例えるなら、やる気を起こそうとしてもブレーカーが落ちているように、何かをやろうとしてもできないのです。 一緒に暮らしている母親には、今までに2回ほど相談しましたが、母にとっては理解のできないことらしく、まともに話を聞いてくれません。 話しても、私が怠けている事を正当化しているだけだ、甘えるなと言われます。 父親は単身赴任中で、相談しにくいです。 友達にも相談できません。 相談をするのが怖いです。 ずっと心の疲労感が続くので、流石に我慢の限界が来てしまったように感じます。 私は、真面目すぎて人の顔色を伺いすぎてしまうため、無意識に自分の考えよりも相手を優先し、自分自身を苦しめ続けていたのだと思います。 自分の心が傷つくこと対しても、過度の恐怖感があり、いつもクタクタです。 でと、それを分かっていても何も解決しません。この1年間何度も何度も試行錯誤し、どうしたら自分が楽に生きられるのか考えてきました。 結果は大して変わりませんでした。ずっとずっと、私の心のブレーカーは落ちっぱなしです。 これから大学生になり、社会人になり、今のままで大丈夫なのだろうかと不安になり、ここで相談したいと思いました。 私はどうしたら、疲労感を取り除き、毎日を楽しく過ごすことができるのでしょうか。顔色を伺い続け、傷つかないように必死に生きてきましたが、もう限界です。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ